~コロナ後のイタリアの様子(2022.10)~
コロナで海外との行き来が途絶え、また普通に海外旅行に行けるようになるのはいつの日か、と思う日々が続いていましたが、世界では入国制限がどんどん緩和されてきました。ヨーロッパはコロナ前と同様に、パスポートだけで入国が認められるようになったので、3年ぶりの海外旅行で、夫婦でイタリアへ行って来ました。連日好天に恵まれ、日中は半袖でも暑い陽気が続き、イタリアの素晴らしい食、文化、風土、人々に触れることができました。このブログでは、コロナ後のイタリアの状況についてレポートします。
旅の行程
コロナに伴って設けられている帰国の条件
イタリアでの感染対策の状況
街の様子
Andiamo in Italia!~イターリアへ行こう!~
旅の行程
ウクライナ・ロシア戦争が続くなかで、ロシア上空を飛ぶ最短の航路は使えないため、所要時間や料金を考えてターキッシュエアを使ってイスタンブール経由でローマ往復にしました。これだと所謂「南回り」では24時間前後かかる所要時間がかなり短縮され、乗り継ぎ時間を含めて羽田から約18時間でローマに入ることができます(帰路は16時間)。機内はほぼ満席でした。
イスタンブールでの乗り継ぎは深夜でしたが、世界最大の空港は寝静まることなく、3時間近いトランジットの間も楽しむことができました。「西洋と東洋の架け橋」とも称される場所だけあって、空港では様々な民族の人達をたくさん目にしました。
空港内のショッピングエリアは驚くほどスケールが大きい
目玉をあしらったグッズがたくさん売られていた
フードコートでは甘くてずっしりしたお菓子を食べた
イスタンブールから約2時間半でローマのフィウミチーノ空港に到着。心配だった荷物もちゃんと届いていよいよイタリア旅行の始まりです。10月7日(金)の午前中にローマに着いてから、以下の行程でイタリアを巡りました。訪れた町を、簡単に写真で紹介します。
ASSISI/アッシジ(1泊)
フィウミチーノ空港から電車とバスを乗り継いで、聖フランチェスコの聖都、アッシジを訪れました。どこを取っても絵になる素敵な町。神聖な雰囲気が漂う一方で、人気スポットは観光客や巡礼者で大にぎわいでした。
泊まった宿、QUO VADISがあるSanta Maria delle rose通り
ドイツ人女子修道院横の坂道
サンタ・キアーラ広場からの夕景
PERUGIA/ペルージャ(2泊)
アッシジのお隣の町、ペルージャはウンブリア州の州都で大学町でもあります。アッシジと比べると大きな町で人も車も多く、飲食街は夜遅くまで観光客で賑わい、人々の生活が歴史のある古い街の隅々まで息づいていました。
歴史地区の中心「11月4日広場」は遅くまで賑わっていた
紀元前の水道橋の上に作られた遊歩道を歩く
坂の町ペルージャの上と下を繋ぐミニ・メトロは次々とやって来る
AREZZO/アレッツォ(立ち寄り)
ペルージャからフィレンツェへ向かう途中で立ち寄ったトスカーナ州の古都アレッツォは、サン・フランチェスコ教会にある名高いフレスコ画「聖十字架の伝説」を観るのが一番の目的で訪れましたが、落ち着いた佇まいの美しい古い町並みがすっかり気に入ってしまいました。
いくつもあるわき道のなかでもとりわけ目を引いたVia della Bicchieraia
名前の通り明るく広々して居心地のいい「グランデ広場」
FIRENZE/フィレンツェ(2泊)
ルネサンス発祥の地とも云われる花の都フィレンツェは、歴史的建造物が立ち並び、ミュージアムが点在し、町のシンボルのドゥオーモがひときわ美しい存在感を放っています。街中は世界中の観光客で大賑わいしている一方で、中心から少し離れると豊かな自然が広がっていました。
ミケランジェロ広場からはドゥオーモを中心とした歴史地区を見渡せる
日本とは趣の異なるショーウインドウのディスプレイを見るのも楽しい
陽光を浴びてひと際映えるドゥオーモは「花の聖母(Santa Maria del Fiore)」の名を持つ
SAN GIMIGNANO/サン・ジミニャーノ(1泊)
フィレンツェからバスを乗り継いで着いたサン・ジミニャーノは、ブドウ畑の広がる緑豊かな丘陵地帯の上に佇み、林立するいくつもの塔が目を引く中世の姿をそのまま残した小さな町です。のんびり街中を散策し、旅の中休みとしても最適の場所でした。
町の中心のチステルナ広場をホテルの部屋から見下ろす
沢山ある塔のなかでも一番高い"Torre Grossa"の上からの眺め
昼間は観光客で賑わう町も、明かりが灯る頃には静けさを取り戻す
LIVORNO/リヴォルノ(お出かけ)
サン・ジミニャーノからバスと鉄道を乗り継いで行ったピザに宿を取って出かけた海辺の港町リヴォルノ。お目当ての夕陽スポット、マスカーニテラスは、思ったとおりの素敵なところでした。
夕日に照らされた大理石のマスカーニテラス(Terrazza Mascagni)
リヴォルノ名物のシーフード料理、カチュッコ(Caciucco)は元々は漁師メシだった
PASA/ピザ(1泊)
斜塔で名高い町PISAは、日本では「ピサ」と呼ばれていますが、母音に挟まれた"S"は濁るので現地では「ピザ」と呼ばれます。初めて見て登った斜塔は、想像以上に強烈なインパクトがありました。
歴史的建造物が並ぶ広場はその美しさから"Piazza dei Miracoro"(奇跡の広場)と呼ばれる
橋の上から眺めるアルノ川沿いの明るい家並みも美しい
BOLOGNA/ボローニャ(2泊)
今回の旅行で一番北にあるボローニャは世界遺産にも登録されているポルティコ(アーケード)が町じゅうに巡らされたグルメと芸術の町で、名物料理を食べたり、オペラやコンサートを訪れたりしました。お友達のお宅にランチに招ばれ、楽しく美味しくゆったりしたひとときも過ごせました。
街のどこにでもあるポルティコは、それぞれに独自の特徴がある
歴史的建造物が並ぶ街の中心「マッジョーレ広場」
郊外の丘の上に建つサン・ルーカ教会へもポルティコが続いている
ボローニャ市立歌劇場・オペラ公演「アンドレア・シェニエ」 ~2022.10.14~
ボローニャ・聖チェチーリア礼拝堂コンサート(歌とギター) ~2022.10.15~
ドイツ&イタリア旅行2019 ハプニングシリーズ 6の前に…「ボローニャでの一日」
ROMA/ローマ(2泊)
旅の最終目的地ローマへは、ボローニャから高速鉄道.italoで一気に向かいました。一番多く訪れている町ですが、何度訪れても見尽くすことも歩き尽くすこともなく、どこを歩いても遺跡に出くわす世界的観光地は「やっぱりローマはスゴイ!」と言わずにはいられませんでした。
人気スポットのスペイン階段は観光客でいっぱい。階段に座るとすかさず警備員に注意される。
スペイン階段の上から見える教会の鐘楼に夕日が灯った!
泊まった宿の近くにあるアルジェンティーナの遺跡
町はずれの水道橋公園には、紀元前の水道橋の遺構がどこまでも続いていた
コロナに伴って設けられている帰国の条件
日本出国時やイスタンブールでのトランジット、イタリア入国時などの往路は、特別な条件は何もなく、パスポートや搭乗券だけでOKです。
問題は帰国時。条件は緩和されて来ているものの、日本は未だに入国者に以下の条件を日本人・外国人を問わず課しています。
或いは
・出国前72時間以内に検査した陰性証明の提示
僕たちはワクチンを2回接種していますが、効果も定かでないどころか、深刻な副反応が将来に渡って懸念されるワクチンを、この旅行のためだけにもう1回打つ選択肢はありませんでした。そもそも僕たちは8月にコロナに罹患したばかりなので免疫はあるはず。このため、帰国前にローマのクリニックでCovid19の検査を受け、陰性証明をもらいました。簡易検査で結果は2時間後に知らせてくれ、料金は一人15ユーロで済みました。検査についての詳細レポートはこちら。陰性証明をMySOSアプリに登録し、アプリの画面が赤から青に変わればOKです。ワクチンを3回接種していれば、接種証明で簡単に青になるはずです。
陰性証明書を登録して青色に変わったMySOS
※MySOSアプリは11月14日で廃止となり使えなくなり、これに代わるアプリ"Visit Japan Web"が必要となります。日本は、意味のない水際対策はまだまだ続ける気のようですね。。
帰国時、フィウミチーノ空港でのチェックインの際、日本への渡航者はこのMySOS画面の提示に加え、陰性証明書の提示を求められます。原本は必要なく、スクショの画像をスマホで見せればOKです。この陰性証明は、日本政府が求める書式で作成してもらうとスムーズにいきます。帰国時のイスタンブール空港のトランジットでは、奥さんだけなぜか陰性証明書の提示を求められました。
羽田空港着陸時、「MySOS提示の準備をお願いします」という機内アナウンスが入り、飛行機を降りるや、何人ものスタッフが「MySOSアプリをご用意ください」と一斉に呼びかけていました。大勢のスタッフがいてブースも沢山出ています。MySOSはスクショではダメで、アプリを起動して云われた操作で出るチェック用画面を見せます。飛行機の降り口からしばらく列が続きましたが、殆ど待たされることなくスムーズにチェックは済み、あとは通常通りの経路で出口へと向かえました。
羽田空港で飛行機を降りると、これを渡された
これを読んだら日本に帰ってきたことを実感。。(裏面は英語)
イタリアでの感染対策の状況
イタリアでの今の感染対策はどうなっているか、気になる状況をレポートします。その前に、イタリアへ入国するまでのマスクの着用状況をお伝えします。
<飛行機>
羽田で搭乗したターキッシュエアは日本人も多く、日本人の殆どと外国人も多くがマスクを着けていました。客室乗務員もマスクをしていましたが、マスク着用を求める機内アナウンスや掲示等はありませんでした。僕たちも最初はマスクをしていましたが、客室乗務員でマスクを着けずに仕事している人がいたので、必要ないと判断してマスクは外しました。結局その時マスクを外してからは、帰国前日にコロナの検査でクリニックに入るまでの約2週間、マスクは一度もすることなく過ごしました(奥さんは時々着けてました)。
<イスタンブール空港>
マスクしている人はごく少数。それよりも、イスラム教徒で顔全体を覆うブルカやニカブ姿の人の方がよく見かけました。
ここからはイタリアでの状況です。
(マスク)
屋外でも屋内でもほぼ同様に、マスクをしている人はごく少数。電車やバス、地下鉄などではマスクをしている人の率は明らかに高くなります。1車両に7~8人はいたと思います。イタリアでは最近まで公共交通機関を利用する際のマスク着用義務があったためと思われます。この義務は10月から撤廃されたそうです。それでも大方の人はマスクをせず、おしゃべりに興じている人も多くいました。
トスカーナ地方のポッジボンシという駅から乗った電車に、恐ろしいほど大勢の高校生ぐらいの集団が乗り込んできて、車内は足の置き場もないほどのぎゅうぎゅう詰め。少年たちは耳を塞ぎたくなるほど騒がしく、さすがにその時は「もしこの中に感染者がいたら。。。」と思ってしまいました。
アッシジのホテルのオーナーさんがマスクをしていたので、「マスク、した方がいいですか。」と尋ねると”NO”と即答。「自分は、世界中のいろんなところから来るお客さんと接しているのでマスクをしているだけ。」とさらりと話してくれました。つまり、心配な人が個々の判断でマスクをする、というスタンスです。それを他の人にも求めることはありません。自分のことは自分でケアするという認識が定着しているのでしょう。
そもそもヨーロッパではマスクを着ける習慣がなく、花粉対策グッズとしても認識されていません。以前、マスクをすることについてドイツ人の友人に訊ねたら、「マスクをするのは銀行強盗と外科の執刀医だけだ」と云っていました。そんなヨーロッパのイタリアで、少数ながらマスク姿の人を見かけること自体が、コロナの名残と云えそうです。
以前はFFP2マスクの着用が義務付けられていて、それらしきマスクをしている人も見かけましたが、普通の不織布マスクの方が多く見られました。マスクを着けているのはお年寄りとは限らず、若い人もよく見かけました。
いずれにしてもマスクをしている人は少数です。せめてイタリアでは屋内でもマスクを外し、現地の人たちと素顔でたくさんおしゃべりを楽しんでください。言葉がよくわからなくても、素顔同士なら気持ちが通じ合うことも断然多くなります。ペルージャの切り売りピザのお店に入ったとき、お店のおばあさんがにっこり笑って”Giapponese?(日本人?)”と訊いてきたので、”Sì, siamo di Tokyo(はい、東京から来ました)“と答えました。会話はこれだけでしたが、それからおばあさんは益々満面の笑顔で接してくれ、何だか心が温かくなりました。こんな体験があちこちでありました。表情がわかるって素敵なことだと思いませんか。
(消毒液)
お店や飲食店、ホテルの入口の片隅に消毒用のポンプ容器が置いてあるのを見かけることはよくありました。但し、実際に使っている人を見たのは旅行中数回程度。劇場やミュージアム、クリニックに入る際も消毒を求められることはありませんでした。ホテルの朝食バイキングでのビニール手袋なんかどこもなし。食べ物もそのまま剥き出しです。
ワンプッシュでジェル状の消毒液が大量に出た
(アクリルボードなどのパーテーション)
ショップも飲食店も、パーテーションは見かけませんでした。お金のやり取りが発生するようなカウンターではしっかりしたパーテーションで仕切られていることが多いですが、これはコロナ前から設置されているものだと思います。
(検温)
検温が必要だったことは一度もなく、非接触型の体温計もどこにもありませんでした。そもそもこの非接触型の体温計、僕がコロナに罹って39度前後の熱があったときに使ってみたら平熱でした(口に入れたら高熱だった)。こんな当てにならないものを単なるパフォーマンスで使うことのバカらしさをみんな分かっているのでしょう。
イタリアは、ヨーロッパのなかでもコロナの初期に特に深刻な状況に陥り、棺が足りなくなるほどの死者を数えた国、そして長期の厳しいロックダウンを繰り返し経験した国です。それでも、ウイルスが弱毒化して重症化が減っている現状に則してコロナだけを特別扱いすることなく、以前の生活を取り戻しているということなのだと思います。
街の様子
ローマやフィレンツェ、ボローニャなどの大きな町、それよりは控え目なピザやペルージャ、小ぢんまりしたアッシジやサン・ジミニャーノなど、観光地はどこでも世界中からの観光客で大賑わいで活気に溢れていました。
ミュージアムの入口には行列ができ、飲食店も大盛況で、大きくもないテーブルに何人もが身体を寄せ合って座ってお酒を酌み交わし、大きな声で談笑しているシーンをよく見かけました。店員さんも素顔でそんなお客の話に加わったりします。日本だと東京の繁華街だって終電が近づくと閑散としますが(特にコロナ後)、こちらは中小都市でもそんな時刻まで飲食店の中も外のテラス席もいっぱいで賑やかです。ピザのホテルでは、深夜の2時か3時ごろ、外で学生達の大騒ぎがあまりにうるさくて眠れなくて困りました。
こんなシーンのなかに居れば、コロナのことなんか頭から完全に消えてしまいます。コロナ前に訪れたイタリアと違うところは、世界中から大勢集まっている観光客のなかに日本人の姿を殆ど見かけなかったこと。ローマでさえ日本人観光客に会ったのは数回しかありませんでした。
そんな賑やかな街の様子をご覧ください。
飲食&ショッピング街は夜遅くまで大賑わい(ペルージャ)
ミニ・メトロに試乗したら、終点の駅前にあった巨大な絶叫系移動遊園地(ペルージャ)
ウッフィツィ美術館の人気作「プリマヴェーラ(春)」の前はいつも人だかりが出来ていた
ピザのドゥオーモを見学する子供たちも素顔でのびのび楽しそう
いつも混雑しているボローニャのマッジョーレ広場では警官が目を光らせていた
トレヴィの泉の周りは世界中から集まってきた観光客で超過密&大騒ぎ
大勢の観光客がフォロ・ロマーノへ向かう石畳を歩く
Andiamo in Italia!~イターリアへ行こう!~
そんなわけでイタリアはコロナ以前と同じ日常が戻り、「新しい生活様式」なんて存在しないかのように世界中の人達を歓迎しています。イタリア好きの人、外国に行ってみたい人、どこにいてもコロナ禍状態の意識が続く日本が息苦しいと感じている人は、是非イタリアを訪れてください。きっと気持ちが開放されて軽くなり、何でもポジティブ志向になれますよ。
こちらはこれまでイタリアで撮影してきたイタリアの子供たちなどの写真を、名曲?”Andiamo in Italia!"をBGMにスライドショーにしたYouTube動画です。是非視聴してください!
Andiamo in Italia!をYouTubeで視聴する(画像をクリック)
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リアルタイムのレポート、行ったことがないところばかりだったので、ファンタジーを膨らませながら毎日楽しく読んでいました。途中でコメントもしたかったのですが、お仕事を増やしてしまってはと思い旅の終わりまでガマンしていました。ホント、イタリアの人達はみんな陽気で親切ですね。
今日は山に行っていたのですが、下山して温泉に浸かっていたら外国の方がいたので「お国はどちらですか」と尋ねると、何とイターリア!そこからはイタリア語でおしゃべりしました。京都の大学に留学しているトリノの方で、温泉でこんな会話ができるのもイタリア人ならではかな?またイタリアへの郷愁が募りました。
「健康カード」まだ同じの使っているんですね・・・3密なんてももはや意味ないと思うのですが。。
そうそう、「健康カード」同じだ(笑)
それにしても、北イタリアのいろんな写真が懐かしくして見入ってしまいました。ここも歩いた、あそこも歩いたと思い出に浸っています。わたしはいつも冬に行くのですが、夏は暑すぎるし、イタリアはやっぱり秋や春がいいですね。良い季節に行かれてうらやましいご旅行です。