ジャンヌ・ダルクが拷問を受けた「ジャンヌ・ダルクの塔」
"La Tour Jean d'Arc" ou l'heroine etait menacee de la torture
フランスあちこち (1)ルーアン Rouen
ルーアンは、オート・ノルマンディー地方(La region de Haute-Normandie)の首府です。セーヌ・マリティーム県の県庁所在地でもあり、人口は11万人程度の都市です。県名にある通りセーヌ川沿いの町です。
この都市は、911年に設立されたノルマンディー公国 (Duche de Normandie) の首都として栄えていました。因みに、ノルマンディーの名は、北欧からやってきたノルマン人(ヴァイキング)に由来します。ルーアンは「百の鐘楼が連なる街」(la ville aux 100 clochers)とも呼ばれ、歴史的な宗教建築が多数残っています。
パリのサン・ラザール駅からTGVに乗って西に向かうとと、最速1時間10分くらいで到着します。駅前のジャンヌ・ダルク通り(Rue de Jean d'Arc)を真っすぐに歩いて行くと、セーヌ川に突き当たります。セーヌ河畔は、散歩道が整備されています。
セーヌ河畔の散歩道
この川に架かるジャンヌ・ダルク橋から、歩いて来た道の方角を眺めると、旧市街が広がっています。
セーヌ川から望む旧市街
旧市街の中心には、ルーアン大聖堂(Cathedral de Rouen)が聳えています。その尖塔は、市内のどこかでも見渡せますが、ナントその高さで151メートルもあり、フランスで最も高いそうです。ルーアン大聖堂はフランス・ゴシック建築の最高傑作のひとつですが、工事が始まったのは12世紀で、完成したのは16世紀だったそうです。
ルーアン大聖堂の外観及び内部の様子
大聖堂のすぐ近くには、16世紀に作られたルネサンス様式の大時計があり、で今も正確に時を刻んでいます。
この付近からアミアン通り方面に進んで行くと、木枠の古い家並みが並んでいます。すぐ近くには、14-16世紀に建造されたゴシック建築のサントゥアン修道院付属教会(L’abbaye Saint-Ouen)とか、ゴシック市民建築の傑作と言われるノルマンディー高等法院・裁判所(Palais de Justicer)、市役所(Hotel de Ville) などが建っています。
左から順に、中世の古い家並み、裁判所及び市役所
ところで、私はフランスの英雄「ジャンヌ・ダルク」に関心を抱いていました。特に中世に起った不条理な事件の舞台を、機会があれば是非訪ねたいと思っていました。
百年戦争の頃は、この地はイングランドの領土でしたが、1449年に最終的にフランス領となりました。その英仏の戦いのさなか、救国の少女ジャンヌ・ダルクは、イングランド軍に捉われ、ルーアンで火刑に処されるという悲劇が起こりました。
ジャンヌが幽閉されていたのは、ブーヴルイユ城にある通称「ジャンヌ・ダルクの塔」でした(この記事の冒頭にある写真参照)。この塔の一角には、火刑に処された歴史的事件を記録するモニュメントがありました。
「ジャンヌ・ダルクの塔」の一角にあるモニュメント
書かれている記録の概要は、次の通りです。「1418年以来30年間イングランド軍に占領されていたルーアンを、シャルル7世が1449年11月10日に解放した。その間の1931年5月30日に、ジャンヌ・ダルクは生きたまま火あぶりにされた。」
現在、この内部を見学することができ、ジャンヌのまつわるいろいろな資料を閲覧できます。
「ジャンヌ・ダルクの塔」の内部にあるステンドグラス
ジャンヌが火刑の判決を受けたのは、サン・トゥアン修道院に設けられた仮法廷でした。
サン・トゥアン修道院(現在の市役所のすぐ隣にあります。)
そして、火刑が行われたのはビュー・マルシェ広場ですが、現在ここにはジャンヌ・ダルク博物館があります。後世のことですが、1920年にローマ教皇によってジャンヌは列聖され、聖人となりました。
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