7月24日(金)ライプツィヒ弦楽四重奏団と紀尾井シンフォニエッタ東京の名手たちによる
「真夏の夜のメンデルスゾーン」
紀尾井の室内楽 vol.17 <クァルテットの饗宴2009>
紀尾井ホール
【曲目】
1.ハイドン/弦楽四重奏曲第77番ハ長調 Op.76-3 Hob.III-77「皇帝」
2. ベートーヴェン/弦楽四重奏曲第9番ハ長調 Op.59-3 「ラズモフスキー第3番」
3. メンデルスゾーン/弦楽八重奏曲変ホ長調 Op.20
【共演】紀尾井シンフォニエッタ東京 メンバー
Vn:玉井菜採、景山裕子/Va:市坪俊彦/Vc:河野文昭
【アンコール】
メンデルスゾーン/弦楽八重奏曲~第3楽章スケルツォ
メンデルスゾーンの記念年とあって、大好きだけれどなかなか演奏の機会がないオケテットがプログラムに入った演奏会が続く。前回(6月)この曲を聴いたのも紀尾井ホールだった。
今夜の演奏会ではドイツの伝統あるオケ、ライプチィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団のメンバーが中心になって結成されたクァルテットに紀尾井シンフォニエッタの精鋭が加わったオケテットが聴けるということで大いに期待が高まるところだが、まずは前半にライプツィヒSQ単体によるハイドンとベートーベンのクァルテットが置かれた。
ハイドンの「皇帝」の第1楽章が始まって感じたのは柔かな響きの美しさと素描のような軽いタッチ。好感が持てる開始だったが、ファーストヴァイオリンが軽やかに音階を上りつめ最高音のG音が付点のリズムで連続する最初の山場に来たところで、そのファーストヴァイオリン(シュテファン・アルツベルガー)の存在感に物足りなさを感じた。結局その印象は最後まで続いた。
このクァルテットはアンサンブルの中での対峙や対決ではなく、調和やそよ風のような心地よさを重んじているように感じた。クァルテットではハーモニーはもちろん大切だが、輪郭がはっきりしないとつかみどころのない印象を与えてしまう。そうした姿勢は次のベートーヴェンでも変わらない。アルツベルガーのヴァイオリンは相変わらず存在感が薄いし、時々不自然な音の動き方が気になったが、これは意図したアーティキュレーションなのか、運弓のほころびなのかはよくわからない。それでも第4楽章のフーガは活気のある演奏を繰り広げていたが…
後半は楽しみにしていたメンデルスゾーンのオクテットだが、このライプツィヒSQのメンバーがアンサンブルの「表」のパートを担う限りは、紀尾井の精鋭が加わっても基本的に音楽は変わらない。
オーケストラチックなダイナミックレンジを聴かせるはずの第1楽章も、ディヴェルティメントのような軽やかで陽気な演奏でスケールが小さい。第2楽章では緻密なアンサンブルが際立ち、美しいハーモニーを聴かせてくれたが、第3楽章は完全に「間奏曲」的な扱いで、「夏の夜の夢」の妖精の音楽のようにどこまでも軽く、終始弱音で通す。こういう演奏もありとは思うが、もっとメリハリの効いたスリリングな演奏を期待していただけにやっぱり物足りない。メンデルスゾーンは自筆譜に強弱記号を書いていないのだろうか。
そんな極めて軽いスケルツォと対比させて華やかなフィナーレを聴かせてくれるという期待はもう持っていなかったので、そのつもりで第4楽章を聴いていたら、これはこれで悪くない。アンサンブルがきっちりとかみ合っているのがいい。いずれにしても好み的には6月に聴いた演奏が断然上だな…
無理な望みかも知れないが、この曲では紀尾井のメンバーに「表」をやってもらいたかった。なぜなら、そうすれば前半とはまた違った音楽を聴けたかも知れないから。実際、ハッとする良い音や歌が聴こえてステージを見れば、その音の主は紀尾井のメンバーだったということが何度もあった。
このメンデルスゾーンの若さみなぎる傑作には、やっぱりそうしたハッとする新鮮な感覚がふんだんに入ってくるといい。
「真夏の夜のメンデルスゾーン」
紀尾井の室内楽 vol.17 <クァルテットの饗宴2009>
紀尾井ホール
【曲目】
1.ハイドン/弦楽四重奏曲第77番ハ長調 Op.76-3 Hob.III-77「皇帝」
2. ベートーヴェン/弦楽四重奏曲第9番ハ長調 Op.59-3 「ラズモフスキー第3番」
3. メンデルスゾーン/弦楽八重奏曲変ホ長調 Op.20
【共演】紀尾井シンフォニエッタ東京 メンバー
Vn:玉井菜採、景山裕子/Va:市坪俊彦/Vc:河野文昭
【アンコール】
メンデルスゾーン/弦楽八重奏曲~第3楽章スケルツォ
メンデルスゾーンの記念年とあって、大好きだけれどなかなか演奏の機会がないオケテットがプログラムに入った演奏会が続く。前回(6月)この曲を聴いたのも紀尾井ホールだった。
今夜の演奏会ではドイツの伝統あるオケ、ライプチィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団のメンバーが中心になって結成されたクァルテットに紀尾井シンフォニエッタの精鋭が加わったオケテットが聴けるということで大いに期待が高まるところだが、まずは前半にライプツィヒSQ単体によるハイドンとベートーベンのクァルテットが置かれた。
ハイドンの「皇帝」の第1楽章が始まって感じたのは柔かな響きの美しさと素描のような軽いタッチ。好感が持てる開始だったが、ファーストヴァイオリンが軽やかに音階を上りつめ最高音のG音が付点のリズムで連続する最初の山場に来たところで、そのファーストヴァイオリン(シュテファン・アルツベルガー)の存在感に物足りなさを感じた。結局その印象は最後まで続いた。
このクァルテットはアンサンブルの中での対峙や対決ではなく、調和やそよ風のような心地よさを重んじているように感じた。クァルテットではハーモニーはもちろん大切だが、輪郭がはっきりしないとつかみどころのない印象を与えてしまう。そうした姿勢は次のベートーヴェンでも変わらない。アルツベルガーのヴァイオリンは相変わらず存在感が薄いし、時々不自然な音の動き方が気になったが、これは意図したアーティキュレーションなのか、運弓のほころびなのかはよくわからない。それでも第4楽章のフーガは活気のある演奏を繰り広げていたが…
後半は楽しみにしていたメンデルスゾーンのオクテットだが、このライプツィヒSQのメンバーがアンサンブルの「表」のパートを担う限りは、紀尾井の精鋭が加わっても基本的に音楽は変わらない。
オーケストラチックなダイナミックレンジを聴かせるはずの第1楽章も、ディヴェルティメントのような軽やかで陽気な演奏でスケールが小さい。第2楽章では緻密なアンサンブルが際立ち、美しいハーモニーを聴かせてくれたが、第3楽章は完全に「間奏曲」的な扱いで、「夏の夜の夢」の妖精の音楽のようにどこまでも軽く、終始弱音で通す。こういう演奏もありとは思うが、もっとメリハリの効いたスリリングな演奏を期待していただけにやっぱり物足りない。メンデルスゾーンは自筆譜に強弱記号を書いていないのだろうか。
そんな極めて軽いスケルツォと対比させて華やかなフィナーレを聴かせてくれるという期待はもう持っていなかったので、そのつもりで第4楽章を聴いていたら、これはこれで悪くない。アンサンブルがきっちりとかみ合っているのがいい。いずれにしても好み的には6月に聴いた演奏が断然上だな…
無理な望みかも知れないが、この曲では紀尾井のメンバーに「表」をやってもらいたかった。なぜなら、そうすれば前半とはまた違った音楽を聴けたかも知れないから。実際、ハッとする良い音や歌が聴こえてステージを見れば、その音の主は紀尾井のメンバーだったということが何度もあった。
このメンデルスゾーンの若さみなぎる傑作には、やっぱりそうしたハッとする新鮮な感覚がふんだんに入ってくるといい。