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奥村土牛展

2010年05月16日 | pocknの気まぐれダイアリー
5月11日(火)時々

このところ日本画の展覧会に行くことが多いが、奥村土牛はずっと前から好きで、もしかすると一番好きな日本画家かも。その土牛の生誕120年を記念して、土牛の充実したコレクションを持つ山種美術館で開かれている開館記念特別展Ⅳ「生誕120年 奥村土牛」へ行ってきた。

展示の規模としては素描や画稿も含めて70点あまりで大規模というほどではないが、展示されている作品はよく知っているものや、見覚えのあるものが目白押し。土牛の重要作品が殆んど集まっているのではないかと思う充実ぶりで、2時間近くかけてたっぷり土牛を堪能した。

こうして土牛の作品達とじっくり向き合うと、土牛の芸術家としての深遠さや崇高さ、人としての器の大きさや温かさがひしひしと伝わってくる。気品のあるしなやかな線、柔らかく溶け合う美しい色彩、簡潔で大胆な構図と緻密で繊細なディテール、そしてどの作品にも土牛の絵のモチーフに対する、愛情に溢れた温かい眼差しが感じられる。

絵を見ていると、土牛がモチーフをじっと目で見つめ、それを心の目で感じ取り、絵筆を画面にゆっくりと運ぶシーンが浮かんでくる。その穏やかなしぐさのなかにはきっと凛とした気高さと厳しさが宿っていたに違いない。土牛はひとつの作品を仕上げるのに何ヵ月も、場合によっては何年もかけたというが、土牛の絵からはゆっくりと熟成させた落ち着きのある芳香が立ち上ってくるようだ。同時に、今まさに誕生したような生命の息吹にも溢れている。

土牛には絵に魂を宿させる類い稀な才能があるに違いない。まさに画竜点睛の技の冴えといえるのは、ふさふさした白い「兎」に入れられた紅い眼や、やさしくしなやかな線で描かれた「聖牛」の深くて澄んだ黒い瞳、或いは黒地に金の模様の振袖を纏って遠い一点を見つめる「舞妓」の生気に満ちた気高い眼差し。どの眼にも命が息づいている。


《聖牛》
会場で販売していた絵葉書より

「眼」を持つ生き物に限らず、海であれ、山であれ、花であれ、土牛の描く絵のモチーフには命が宿っている。展覧会の順路の最後におかれた土牛の代表作「醍醐」は、まさにそんな生命力が眩いばかりに萌え出た作品だ。

去年、家にかけていたカレンダーでこの「醍醐」があり、その月が過ぎた後も絵だけ切り取って部屋に飾って眺めていたが、実物から放たれる息吹がこれほどまでに香しく、光がこれほどまでに眩しいものだということを強烈に印象づけられた。

春を迎えて戻ってきた陽光が一斉に命の讃歌を歌いあげているような華やいだ空気は、雅やかな花の薫りをあたりにふりまいている。

そんな主役の花に対して、この画面でかなりの面積を占めているのが幹だ。傘のように大きく横長に広がるこの醍醐・三宝院の桜の左右を切り捨てた縦の構図は、幹の存在が強調される。その幹は触ると温もりが伝わってきそうだ。大きな幹が画面の中央を占めることで桜の華やかさと同時に、この樹が大地にから命の源を吸い上げる力強さも感じさせてくれる。

《醍醐》
会場で販売していた絵葉書より

この「醍醐」が展示されている部屋は照明が暗めになっていて、そんな暗い中で浮かび上がる桜の像は神秘的なほどにオーラを発していた。これはこの場に立った者だけが感じることのできる至福の感覚だ。

展覧会は5月23日まで山種美術館で開催中。是非このオーラを感じに出かけてみてはいかがでしょうか。

山種美術館ホームページ


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