8月1日(土)北爪道夫指揮 アンサンブル・オレイユ
~第21回定期演奏会~
東京オペラシティリサイタルホール
【曲目】
1.ニールセン/狂詩曲風序曲「フェロー諸島への幻想の旅」
2.ショスタコーヴィチ/バルシャイ編/室内交響曲Op.83a
3.ニールセン/交響曲第5番
現代曲を中心に高度な演奏技術を要するプログラムで挑んでくるハイレベルのアマチュア室内オーケストラ、アンサンブル・オレイユの定期演奏会を聴くのは毎年の真夏の楽しみのひとつ。そのオレイユが、今回の定期ではニールセンとショスタコという少々「正統的な」曲目を並べたと思いきや、聴いてみればやはりオレイユならではの選曲だったと納得することになった。技術的な難しさに立ち向かう姿勢だけではなく、熱いメッセージが胸に迫ってきた。
一曲目、ニールセンの「フェロー諸島への幻想の旅」から瑞々しい好演を聴かせてくれた。楽器が良く鳴りアンサンブルがクリアに響き、この音楽が描写する光景を生き生きと伝え、幸先いいスタートとなった。
続くショスタコの室内交響曲は、弦楽四重奏曲第4番を名匠ルドルフ・バルシャイがオーケストラ用に仕立てた作品。プログラムノートによれば「ユダヤ音楽の音調が随所で用いられている」ということだが、全体から湿感を伴った叙情性が感じられる曲。オレイユはこの音楽に込められた感情を奥底からたっぷりと歌い上げ、熱いエモーショナルな血を感じさせた。弦楽アンサンブルのしっとりと濃厚な調べにも魂がこもり、第2楽章冒頭に出てくるオーボエの長いソロをはじめ、ソロパートの上手さがバルシャイのアレンジを引き立てていた。
演奏会後半はニールセンの第5シンフォニー。聴くのは恐らく初めてだが、衝撃的とも言えるほどに心を揺さぶられた。毎年、難曲を鮮やかで切れ味の良い演奏で印象づけるオレイユは、去年もそれだけではない熱いものを伝えてきたが、燃焼度が更に高ければもっとスゴい演奏になると感じるときもある。それが今夜の演奏、とりわけこのニールセンのシンフォニーでは、プレイヤーが全身全霊でぶつかってくる本気度がガンガンと伝わってきて身震いを覚えるほどだった。
プログラムノートを読んでいて、この曲が第1次世界大戦の不穏な空気を反映した音楽だと知ったが、演奏を聴いていたら戦争の不安が音もなく少しずつ忍び寄ってくる今の日本の状況が重なってしまった。
穏やかな表情の中に暗い影を落とす第1楽章の前半に続き、小太鼓に先導されたマーチが戦争の不安を掻き立てる。これに続く抒情的な音楽は平和への希求だろうか。オレイユの演奏からは、何かにすがるように一心に祈る姿が伝わってきた。弦の熱い吐息がとりわけ胸に迫ってきた。
そこにまたさっきのマーチで登場した小太鼓が、今度は突如狂ったように執拗に、破壊的な連打を始める。このシンフォニーの最大の聴かせどころではないだろうか。その前の祈りをずたずたに引き裂くような異質で情け容赦ない破壊性に寒気さえ感じた。 この小太鼓にはアドリブで演奏する指示があるというが、小太鼓の意を決した果敢なパフォーマンスは見事だった。その前の「祈り」が深く本物の祈りだっただけに、その対比の残酷さが胸に突き刺さるようだった。希望のともし火が消え入るようなクラリネットの最後の吐息が悲し過ぎた。
第2楽章は威圧してくるモノに抗う葛藤の音楽に聴こえた。オレイユのメンバーが一丸となって光を見出そうと闘っている様子からは、全てのエネルギーを出し切る完全燃焼を感じた。いくつもの楽想が現れ、複雑に展開していくこの音楽は、しかしそうした気合いだけで表現し切れるものではない。いくつものパーツが有機的につながり、積み上がって行って巨大な塊となって迫ってくる演奏に仕上げられるところに、長年北爪氏のもとに鍛え上げられてきたオレイユの底力がある。
こうして築き上げられたクライマックスだが、ベートーヴェンの第5シンフォニーのような勝利への道のりというより、どんなに歯を食いしばって頑張って闘っても真の幸福を得られることはない虚しさが残るのは、この音楽が本来持っている宿命のようにも感じ、それを表現したオレイユの演奏からは一層の凄みを感じた。
アンサンブル・オレイユ 第20回定期演奏会~2014.7.26~
~第21回定期演奏会~
東京オペラシティリサイタルホール
【曲目】
1.ニールセン/狂詩曲風序曲「フェロー諸島への幻想の旅」
2.ショスタコーヴィチ/バルシャイ編/室内交響曲Op.83a
3.ニールセン/交響曲第5番
現代曲を中心に高度な演奏技術を要するプログラムで挑んでくるハイレベルのアマチュア室内オーケストラ、アンサンブル・オレイユの定期演奏会を聴くのは毎年の真夏の楽しみのひとつ。そのオレイユが、今回の定期ではニールセンとショスタコという少々「正統的な」曲目を並べたと思いきや、聴いてみればやはりオレイユならではの選曲だったと納得することになった。技術的な難しさに立ち向かう姿勢だけではなく、熱いメッセージが胸に迫ってきた。
一曲目、ニールセンの「フェロー諸島への幻想の旅」から瑞々しい好演を聴かせてくれた。楽器が良く鳴りアンサンブルがクリアに響き、この音楽が描写する光景を生き生きと伝え、幸先いいスタートとなった。
続くショスタコの室内交響曲は、弦楽四重奏曲第4番を名匠ルドルフ・バルシャイがオーケストラ用に仕立てた作品。プログラムノートによれば「ユダヤ音楽の音調が随所で用いられている」ということだが、全体から湿感を伴った叙情性が感じられる曲。オレイユはこの音楽に込められた感情を奥底からたっぷりと歌い上げ、熱いエモーショナルな血を感じさせた。弦楽アンサンブルのしっとりと濃厚な調べにも魂がこもり、第2楽章冒頭に出てくるオーボエの長いソロをはじめ、ソロパートの上手さがバルシャイのアレンジを引き立てていた。
演奏会後半はニールセンの第5シンフォニー。聴くのは恐らく初めてだが、衝撃的とも言えるほどに心を揺さぶられた。毎年、難曲を鮮やかで切れ味の良い演奏で印象づけるオレイユは、去年もそれだけではない熱いものを伝えてきたが、燃焼度が更に高ければもっとスゴい演奏になると感じるときもある。それが今夜の演奏、とりわけこのニールセンのシンフォニーでは、プレイヤーが全身全霊でぶつかってくる本気度がガンガンと伝わってきて身震いを覚えるほどだった。
プログラムノートを読んでいて、この曲が第1次世界大戦の不穏な空気を反映した音楽だと知ったが、演奏を聴いていたら戦争の不安が音もなく少しずつ忍び寄ってくる今の日本の状況が重なってしまった。
穏やかな表情の中に暗い影を落とす第1楽章の前半に続き、小太鼓に先導されたマーチが戦争の不安を掻き立てる。これに続く抒情的な音楽は平和への希求だろうか。オレイユの演奏からは、何かにすがるように一心に祈る姿が伝わってきた。弦の熱い吐息がとりわけ胸に迫ってきた。
そこにまたさっきのマーチで登場した小太鼓が、今度は突如狂ったように執拗に、破壊的な連打を始める。このシンフォニーの最大の聴かせどころではないだろうか。その前の祈りをずたずたに引き裂くような異質で情け容赦ない破壊性に寒気さえ感じた。 この小太鼓にはアドリブで演奏する指示があるというが、小太鼓の意を決した果敢なパフォーマンスは見事だった。その前の「祈り」が深く本物の祈りだっただけに、その対比の残酷さが胸に突き刺さるようだった。希望のともし火が消え入るようなクラリネットの最後の吐息が悲し過ぎた。
第2楽章は威圧してくるモノに抗う葛藤の音楽に聴こえた。オレイユのメンバーが一丸となって光を見出そうと闘っている様子からは、全てのエネルギーを出し切る完全燃焼を感じた。いくつもの楽想が現れ、複雑に展開していくこの音楽は、しかしそうした気合いだけで表現し切れるものではない。いくつものパーツが有機的につながり、積み上がって行って巨大な塊となって迫ってくる演奏に仕上げられるところに、長年北爪氏のもとに鍛え上げられてきたオレイユの底力がある。
こうして築き上げられたクライマックスだが、ベートーヴェンの第5シンフォニーのような勝利への道のりというより、どんなに歯を食いしばって頑張って闘っても真の幸福を得られることはない虚しさが残るのは、この音楽が本来持っている宿命のようにも感じ、それを表現したオレイユの演奏からは一層の凄みを感じた。
アンサンブル・オレイユ 第20回定期演奏会~2014.7.26~