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新国立劇場オペラ公演 「影のない女」

2010年05月20日 | pocknのコンサート感想録2010
5月20日(木)新国立劇場オペラ公演
新国立劇場

【演目】
R.シュトラウス/「影のない女」

【配役】
皇帝:ミヒャエル・バーバ/皇后:エミリー・マギー/乳母:ジェーン・ヘンシェル/霊界の使者:平野 和/宮殿の門衛:平井香織/鷹の声:大隅智佳子/バラク:ラルフ・ルーカス/バラクの妻:ステファニー・フリーデ

【演出・美術・衣裳・照明】ドニ・クリエフ
【演奏】
エーリッヒ・ヴェヒター指揮 東京交響楽団/新国立劇場合唱団

シュトラウスの大作オペラ「影のない女」が日本で上演されるのは18年振りとのこと。観に行くオペラは自分にとっては初ものが多いが、もちろん「影のない女」は初体験。台本を書いたホフマンスタールは、この「影のない女」についてシュトラウスへ『また聴衆も(中略)予習することなくいきなり劇場でこの作品に接してはいけないのです』と手紙に書いていて、筋書きや進行には難解な部分があることを伝えている。僕はインターネットでいくつかあらすじを読む程度の「予習」しかしなかったが、このオペラのスケールの大きさに圧倒され、豊潤な響きの世界に酔い、ホフマンスタールがシュトラウスの音楽に託した登場人物達の細やかで深い心の綾やその移り変わりの一端を感じることはできた。

オペラは乳母と大王の使者とのやり取りで始まるのだが、まず乳母役ジェーン・ヘンシェルのいかにもという井手たちと顔つき、そして何より悪役的な(僕はこの役がそれほど悪者には思えなかったが…)、よこしまな心が現れたような歌唱が強烈なインパクトを与えた。使者(平野和)もそんな乳母と対等にやり合うほどの存在感を感じさせたし、皇帝(ミヒャエル・バーバ)の輝かしく力強い歌も心を一身に捉えた(3幕では少々精彩を欠いてしまったが…)。

そして皇帝が去ったあとに登場する皇后役、エミリー・マギーの後光が射しているような高貴さと強さが伝わってくる艶やかな美声と表現力、その後に登場したバラク役のラルフ・ルーカスの人間味溢れる頼もしい歌唱やバラクの妻を歌ったステファニー・フリーデの厚い情のこもった深い表現力… 出る歌手出る歌手がそれぞれのキャラクターを抜群に発揮し、すごい存在感を聴く者の心に植えつけていく。

充実した粒揃いの歌手達に加え、たくさんの音で深いハーモニーを絡み合わせながら進んで行くオーケストラの充実した響きにも耳を引かれた。柔軟さと力強さを併せ持ち、見事な表現力でドラマの世界に引き込んで行く。第3幕幕切れの弱音ではちょっと響きが痩せてしまっていたが、全体的には柔らかに歌う表現なども絶品だった。新国立劇場の公演で東響はいつでも素晴らしい演奏を聴かせてくれるが、今回もこのオケの実力を裏付ける活躍ぶりだった。指揮のヴェヒターも表現力、構成力共に優れた手腕を持つマイスターであると感じた。

このメルヘンチックなオペラは、霊界と人間界の対比のなかで、その中間に位置する皇后が人間に同情し、共感して行くことで、人間の象徴である「影」を得て、皇帝と心も体も結ばれる、というお話。人間界は最初は「醜いもの」として扱われているが、実は人情と愛に満ちた魅力的な世界であることが、バラクや女房から伝わってくる。このバラクと妻は音楽的にもとても人間味溢れる魅力的な姿で描かれているのを感じた。

とりわけ妻の存在は、この公演のチラシに三澤洋史氏が演出のドニ・クリエフの言葉として「真の主人公はバラクの妻であり…」と書いているが、人間の持つ醜さや弱さを見せながらも、結局は夫のバラクへの愛が勝るという人間賛歌を象徴しているようにも感じた。ただ、クリエフは「普通の世界で生きている欲求不満にあえぐ哀れな女性の物語」と言っているそうだが、第3幕の終盤で、それまで書き割だった家がにわかに立体的な「本物の家に」に組み立てられたのは、バラクと妻が本当の家庭を築いたことを象徴しているのではないだろうか… 

いずれにしても、この公演で最も心を動かされたのはこの妻の歌だった。心の一番近いところにいるようで、また魅力的に感じた。それは、妻役を歌い演じたフリーデの実力があってこそだろうが、シュトラウスがこの役に与えた音楽自体の魅力もあるに違いない。

ただ、ホフマンスタールはシュトラウスに宛てた別の手紙の中で『ただ、一つのことだけは決してお忘れになってはなりません。それは、皇后が精神的な意味において主役であり、彼女の運命が全体を進展させる原動力である、という点です。』と述べている。更に別の手紙でもこうしたことをホフマンスタールは書いていて、皇后への思い入れの様子が窺える。もちろん皇后の歌も大変魅力的だし、オペラの筋としては重要な役割を担っていることは確かだが、シュトラウスはより人間的なバラクの妻に気持ちを投入したような気がしたのは、初めてこのオペラを聴いた者の浅はかな邪推だろうか…

演出のクリエフはカーテンコールでブーイングを食らっていたが、シンプルな舞台装置をうまく組み合わせたり動かすことで、情景をうまく伝えていて、大きな針金細工のような動物たちや、たった一本の木、照明などでファンタジックな雰囲気を出していて、視覚的にもオペラを楽しむことはできた。ただ、オペラの進行上とりわけ重要な場面が、演出としての強い印象が残っていないことも確か。このオペラは機会があればまた観てみたい。

♪本文中で紹介したホフマンスタールの手紙は
『リヒャルト・シュトラウス ホーフマンスタール、往復書簡全集 』(中島悠爾訳/音楽之友社)からの引用

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6 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
影のない女 (dezire)
2010-06-02 15:52:32
初めて訪問させていただきます。
記事を興味深く読ませていただきました。作品を深く理解されているのに感服いたしました。いろいろ勉強になりました。私も新国立劇場でR.シュトラウスの「影のない女」を鑑賞してきました。私も初めての作品でしたが、音楽の構成力も含めて魅力ある作品に感じました。
私の感想などをブログに書きましたので是非読んでみてください。
http://desireart.exblog.jp/10678873/
よろしかったらブログの中に書き込みして下さい。
何でも気軽に書き込んでください。
返信する
演出の事 (Pilgrim)
2010-06-05 12:53:03
 こんにちは、「オペラの夜」です。pocknさんもプレミエでしたか。

 あの演出は抽象的なので、分かり難い内容を噛み砕いて伝える
配慮は無かったですね。僕も始めてだったので
もう少し親切に演出して欲しかった。
返信する
Re:影のない女 (pockn)
2010-06-05 17:36:57
dezireさま、はじめまして。コメントありがとうございます。
ホフマンスタールとシュトラウスのオペラはどれも深い心理描写が施され、格調高い仕上がりになっていると思いますが、それだけに難しさもありますね。「魔笛」のように繰り返し上演されればいいのですが、なかなかそれは厳しそうです。
貴ブログも拝見しました。筋がとてもよくまとめられていて参考になりました。書き込みもさせて頂きますね。
返信する
Re: 演出の事 (pockn)
2010-06-05 18:02:23
オペラの夜さん、いつもコメントありがとうございます。
あの演出、僕はわりと好感を持ちましたが、事前に詳しいあらすじを読んでおかないと、今物語りがどうなっているのかわからないだろうなぁ、と思う部分はいくつかありました。
演出で全てを説明するのは無理だし、その必要もないと思いますが、今回の演出は「決め手」に欠けるな、とは思いました。
返信する
女声陣 (yokochan)
2010-06-16 00:14:43
こんばんは。
遅ればせながら、私の方は、千秋楽の観劇でした。
演奏は、オケが実に練れてきていて素晴らしく、歌手もとりわけ女声トリオが最後ゆえ全開でオペラの喜びもひとしおでした。

でも、皆さんがご指摘のとおり、演出はイマイチに思いましたね。
予算不足なのか、演出家の持ち味なのか不明なところもまたなんとも・・・。

しかし、R・シュトラウスの音楽は素晴らしいですね!
返信する
Re:女声陣 (pockn)
2010-06-23 12:12:17
yokochanさま、こんにちは。
新国立劇場は、「第2国立劇場」と呼ばれていた昔から長い長い議論と紆余曲折を経てとうとう出来た日本で最初のオペラ専用劇場ということで、「万能の」舞台も売りのひとつだったように思います。お金がないという理由で、この舞台性能を使いこなす上演が少ないのは残念ですね。オペラというのは「娯楽」であり、見応えがあり見栄えのする舞台が観たいです。でなければ演奏会形式でいいわけですから… 来シーズンに期待しましょう。
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