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読書レビュー アートディレクション 陰翳礼讃

2022-07-15 14:33:40 | アートコラム
書名: 陰翳礼賛 谷崎潤一郎  写真大川裕弘
玉のように半透明に曇った肌が、奥の方まで日の光を吸い取って夢みる如きほの明るさを啣(ふく)んでいる感じ、あの色あいの深さ、複雑さは、西洋のものには絶対見られない。

クリームなどはあれに比べると何と云う浅はかさ、単純さであろう。
だがその色合いも、あれを塗り物の器に入れて、肌の色が辛うじて見分けられる暗がりへ沈めると、ひとしお瞑想的になる。






ひとはあの冷たく滑かなものを口中にふくむ時、あたかも室内の暗黒が一箇の甘い塊になって舌の先で融けるのを感じ、ほんとうはそう旨くないあれでも、味に異様な深みが添わるように思う。。。

この文章は妙齢の女性を愛でる文章ではない なんと 羊羹を賛美する文章なのである
谷崎潤一郎の海外でも深く深くリスペクトされた日本の美の神髄のテキスト:陰翳礼賛。

自分が初めてこの本を読んだときは、まだ志高い建築の学生だった。
文章の各所各所に散りばめられた格調高い美への至言にすっかり畏れかしこまってしまったことはよく記憶している。
まるで文庫本の向こうに美味しんぼの海原雄山がギロ眼で凄んでいるように感じてしまっていたわけだ。
この道に入りたてのペイペイの若者らしい、ほほえましくも情けない体裁であった。うーーーーん。

で、 今回は久々に再読してみた。あの薄いくせに妙に拡張高かった文庫本が、 大川裕弘カメラマンのサライっぽいハイソな写真をふんだんに使ったデザイン色高い装丁で図書館新刊コーナーに並んでいたからだ。

不思議なことに、よりカッコイイ、知的でセンスあふれる装いになったことで、前述の雄山パワーが一層増すのか?と思っていたら、意外なことにあの御高説の数々が、一気に軟化して笑えるものに変わっていた。おっかなかった御大家が、実に身近な存在になってたのだ。
下町の居酒屋の片隅で桝酒片手に割烹着の女将に愚痴垂れている憎めない谷崎潤一郎爺ちゃんの像が浮かんできて、思わず自嘲してしまう。つくづく若いころのオレって権威に弱かったのネ・・・・と




最初の章、「純日本風の家屋を建てて住む場合、近代生活に必要な設備を斥けるわけにはいかず、座敷には不似合いな電線コードやスイッチを隠すのに苦慮し、扇風機の音響や電気ストーブを置くのにも調和を壊してしまう。そのため「私」(谷崎)は、高い費用をかけて、大きな囲炉裏を作り電気炭を仕込み、和風の調和を保つことに骨を折った。」ーーなんてことを得々と語る。

トイレに関しても、「元々の日本の木造の風呂場や厠では、けばけばしい真っ白なタイルは合う筈もない。京都の寺院では、母屋から離れた植え込みの蔭に、掃除が行き届いた厠があり、自然の風光と一体化した風情の中で四季折々のもののあわれを感じ入りながら、朝の便通ができる。漱石先生もそうした厠で毎朝瞑想に耽ながら用を足すのを楽しみにしていた。」。。などと尾籠なはなしを漱石を登場させながら嬉しそうに憤るのだ。まさに酔っ払いの典型である。。やっダぁーーーきったなぁいッーーーって女将さんに怒られる谷崎潤一郎の姿、似合いすぎる!(笑)

いや、別にディスっているのではない、30年ぶりに再読したら、昔の海原雄山が、親しみやすい渥美清みたいになっていて、いい飲みの師匠が出来た。。。みたいに嬉しがっているのですよ、私は。

「センセイ、確かに、羊羹についても 薄暗がりで喰えば旨いのは確かですケドね、木陰でバーベキューにキンキンに冷えたビールも乙なもんですよ、ヨっ!谷純の師匠・・・っ!!」てな具合で。

まことに失礼つかまつりました・・・・


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