4月9日(月)マーティン・ヘルムヘン(ピアノ)&ヴェロニカ・エーベルレ(ヴァイオリン)&石坂団十郎(チェロ)
トッパンホール
【曲目】
1.ハイドン/ピアノ三重奏曲 ハ長調 Hob.XV-27
2. ブラームス/ピアノ三重奏曲第3番 ハ短調 Op.101
3. シューベルト/ピアノ三重奏曲第1番 変ロ長調 D898 Op.99
【アンコール】
シューベルト/ピアノ三重奏曲 ~アダージョ
ソリストとして世界で活躍中のドイツの若い3人による室内楽コンサート。異なる時代の名作が並んだプログラムも魅力的だ。
ハイドンのトリオは最近演奏される機会が増えてきたようだが、この若くて力みなぎる3人が取り上げれば曲の魅力も引き立つ。聴いていると、水揚げされたての魚たちが朝日に照らされ輝き、勢いよくピチピチと網の上で跳ね上がっているような活き活きとした情景が浮かんできた。3人とも迷うことなく音楽に飛びつき、戯れ、アンサンブルを楽しんでいる。主役はもちろんピアノのヘルムヒェンで、冴えた感性が光っていた。そして、ヴァイオリンのエーベルレとチェロの石坂は、ヘルムヒェンと一体となって呼吸し、音楽に明快なコントラストを与え、ほとばしる勢いを増強する。チェロパートは、役割としては殆んどピアノのバス声部の補強だが、弦楽器特有の鮮やかなアインザッツが冴え、低音が豊かに響くことで音楽に生命力が宿ることを体験した。曲の最後は3人が空間に放たれた音をまたアンサンブルの懐に呼び戻すようなニュアンスを醸し、打ち解けた親密さを肌に伝えてきた。思わず「やるな~っ」と言いたくなった。
次は時代がずっとくだってブラームス晩年の充実した傑作。3人はハイドンのときとは勢いも密度も増強して一丸となって果敢に挑みかかってきた。この意気込みやエネルギーは先日「東京・春・音楽祭」で聴いた若い日本のプレイヤーによるブラームスの快演と重なった。
最後は少し時代を遡ってシューベルト。冒頭で、ハイドンの時ともブラームスの時とも違う、フワリとしたニュアンスでシューベルト独特の空気を伝えてきた。作品の持つ様式や性格を的確に把握して表現する柔軟性にも感心。ただ、聴き進んでいくと最初に感じたシューベルトらしさはさほど前面には出ず、テンポをゆらしたり、微妙な間を入れるなどしてニュアンスの変化は出すものの、歌心や香りよりもエネルギッシュな若々しさが勝った演奏となった。チェロの石坂さんはブラームスの時から派手に弓の毛をブチブチ切りまくっていた。最初は並々ならぬ気合いの表れかと思ったが、あんまりよく切るのでちゃんと弓の手入れをしているのかとさえ思ってしまった。まさかね…
石坂のチェロもエーベルレのヴァイオリンも熱気は十分だが色気が足りない。シューベルトではもう少しロマンチックな表情を聴かせてくれてもいい。アンサンブルの主導権は相変わらずヘルムヒェン。自然で途切れることのない呼吸から紡がれる、デリケートで豊かなニュアンスが素晴らしい。ヘルムヒェンのピアノはN響定期で「皇帝」を聴いているが、ノリントン節の影に隠れてしまい勝ちだった。今度はソロを聴いてみたい。
トッパンホール
【曲目】
1.ハイドン/ピアノ三重奏曲 ハ長調 Hob.XV-27
2. ブラームス/ピアノ三重奏曲第3番 ハ短調 Op.101
3. シューベルト/ピアノ三重奏曲第1番 変ロ長調 D898 Op.99
【アンコール】
シューベルト/ピアノ三重奏曲 ~アダージョ
ソリストとして世界で活躍中のドイツの若い3人による室内楽コンサート。異なる時代の名作が並んだプログラムも魅力的だ。
ハイドンのトリオは最近演奏される機会が増えてきたようだが、この若くて力みなぎる3人が取り上げれば曲の魅力も引き立つ。聴いていると、水揚げされたての魚たちが朝日に照らされ輝き、勢いよくピチピチと網の上で跳ね上がっているような活き活きとした情景が浮かんできた。3人とも迷うことなく音楽に飛びつき、戯れ、アンサンブルを楽しんでいる。主役はもちろんピアノのヘルムヒェンで、冴えた感性が光っていた。そして、ヴァイオリンのエーベルレとチェロの石坂は、ヘルムヒェンと一体となって呼吸し、音楽に明快なコントラストを与え、ほとばしる勢いを増強する。チェロパートは、役割としては殆んどピアノのバス声部の補強だが、弦楽器特有の鮮やかなアインザッツが冴え、低音が豊かに響くことで音楽に生命力が宿ることを体験した。曲の最後は3人が空間に放たれた音をまたアンサンブルの懐に呼び戻すようなニュアンスを醸し、打ち解けた親密さを肌に伝えてきた。思わず「やるな~っ」と言いたくなった。
次は時代がずっとくだってブラームス晩年の充実した傑作。3人はハイドンのときとは勢いも密度も増強して一丸となって果敢に挑みかかってきた。この意気込みやエネルギーは先日「東京・春・音楽祭」で聴いた若い日本のプレイヤーによるブラームスの快演と重なった。
最後は少し時代を遡ってシューベルト。冒頭で、ハイドンの時ともブラームスの時とも違う、フワリとしたニュアンスでシューベルト独特の空気を伝えてきた。作品の持つ様式や性格を的確に把握して表現する柔軟性にも感心。ただ、聴き進んでいくと最初に感じたシューベルトらしさはさほど前面には出ず、テンポをゆらしたり、微妙な間を入れるなどしてニュアンスの変化は出すものの、歌心や香りよりもエネルギッシュな若々しさが勝った演奏となった。チェロの石坂さんはブラームスの時から派手に弓の毛をブチブチ切りまくっていた。最初は並々ならぬ気合いの表れかと思ったが、あんまりよく切るのでちゃんと弓の手入れをしているのかとさえ思ってしまった。まさかね…
石坂のチェロもエーベルレのヴァイオリンも熱気は十分だが色気が足りない。シューベルトではもう少しロマンチックな表情を聴かせてくれてもいい。アンサンブルの主導権は相変わらずヘルムヒェン。自然で途切れることのない呼吸から紡がれる、デリケートで豊かなニュアンスが素晴らしい。ヘルムヒェンのピアノはN響定期で「皇帝」を聴いているが、ノリントン節の影に隠れてしまい勝ちだった。今度はソロを聴いてみたい。
チェロパートは目立たないおかげで演奏への影響は最小限で済んだかと思います。
団十郎さんは前もノリントン/N響と共演しましたが、
ノンヴィヴラートを「強要」されてちょっと窮屈そうでした。
団十郎さん、一回弓を落とされましたよね
N響とのトリプル協奏曲も楽しみですね