推し、燃ゆ
宇佐美りん
JKの推し、も犯罪者の母親の新興宗教への傾倒も同じでは?と期待リンクで読んでみた
全然違うことはないが同一ではないなと印象を受ける
何というか自分の右半分と左半分の存在の類似性と違和感みたいな感じ
装丁の画をいじりながら、そうか この話は
炎上の話で始まっていたのだなと気づく
カバーイラスト ダイスケリチャード
ガーリーなピンクの地に青い糸で空に絡めとられた女子高生
ショートカットの髪に隠れて顔は見えないがスマホで音楽を聴いてうつむいている コートの色は推し、のテーマカラーのブルー
その中のセーターも大きめのリュックもハイカットスニーカーも地よりもやや濃いめのピンク、そして右手に極大の明朝フォントの題字”推し、燃ゆ”も同色ピンクで主張しまくっている このピンクはブルーの補色だ
イラスト作品として、装丁デザインとして、よくできている。
キャッチーでおしゃれでインパクトがある。
宙吊りの女の子は幸せそうにも見える。
しかし、この小説の中身をズバリと提示しているか?と眺めると読後にはちょっと違うよな・・・と残念ながら思う。
この小説はそんなにおしゃれでドリーミーな、そんなお手軽なものではない。
ケータイ文庫賞とかYA書店員推し大賞とかならいざ知らず(ごめんなさい)芥川賞である。
純文学であり、内面の苦悩の心理描写であり、斬新で流麗な修辞の芥川賞なのである。
だから125頁のこの本を最初に読み乗るには結構苦労した、なんだ?この地獄な本は?と
イヤミスとも似て非なる、ノンフィクションなリアルな痛みを伴う小説。
ほんの少しだけ散りばめられた幸福や充足は、しかし、吊り天井の仕掛け部屋の中で天井と壁の質量が徐々に自分を圧迫してくるような重苦しさに、はかなく蒸発してゆく。
上手くいかない学校、うまくいかない家庭、うまくいかない自分の身体と心、
かろうじて蜘蛛の糸のようにすがりつく 推し、の存在。そして、最初から、徐々に詰将棋のように負けてゆく、推し、を推す主人公の生活。
かなりしんどいが、何とか、最後までを短い時間で読み終えることができたのは自分がきっと、この主人公のような 激しい、推しの心情に遠い存在であるからに違いない。
だが、読み終えて冷やりと感じる恐怖は、自分や妻はまあ大丈夫として、娘や息子はこの物語のような推しの日々に囚われてしまわないか?という怖れなのだろう。
そして、しかし、推しのない、或いは推しのいなくなった乾いた日々と、辛いが充足した推しの居る日々、とが、いったいどちらが彼女たちに幸福なのか?というともはや自分にも、きっと宇佐美さんにもわからない。
ただ、微かにトンネルの向こうに光があるとすれば、綿棒の遺骨を拾う主人公の姿とか彼女の友だちの成美が示唆する、いったん落ちるとこまで落ちて、あとは登るしかない諦念まじりのメンタルの切り替わりの予感といったものなのかもしれない。
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