Pixysのポジティブライフ

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教育白書みての感想

2008-11-23 02:48:05 | 学校や教育の話
「たけしの教育白書」ちょっとだけ見てた。
子供がいるから日本の教育について考えることはあるけど、ほんとは対して問題視していない。問題視していないと言うよりは、あてにしていないと言った方が近いかも・・・・?文部省とか教育委員会とか教師とか関係なく、学校は根本的におかしいんだもん。みんな知ってる。それは親の教育とは違うから問題視しない。

いろいろあるけど、例えばうちの学校では「子供だけで買物に行ってはいけない。」という決まりがあるそうだ。「なんで?」と普通の人は思うでしょ。私もそう思う。教育委員会からの通達だろうが、校則だろうが、関係なく無視。
低学年じゃあるまいし、うちの子は一人で本も買えるし、スーパーで魚も卵もお酒も買う。お酒は本人が飲むわけじゃなく、父親が飲むから彼は買いに行くわけで。頼まれたお使いにもよくいく。未成年者に酒を売ってはいけない事になっているけど、知り合いの酒屋なら小学生は買える。まだ小学生だから自分が飲むことはないと判断される。中学生になったらわからないけど。(笑)
5年生なら万引きすると警察に捕まると知っている。お金が大事な事も知っている。責任感もあれば、物の価値もわかるってもんだ。

けど、防犯パトロールというPTAの見回りで店の中に子供がいると「帰りなさい。」と指導しなきゃいけないんだって。私はそんな指導をしたことはないけど。
たまたま、子供が一人で買物に出かけた時に、先生に会ったそうだ。先生は「お使い?気をつけて帰るんだよ。」と言っただけだったそうだ。
そりゃそうだ。家のお使いは良い事の部類に入る。先生だってお使いしている子供をしかれやしない。
多くの親たちや現場の先生が見逃すこの決まりを守る方がおかしいだろ?
なのにどこからきたんだ?その通達は・・・・・。
きっと教育委員会とかから来て、学校は一応そのままそれを親に流しているだけな気がする。だから、現場では守る人もいれば守らない人もいる。守る事もあれば守らない事もあるわけで・・・・それが現実でしょう。
だったら、教育改革ってなに?どこを改革するのだ?最初から従ってないのだから、改革しても無駄なんじゃないかと思うのである。
人によって、「当たり前」「常識」の範囲は違う。多少殴った方がいいと考える人と、絶対殴っちゃいけないという人がいる。
それと同じで、同じ市内に住んでたり学校に通ってってもみんながみんな、同じように生きていく必要はないと思うのだけど。子供によっては悪いことしたくなったりウソばかりついたり反抗してみたくなったり、いじわるしたりもするんだけど、それって当たり前って私は思う。それも成長の過程で、しかられて、苦い、痛い、嫌な思いをしなきゃいつまでたっても人の痛みなどわからない。
逆に自分が被害を受けることもあるだろうから。
幼児のうちは自分で自分の事を考えられないから、親が守るべきだと思うけど、ある程度、なんでもわかる年になったら責任は本人に取らせるべきなんじゃないか。
自分の子供が万引きしたら、一生忘れられないくらい怒ればいい。警察にも思いっきり怒ってもらって、先生にもいっぱい説教してもらって、みんなの前で恥をかけばいい。親はひたすら頭を下げればいい。人に迷惑をかけたのなら、罪をつぐわなきゃいけないこと位、子供のうちから知っておくべきだと思うのだ。

長い時間、生放送で教育白書をやっていたけど、討論は考えるためだけにあるのだと思う。それぞれがそれぞれの立場で話をしなきゃいけないんだから、結論などでやしないのである。みんなが違うんだよ、考え方。そして誰も間違ってないし、誰もが間違っている。
だから普通の家庭では、自分の子供の事に関しては自分の判断でよいと思うんだ。
決してその子が犯罪者になるように育ててるわけではないはずだからね。


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