「一行怪談」 吉田悠軌 205頁
205ページの薄い文庫本に180編の怪談が詰め込まれている
一行怪談とあるが 短いものは確かに一行だが長いものは3行、4行になっていて、それでも一ページに一篇、文字よりも余白が多かったりする
で、これが短いから怖くないか?というと実はそうでもない。
怪談は長ければ怖くて、良いというモノではない。
怪談で本当にぞ~、っとする部分は長い話でも、その中のごく短い1点のツボだったりして、そのツボが読者(聞き手)の恐怖のブロック塀を崩壊させるのだ
「ついに水は言語を解すようになり、宣戦布告を世界に
伝えた」
この一行を怪談として受け止めるか・
昨日の西日本集中豪雨のヴィジョンと重ねて、世界の終末を予感するのか・
それは読者の感性と、読まれた時の情勢、シチュエーションにより変幻することだろう
「このあいだ山奥に棄ててきた知り合いが、五箱の宅配便で
いま届いた」
「自分が置いた焼香から肉の焼ける臭いが漂いはじめ、
全ての参列者が悲鳴をあげて逃げ出してゆく」
「今すぐ家から出なさいッ!、と電話口のから叫ぶ母の声を
聞きながら、すぐ横でテレビに笑う母の顔を見つめる」
この幾つかの例文のように、一行怪談というモノは怪奇物語とは少々異なる手法とアプローチにより怪談の中に存在する「怪のツボ」に迫ろうとする新しい試みなのだ。
このカタチが、展開する先はすぐにでも連想するようにツイッターやラインという電脳語界に親和性をもち、キャッチコピーやポップにも化けるだろう。
更に楽しいことには、うんこドリルに続く、一行怪談漢字ドリルといった意外な面に飛び出しているという。
小学生のちびっ子が生み出す至高の一行怪談が伝説の逸品となって僕の目の前に現れるのも遠い先では無いに違いない♠
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