DAYS JAPANというフォトジャーナリズム月刊誌Dが主催する写真展に行ってきた。
内容は、飢えに苦しむこどもたちから、難民キャンプの人たちから、紛争のさなかに生きる人たちの姿から、難病に苦しむこどもから、人身売買の犠牲者から、海洋汚染など多岐に渡る。
内容として知っていることでも実際に写真で現実をつきつけられると、衝撃は違う。
昔の私なら、悲惨な現場の写真を見て、涙を流し、赤ん坊の遺体の写真を見て、涙を流し、息を引き取る直前のこどもn写真を見て涙を流しただろう。
でも、涙は何の解決にもならない。
私はやっぱり自分の目で現場を見たいと思った。キケンな地域でもどこでも行ってみたいって思った。
印象に残った写真をいくつか紹介。
エルサレムの風景。黄金のドームもうつっていた。
ここはキリスト教、ユダヤ教、イスラム教の聖地である。カトリックである私はここにいつか絶対に行きたいと思っている。同じ聖地を持つ宗教がなぜ敵対しなければならないのか。それぞれの宗教の歴史を知ってるからなおのこと分からない。それとも私の信仰心の深さの問題なのか?
宗教同士がお互いに理解し合えれば、それに越したことはない。理解しあった上で、自分の信じる宗教への信仰心を深めればいいのである。宗教は政治でもなんでもなく、人の心の中にあるものなのだから、極端にいえば、自分の信仰してる宗教に集中して、他に目もくれなきゃいいのにとも思う。ムズカシイ…だからこそ宗教学はおもしろいんだとも思うけど。
RFUに腕を切断された男性。
こどもにシャツのボタンを留めてもらっている写真があった。前腕のないその男性は過去は忘れられるものではないはずだ。でも、こどもがいて、妊娠している愛すべき妻がいる彼の表情はおだやかだった。
ダイヤモンドを掘る仕事をしていた彼(映画“The Blood Diamond”参照)はどうやって今の生活を取り戻したのかは知らないが、おだやかな表情の中にもその男性の強さがうかがえた。
ラマダン中の難民キャンプのこども。
険しい表情だった。こどもの表情とは到底思えない。私たちには想像もできないほどの不安を抱えてるのだ。世界のこどもたちを笑顔にしたい。私のその夢を実現させなければならないと強く思った。簡単なことではないけれど、そう思ってる人が諦めてはならないのだ。
エイズに苦しむこども@ザンビア
小児ガンのこども@アメリカ
重病、難病に苦しむ子供が途上国、先進国問わずいる。
エイズで両親を失ったエイズ孤児。自分もエイズ。
小児ガンと闘って、亡くなった男の子。
分からなくなった。自分が何をしたいのか。たしかに世界中のこどもたちに笑顔をと思っているが、それをどうするのか?
自分には何ができるのか?決して諦めないけど、何をしたらいいのか?と当分解決しない悩みに直面すると同時に、自分が医療従事者になることは必ず意味があることなのだと実感した。はじめて、実感した。
さて、写真の感想を書いていたらエンドレスになってしまうので。。。
この写真展を教えてくれた友人が、「どういう神経してあういう写真をとるのかな?」と言った。私も昔はそう思ったかもしれない。
でも、ジャーナリズムがないと、私たちはそれを知ることができない。
ジャーナリストだって、葛藤があって写真を撮っているだろうし、危険な地域にわざわざ足を踏み入れているのだから、自分の手でこの現状を世界に伝えたいという信念があってのことだと思う。
ジャーナリズムと倫理観…ものすごい葛藤の中での1枚1枚の写真なのだと思う。自分の目を通してみたことを写真が代弁してくれてるのだろう。
この写真展は来週末までやってます。是非、行ってみてください。
http://www.daysjapan.net/award/award2007/index.html
内容は、飢えに苦しむこどもたちから、難民キャンプの人たちから、紛争のさなかに生きる人たちの姿から、難病に苦しむこどもから、人身売買の犠牲者から、海洋汚染など多岐に渡る。
内容として知っていることでも実際に写真で現実をつきつけられると、衝撃は違う。
昔の私なら、悲惨な現場の写真を見て、涙を流し、赤ん坊の遺体の写真を見て、涙を流し、息を引き取る直前のこどもn写真を見て涙を流しただろう。
でも、涙は何の解決にもならない。
私はやっぱり自分の目で現場を見たいと思った。キケンな地域でもどこでも行ってみたいって思った。
印象に残った写真をいくつか紹介。
エルサレムの風景。黄金のドームもうつっていた。
ここはキリスト教、ユダヤ教、イスラム教の聖地である。カトリックである私はここにいつか絶対に行きたいと思っている。同じ聖地を持つ宗教がなぜ敵対しなければならないのか。それぞれの宗教の歴史を知ってるからなおのこと分からない。それとも私の信仰心の深さの問題なのか?
宗教同士がお互いに理解し合えれば、それに越したことはない。理解しあった上で、自分の信じる宗教への信仰心を深めればいいのである。宗教は政治でもなんでもなく、人の心の中にあるものなのだから、極端にいえば、自分の信仰してる宗教に集中して、他に目もくれなきゃいいのにとも思う。ムズカシイ…だからこそ宗教学はおもしろいんだとも思うけど。
RFUに腕を切断された男性。
こどもにシャツのボタンを留めてもらっている写真があった。前腕のないその男性は過去は忘れられるものではないはずだ。でも、こどもがいて、妊娠している愛すべき妻がいる彼の表情はおだやかだった。
ダイヤモンドを掘る仕事をしていた彼(映画“The Blood Diamond”参照)はどうやって今の生活を取り戻したのかは知らないが、おだやかな表情の中にもその男性の強さがうかがえた。
ラマダン中の難民キャンプのこども。
険しい表情だった。こどもの表情とは到底思えない。私たちには想像もできないほどの不安を抱えてるのだ。世界のこどもたちを笑顔にしたい。私のその夢を実現させなければならないと強く思った。簡単なことではないけれど、そう思ってる人が諦めてはならないのだ。
エイズに苦しむこども@ザンビア
小児ガンのこども@アメリカ
重病、難病に苦しむ子供が途上国、先進国問わずいる。
エイズで両親を失ったエイズ孤児。自分もエイズ。
小児ガンと闘って、亡くなった男の子。
分からなくなった。自分が何をしたいのか。たしかに世界中のこどもたちに笑顔をと思っているが、それをどうするのか?
自分には何ができるのか?決して諦めないけど、何をしたらいいのか?と当分解決しない悩みに直面すると同時に、自分が医療従事者になることは必ず意味があることなのだと実感した。はじめて、実感した。
さて、写真の感想を書いていたらエンドレスになってしまうので。。。
この写真展を教えてくれた友人が、「どういう神経してあういう写真をとるのかな?」と言った。私も昔はそう思ったかもしれない。
でも、ジャーナリズムがないと、私たちはそれを知ることができない。
ジャーナリストだって、葛藤があって写真を撮っているだろうし、危険な地域にわざわざ足を踏み入れているのだから、自分の手でこの現状を世界に伝えたいという信念があってのことだと思う。
ジャーナリズムと倫理観…ものすごい葛藤の中での1枚1枚の写真なのだと思う。自分の目を通してみたことを写真が代弁してくれてるのだろう。
この写真展は来週末までやってます。是非、行ってみてください。
http://www.daysjapan.net/award/award2007/index.html