11月22日(金)ジャン=ギアン・ケラス(Vc)
~杉並公会堂開館10周年記念~
杉並公会堂
【曲目】
1.バッハ/無伴奏チェロ組曲第1番ト長調 BWV1007
2.バッハ/無伴奏チェロ組曲第2番 ニ短調 BWV1008
3.バッハ/無伴奏チェロ組曲第3番 ハ長調 BWV1009
4.バッハ/無伴奏チェロ組曲第4番 変ホ長調 BWV1010
5.バッハ/無伴奏チェロ組曲第5番 ハ短調 BWV1011
6.バッハ/無伴奏チェロ組曲第6番 ニ長調 BWV1012
【アンコール】
1. クルターク/シャドウ
2. デュティユー/ザッハーの名による3つのストローフより
2013年に聴いたジャン=ギアン・ケラスのリサイタでは、その崇高な世界にすっかり魅了された。そのケラスが、バッハの無伴奏を一夜で全曲、しかも杉並公会堂という音響の良い中規模ホールでS席でも4500円で聴けるのは願ってもないチャンス!と奥さんも誘って出かけた。左右は結構空席が目立つ。公共団体でもコンサートを盛り上げるためにもう少し集客の努力をした方がいいのでは。
2度の休憩を挟み、1番から順に2曲ずつ演奏されたこの演奏会は、聴かなければ絶対にもったいない素晴らしい内容だった。まず有名な第1番のプレリュードが、温かく語りかけるように始まった。ケラスの奏でるバッハは、気負いがなく等身大の姿で親密。その語り口は自然な息遣いを活かしながら、乱れのない一本の線を、長く遠くへと繋げて行き、美しいフォルムを描く。
シビアな第2番も妙に深刻ぶることなく、しかし心の奥底に静かに語りかけてくる。思わずハッとするのが、リピートして2度目に現れるフレーズの表情の豊かさ。ケラスはリピートでの演奏効果を、音楽の流れの中で的確に捉えている。それは、リピートの後は内省的に奏するといった常套手段でなく、実に様々な表情で1度目に奏されるフレーズと緊密に結び付く。自然体の演奏がここまで雄弁に語ってくる秘密はこういうところにあるのだろう。また、ジーグなどハイテンポの楽曲での、天空を駆け抜けるような軽やかさと、じっくり聴かせるところのたっぷりした歌の対比も素晴らしい。第3番のサラバンドなど、低弦をビンビン震わせて朗々と奏でる響きの包容力はまさに低音の魅力。
プログラムも後半に入った第4番、快活な音楽だと思っていたプレリュードから、じっくりと熟成された深みと味わいが伝わってきた。続く楽曲からも思索的で瞑想的な空気を感じ、それは次の第5番へと繋がる。バッハの6つの無伴奏チェロ組曲は、番号を追うに連れて演奏の難易度が高くなるとプログラムノートに記されていたが、難易度が上がると同時に音楽の内面性も増してくることが、ケラスの演奏からはリアルに伝わってきた。5番では、明らかに重心が低くなり、一つ一つのメッセージの重み、深さが伝わってくる。聴いていて思わず姿勢を正してしまう真摯な語りかけ。
そして最後の第6番。連続する高音域のフレーズがもたらす並々ならぬ緊張感、緊迫感に圧倒された。そこからは、能舞台の最も緊迫が高まるスピリチュアルな孤高の世界に通じるものを感じた。ケラスは、超絶技巧を要すると言われるこの曲の演奏の困難さを感じさせることなく、正確な音程と柔軟で滑らかな運指、運弓で、自由闊達に、崇高ではあるけれど大上段に構える姿勢ではなく、前半と変わらず、親しみの眼差しを宿していた。
正味2時間に及ぶリサイタル、バッハのシビアな音楽をこれだけまとめて聴き続けたが、全く疲れを感じることはなく、もっともっと聴いていたかった。それはケラスの演奏の「気負いのなさ」に起因しているのだろう。
ケラスも全く疲れを見せず、アンコールを2曲演奏してくれた。ここではまたバッハでは聞かなかった表情や音色を届けてくれ、このチェリストの底知れず多様な魅力を改めて感じることともなった。
ジャン=ギアン・ケラス 無伴奏チェロリサイタル 2013.11.22 東京オペラシティタケミツメモリアル
~杉並公会堂開館10周年記念~
杉並公会堂
【曲目】
1.バッハ/無伴奏チェロ組曲第1番ト長調 BWV1007
2.バッハ/無伴奏チェロ組曲第2番 ニ短調 BWV1008
3.バッハ/無伴奏チェロ組曲第3番 ハ長調 BWV1009
4.バッハ/無伴奏チェロ組曲第4番 変ホ長調 BWV1010
5.バッハ/無伴奏チェロ組曲第5番 ハ短調 BWV1011
6.バッハ/無伴奏チェロ組曲第6番 ニ長調 BWV1012
【アンコール】
1. クルターク/シャドウ
2. デュティユー/ザッハーの名による3つのストローフより
2013年に聴いたジャン=ギアン・ケラスのリサイタでは、その崇高な世界にすっかり魅了された。そのケラスが、バッハの無伴奏を一夜で全曲、しかも杉並公会堂という音響の良い中規模ホールでS席でも4500円で聴けるのは願ってもないチャンス!と奥さんも誘って出かけた。左右は結構空席が目立つ。公共団体でもコンサートを盛り上げるためにもう少し集客の努力をした方がいいのでは。
2度の休憩を挟み、1番から順に2曲ずつ演奏されたこの演奏会は、聴かなければ絶対にもったいない素晴らしい内容だった。まず有名な第1番のプレリュードが、温かく語りかけるように始まった。ケラスの奏でるバッハは、気負いがなく等身大の姿で親密。その語り口は自然な息遣いを活かしながら、乱れのない一本の線を、長く遠くへと繋げて行き、美しいフォルムを描く。
シビアな第2番も妙に深刻ぶることなく、しかし心の奥底に静かに語りかけてくる。思わずハッとするのが、リピートして2度目に現れるフレーズの表情の豊かさ。ケラスはリピートでの演奏効果を、音楽の流れの中で的確に捉えている。それは、リピートの後は内省的に奏するといった常套手段でなく、実に様々な表情で1度目に奏されるフレーズと緊密に結び付く。自然体の演奏がここまで雄弁に語ってくる秘密はこういうところにあるのだろう。また、ジーグなどハイテンポの楽曲での、天空を駆け抜けるような軽やかさと、じっくり聴かせるところのたっぷりした歌の対比も素晴らしい。第3番のサラバンドなど、低弦をビンビン震わせて朗々と奏でる響きの包容力はまさに低音の魅力。
プログラムも後半に入った第4番、快活な音楽だと思っていたプレリュードから、じっくりと熟成された深みと味わいが伝わってきた。続く楽曲からも思索的で瞑想的な空気を感じ、それは次の第5番へと繋がる。バッハの6つの無伴奏チェロ組曲は、番号を追うに連れて演奏の難易度が高くなるとプログラムノートに記されていたが、難易度が上がると同時に音楽の内面性も増してくることが、ケラスの演奏からはリアルに伝わってきた。5番では、明らかに重心が低くなり、一つ一つのメッセージの重み、深さが伝わってくる。聴いていて思わず姿勢を正してしまう真摯な語りかけ。
そして最後の第6番。連続する高音域のフレーズがもたらす並々ならぬ緊張感、緊迫感に圧倒された。そこからは、能舞台の最も緊迫が高まるスピリチュアルな孤高の世界に通じるものを感じた。ケラスは、超絶技巧を要すると言われるこの曲の演奏の困難さを感じさせることなく、正確な音程と柔軟で滑らかな運指、運弓で、自由闊達に、崇高ではあるけれど大上段に構える姿勢ではなく、前半と変わらず、親しみの眼差しを宿していた。
正味2時間に及ぶリサイタル、バッハのシビアな音楽をこれだけまとめて聴き続けたが、全く疲れを感じることはなく、もっともっと聴いていたかった。それはケラスの演奏の「気負いのなさ」に起因しているのだろう。
ケラスも全く疲れを見せず、アンコールを2曲演奏してくれた。ここではまたバッハでは聞かなかった表情や音色を届けてくれ、このチェリストの底知れず多様な魅力を改めて感じることともなった。
ジャン=ギアン・ケラス 無伴奏チェロリサイタル 2013.11.22 東京オペラシティタケミツメモリアル