ザリガニの鳴くところ ディーリア・オーエンス
レビューその2
前回のレビューで御歳70で初の小説家デビューのことに触れたが、読書マニア父娘で
有名な池澤夏樹春菜、父娘の対談でこれに関連することを語り合っていた。
いわく ”初めて世に出す本は傑作じゃなくてはならない病”の話題である。
読んでそのまま意を得たり、の名コピーであるが、特に親が著名な作家、とか、この業界に長いのに小説を一冊も出さないまま20代半ばを過ぎてしまった人に、この法則、病状は顕著に現れるらしい。
他にも類語として”デビュー作にはその作家の全てが詰まっている”なんてのがあり、益々重圧を感じるはずだ。
ザリガニ作家のディーリアもこのプレッシャーを感じたに違いない。それはこの本の構成や中身を読めばわかる。
誰が殺した、何故、どうやって?のミステリーがあると思えば、黒人、貧困白人差別の人種問題があり、湿地の生き物や環境を生き生きと描写する自然小説の魅力深い描写があり、育児放棄家庭暴力の悲劇と少女が自らの資質と数少ないメンターの手で一流の学者に育つ成長小説の高揚感がある。
きっと作者が70年間溜め込んだ、あれも書きたい、これも外せない、の全てが思い入れたっぷりの
宝物のような(カイアが大切に集めた鳥の羽のような)品々なのだろう。
この、全部のせラーメン、てんこ盛り感に、この作品に品がない、とか統一性に欠ける、とかいった
批判、減点要素として上げる批評がごくたまに見受けられるが、以上のディーリアの初作への思いを
考えれば的はずれなものだと知れる。
書く者の立場に立ってみたまえ、初作であるからこそ、初作を世に出すためには、全部のせ、にせざる
負えなかったのだし、世にだせなかったのだ。
むしろ、これだけ盛り込んでも、破綻の無い骨格を作り、きちんとラストには物語をまとめ上げた
作者の苦労と、編集者たち協力者の確かな仕事ぶりをほめたたえるべきだ。
おそらく、本書の修正、校正、推敲には、とんでもなく時間と労力がかかったに違いない。
読者は知らず知らずのうちに、本書に込められたエネルギー、熱、を感じてこの本に惹かれ、
のめり込み、感動するのである。
本とか、映画とか、音楽というものはきっとそういうものに違いない。
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