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足繁く通う演奏会の感想等でクラシック音楽を追求/面白すぎる台湾/イタリアやドイツの旅日記/「ドイツ留学相談室」併設

お客のマナーはいい?悪い? ~日独墺 聴衆比較~

2009年07月12日 | ウィーン&ベルリン 音楽の旅 2009
初めてヨーロッパでクラシック音楽の公演に接したのはもう四半世紀以上も前、卒業旅行で訪れたウィーンで観たフォルクス・オーパーの「ジブシー男爵」だった。歌手のアドリブと思われるセリフに会場がドッと笑い、上演中にあちこちから大きな音で鼻をかむ「プーッ」という音が聞こえ、時にはおしゃべりも聞こえてくる。かしこまらずに公演を娯楽として楽しんでいる雰囲気。なんだか下町の芝居小屋という雰囲気を感じた。そうした肩肘張らずにリラックスして公演を楽しむ「本場」の会場の空気を今回の旅行で通った演奏会やオペラで改めて感じた。

当意即妙なお客の反応
例えばベルリンで聴いたフロレスタン・トリオの演奏会、アイヴスの曲芸的で手に汗握るスリリングなアンサンブルが展開される第2楽章が終わると、楽章間にも関わらずどよめきと共に拍手が自然に沸き起こる。この反応に演奏者も「してやったり!」という表情でニンマリする。会場とステージの一体感が強まり、続くしっとりとした第3楽章がより深みを増して聴こえてきた。

ウィーンで聴いたハイドンのオラトリオ「トビアの帰還」には、華やかなアリアが散りばめられているが、オペラではないのでこっちとしては拍手で中断されずに静かに聴き進みたいところなのだが、特にコロラトゥーラを駆使した難易度の高いアリアを見事に歌い終わったときには、そこで必ず拍手が沸き起こる。
オペラ公演でのブラボーの叫びはロックコンサート並みの大歓声が轟く。聴衆が本当にプライベートな気持ちでお気に入りの歌手に拍手を送り、歓声を送る。

こんなストレートに反応する聴衆の中にいると、普段日本ではあまり表情を変えずに拍手を送っている自分も、自然に顔が緩み拍手する手もより高く上がって、「こっちを見て!」という気持ちでよりアクティヴに感動を伝えてしまう。演奏者とお客の一体感、お客同士で感動を共有する度合いが、日本に比べてはるかに強いことを感じる。

小澤の「エフゲニ・オネーギン」終幕後のカーテンコール

読めない?日本の聴衆の静かさ
来日した演奏家へのインタビューで「日本の聴衆をどう思うか」という質問に、演奏中の客席の静かさに驚いたとコメントするのをよく良く耳にする。演奏中に殆どお客の反応がない日本の会場で演奏していると、日頃ストレートな反応に慣れている演奏者は「いったいどう感じているんだろうか」と不安になるのかも知れない。演奏が終わり、温かい、或いは日本だって時には起こる熱狂的な拍手やブラボーを聞いて初めて「ああ、感動してくれたんだ…」とホッとする、ということも多いのではないだろうか。

演奏中からお客の反応を肌で感じられるヨーロッパでは、演奏者はライブのステージに立ったときに客席の空気を敏感に感じ取りその空気に応えることができる。するとそれに対して客席からまたリアクションがあり… こうしてステージと客席との心の対話が両者の間の一体感を育み、それが演奏者のテンションを高め、聴くほうの気持ちを盛り上げるのだろう。

若い演奏家がステージで場数を踏むことの大切さはよく言われるが、こうした聴衆とのストレートな交感が行われる環境の中で実演を重ねることができる演奏家は、そこから聴衆とのコミュニケーションの術を学び、どんな演奏が聴き手の心に響くかを感じ取り、感性と技を磨いて行けるのだと思う。

Beethoven im Konzerthaus Wien

「本場」の聴衆は騒がしい?
一方で客席の「雑音」が気になるのもヨーロッパ。演奏中も平気で鼻をかんだり、お隣同士でおしゃべりをする。特にオペラの公演ではそれが顕著。とにかく演奏には集中して聴き入りたい僕としては隣の人の鼻息も気になるし、おしゃべりされては気が散るなんてもんじゃあない。

日本では隣りの音が気になるとパンフレットなどを耳の近くに立てて隣の音が聞こえないようにするのだが、外国ということもあって最初は気後れして我慢していたが、どうにも耐えられなくなって日本と同じように「衝立」を立てた。これでノイズはカットできたが、ずっとパンフレットを耳元まで持ち上げ続けていたのでひどく肩が凝ってしまった。

中にはおしゃべりしている方を怖い顔して睨んでいる人もいたし、早々にチケットが売り切れた「ラインの黄金」ではお客はとても静かだったので、あちらにも気合いで演奏会に臨む僕と同類の人種はいるのだろう。ただ、娯楽として音楽を楽しみにくる人達の割合が日本よりかなり多いので、肩肘張らずに音楽を楽しむという土壌が出来上がり、そうした土壌が演奏家と聴衆双方が成長しているというのも事実。

Götz Friedlich
in der Deutschen Oper Berlin

それにしても、チケット争奪戦となった超人気のアバド/ベルリン・フィルの公演の休憩時間での騒々しさにはびっくりした。とにかくみんな隣の人とのおしゃべりに興じている。休憩時間が終わってオケの団員がステージに戻ってきてもおしゃべりは静まる様子はないし、コンマスが立ち上がってチューニングの合図を始めても会場は相変わらず賑やか。たまりかねたコンマスが客席に向かって「静かにして!」と弓で合図を送る始末。

伝説の名演は日本で生まれる?
日本でアバド/ベルリン・フィルの公演があろうものなら、チューニングが始まる前から水を打ったように会場は静まりかえり、衣擦れの音すら聴こえない静寂に支配されるだろう。オケのメンバーはきっと「この静けさはなんなんだ?」とびっくりし、並々ならぬお客の集中力と期待を身をもって感じ、地元の演奏会ではないような緊張感と共にテンションの高い演奏を実現する、という逆の効果が生まれることもあり得る。

最近では2006年のアバド指揮ルツェルン祝祭管弦楽団の東京公演や、過去に遡れば今では伝説となっている1975年のベーム/ウィーン・フィル来日時の神がかり的な超名演も(テレビでしか見れなかったが…)、そんな独特な日本の会場の雰囲気が実現させた奇跡の瞬間だったのかも知れない。

但し、こうした名演を生み出すオーケストラを育んできたのはウィーンやベルリンの聴衆だということは忘れてはいけないだろう。

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2 コメント

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Re: 聴衆マナー (pockn)
2009-07-14 00:43:59
mamebitoさん、ドイツでのご自身の体験を踏まえてのコメントをくださりありがとうございます。「心理的に舞台に近いところで聴いている雰囲気…」まさにそういう感じですね。私はドイツ語圏しか演奏会やオペラは経験していませんが、イタリアあたりだと両者の緊密度はまた更に強まるのでしょうね。

>自宅でオーディオを聴く延長線上のような騒音

はいはい、私の場合、騒音ではなく目障りな光景(指揮を始める、ピアノを弾いているつもりで指をパタパタさせる)等に出くわしたことがあります。これはすぐにやめて頂きました。。。
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聴衆マナー (mamebito)
2009-07-12 12:08:59
pocknさん、お久しぶりです。ウィーンとベルリンの素晴らしい音楽旅行の連載、楽しく拝見していました。
私も昨年9月に独墺を旅しました。ベルリン芸術週間とゲヴァントハウス定期しか聴けませんでしたが、書かれているとおりベルリンでは隣人が気軽に話しかけてくるし終演後はあいさつを交わすし、会場のフランクな一体感には戸惑いつつも感動を覚えました。数年前フィルハーモニーでは階段にしゃがみこんで鑑賞する人もいましたが、さすがにそれは評判悪く規制されたようですね。
向こうの騒音は多いですが、大半の人は心理的に舞台に近いところで聴いている雰囲気があって悪い気はしませんでした。日本では目の前の演奏者と隔絶した、自宅でオーディオを聴く延長線上のような騒音が多くて(「頼むからそこは静かにしてくれ」というような…)、それも日独の違いかと思っています。
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