2020年まで、沖縄は気にはなっていたものの、大好きな台湾へ行くときに上空を通過するだけの存在でした。それがコロナのために台湾への渡航が出来なくなり、いつも通過してしまっていた沖縄へ行ってみようと思い、2021年に八重山諸島(石垣島、西表島、竹富島)を訪れたのが初めての沖縄でした。そして翌2022年に沖縄本島を訪れました。この2度の訪問ですっかり沖縄に魅せられ、また訪れたいと思っていました。でも台湾も行きたいし・・・ それで、沖縄と台湾は近いので、1度の旅行で両方を訪れることにしました。今回は、沖縄に2泊して台湾へ渡り、台湾では6泊しました。8泊9日の沖縄&台湾旅行のレポートをお届けします。
2024年3月22日(金)
沖縄陸軍病院 南風原壕群20号
一昨年に初めて沖縄本島を訪れた際は、愛楽園交流会館、平和祈念公園、ひめゆり平和祈念資料館、旧海軍司令部壕といった戦跡を訪れ、多くのことを学びました。今回は短い沖縄滞在でしたが、戦跡や戦後の沖縄の現実を体験できる場所として、昨日の「道の駅かでな」に続いて、今日は朝一で南風原(はえばる)陸軍病院壕を訪れました。
南風原壕群20号壕は、地上戦に備えて南風原町の丘に野戦病院として掘られた30もの壕のなかで唯一見学でき、事前に予約して訪れました。南風原町の町中から緑豊かな丘を上ったところ、静かな森のなかに壕の入口がありました。
入口で受付を済ませ、ヘルメットを貸してもらい(懐中電灯も必要で無料で貸してくれるけれど、ヘッドライトを持参)、案内役の松井さんの誘導で壕へ入って行きます。ツアー参加者は僕たち2人だけで、貸切りのプライベートツアーになりました。壕の中は湿気が多く、外よりも蒸し暑さを感じました。
壕を掘ったツルハシ「過酷な条件での強制労働だった」
発掘された衣料品類「米軍に使われないように埋めたのではと思われる」
真っ暗闇の壕をライトを照らしてゆっくり進んで行きます。写真には写っていませんが、米軍による火炎放射の跡という黒い焦げ跡を示してもらいました。
壕のほぼ中央付近は19号壕と21号壕との交差地点で、それまでより多少広いスペースがありました。
「ここに手術台が置かれ、ろうそくの明かりだけで手術が行われていました。麻酔なしで手や足を切断された負傷兵は痛みで気絶するほどでした。」
南風原壕群20号壕の見取り図
「次々に送り込まれてくる負傷兵で自力で動くことが出来なくなった者は、青酸カリの入った牛乳を飲まされ、それが底を尽くと銃殺されていきました。」
松井さんの言葉が胸に突き刺さります。
壕の出口の手前で松井さんに促されて全員ライトを消灯しました。光の全くない暗闇に、松井さんの声だけが耳に入ってきます。
「収容された負傷兵、医師や看護婦、サポートの人達は、この闇の中で過ごしていました。動員されたひめゆり学徒隊の生徒達が、勉強しようと持ち込んだ筆記具や文具も見つかっています。」
真っ暗な壕のなかは負傷兵で溢れ、むせるほどの異臭が漂い、劣悪な衛生状態でまともな医療行為も食事も受けられず死んでいく兵士達を間近にした無力感や絶望、いつ米兵が攻めてくるかという恐怖に押しつぶされる極限の状況だったことを思うと、言葉が出ません。真っ暗闇のなかで聞く話が、一層心の底に重く響いて来ました。
壕を出たあと、周辺の戦跡を案内してもらいました。「陸軍病院の仮埋葬地」という看板が立つ場所には穴が残っていて、看板には以下のような説明が記されていました。
「…戦闘が激しくなると丁寧に埋葬する時間がないため、砲弾などの攻撃で出来た穴に遺体を入れるだけの埋葬になりました。そのほかにも、攻撃で出来た穴は手術で切断した手足や糞尿などの汚物を捨てる場所などに使用されたようです。」
附近には崩落で入ることができなくなったいくつもの壕の一部が残されています。ここは第24号壕の入口だそうです。
鐘と記念碑が建つ場所で、松井さんはこれを建てた人達の思いや戦争放棄を謳った憲法第9条の精神について話してくれました。僕たちも、そうした思いを噛みしめて「鎮魂と平和の鐘」を鳴らし、祈りました。
裏側の碑文を読む
ホームページには見学時間は30分と書かれていましたが、松井さんは僕たちの今日のこれからの予定を確認したうえで1時間近くかけてとても丁寧に案内してくださいました。伺ったお話し、壕の中を歩いてこの目で見て肌で感じたことは貴重な体験となりました。沖縄の人達が負わされたあまりにも重く不条理な痛みを決して忘れてはいけないという思いを強くしました。更には、以前ブログに書いた、あんな戦争を誰が始めたのか?という視点で戦争を考えることが大切だという思いも新たにしました。
NHK朝の連ドラ「エール」を観て戦争を考える
壕の見学予約は以下のサイトからすることが出来ます。南風原壕は多くの人達に訪れてもらいたい貴重な戦跡です。
南風原壕群20号壕の見学案内
沖縄① 道の駅かでな~沖縄の基地問題を思う~
沖縄② 読谷村を巡る(やちむんの里、座喜味城跡、残波岬)
沖縄④ 琉球王国時代の遺産を訪ねる(中城城跡、中村家住宅、識名園)
やっと来れた台湾 ~台湾リベンジ旅行2023~ (その1)台北、三義、台中
優しい台湾 ~三峡で出会ったおじいさん(台湾人の優しさを考える)~
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南風原壕群20号壕は、地上戦に備えて南風原町の丘に野戦病院として掘られた30もの壕のなかで唯一見学でき、事前に予約して訪れました。南風原町の町中から緑豊かな丘を上ったところ、静かな森のなかに壕の入口がありました。
入口で受付を済ませ、ヘルメットを貸してもらい(懐中電灯も必要で無料で貸してくれるけれど、ヘッドライトを持参)、案内役の松井さんの誘導で壕へ入って行きます。ツアー参加者は僕たち2人だけで、貸切りのプライベートツアーになりました。壕の中は湿気が多く、外よりも蒸し暑さを感じました。
発掘された衣料品類「米軍に使われないように埋めたのではと思われる」
真っ暗闇の壕をライトを照らしてゆっくり進んで行きます。写真には写っていませんが、米軍による火炎放射の跡という黒い焦げ跡を示してもらいました。
壕のほぼ中央付近は19号壕と21号壕との交差地点で、それまでより多少広いスペースがありました。
「ここに手術台が置かれ、ろうそくの明かりだけで手術が行われていました。麻酔なしで手や足を切断された負傷兵は痛みで気絶するほどでした。」
南風原壕群20号壕の見取り図
「次々に送り込まれてくる負傷兵で自力で動くことが出来なくなった者は、青酸カリの入った牛乳を飲まされ、それが底を尽くと銃殺されていきました。」
松井さんの言葉が胸に突き刺さります。
壕の出口の手前で松井さんに促されて全員ライトを消灯しました。光の全くない暗闇に、松井さんの声だけが耳に入ってきます。
「収容された負傷兵、医師や看護婦、サポートの人達は、この闇の中で過ごしていました。動員されたひめゆり学徒隊の生徒達が、勉強しようと持ち込んだ筆記具や文具も見つかっています。」
真っ暗な壕のなかは負傷兵で溢れ、むせるほどの異臭が漂い、劣悪な衛生状態でまともな医療行為も食事も受けられず死んでいく兵士達を間近にした無力感や絶望、いつ米兵が攻めてくるかという恐怖に押しつぶされる極限の状況だったことを思うと、言葉が出ません。真っ暗闇のなかで聞く話が、一層心の底に重く響いて来ました。
壕を出たあと、周辺の戦跡を案内してもらいました。「陸軍病院の仮埋葬地」という看板が立つ場所には穴が残っていて、看板には以下のような説明が記されていました。
「…戦闘が激しくなると丁寧に埋葬する時間がないため、砲弾などの攻撃で出来た穴に遺体を入れるだけの埋葬になりました。そのほかにも、攻撃で出来た穴は手術で切断した手足や糞尿などの汚物を捨てる場所などに使用されたようです。」
附近には崩落で入ることができなくなったいくつもの壕の一部が残されています。ここは第24号壕の入口だそうです。
鐘と記念碑が建つ場所で、松井さんはこれを建てた人達の思いや戦争放棄を謳った憲法第9条の精神について話してくれました。僕たちも、そうした思いを噛みしめて「鎮魂と平和の鐘」を鳴らし、祈りました。
裏側の碑文を読む
ホームページには見学時間は30分と書かれていましたが、松井さんは僕たちの今日のこれからの予定を確認したうえで1時間近くかけてとても丁寧に案内してくださいました。伺ったお話し、壕の中を歩いてこの目で見て肌で感じたことは貴重な体験となりました。沖縄の人達が負わされたあまりにも重く不条理な痛みを決して忘れてはいけないという思いを強くしました。更には、以前ブログに書いた、あんな戦争を誰が始めたのか?という視点で戦争を考えることが大切だという思いも新たにしました。
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壕の見学予約は以下のサイトからすることが出来ます。南風原壕は多くの人達に訪れてもらいたい貴重な戦跡です。
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沖縄② 読谷村を巡る(やちむんの里、座喜味城跡、残波岬)
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