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足繁く通う演奏会の感想等でクラシック音楽を追求/面白すぎる台湾/イタリアやドイツの旅日記/「ドイツ留学相談室」併設

草津夏期国際音楽アカデミー&フェスティヴァル2015(8/21)

2015年08月21日 | pocknのコンサート感想録2015
8月21日(金)カメラ・ディ・ペルージャと仲間たち/シベリウス生誕150年 田園組曲
草津音楽の森国際コンサートホール
【曲目】
1. シベリウス/アンダンテ・フェスティーヴォ JS34
2.シベリウス/田園組曲 Op.98b
3.バッハ/ヴァイオリンとオーボエのための協奏曲 ハ短調 BWV1060
4.バルトーク/ルーマニア舞曲 Sz47a(BB61)
5.ベートーヴェン/マーラー編/弦楽四重奏曲 第11番 Op.95「セリオーソ」(弦楽合奏版)
6.バッハ/ブランデンブルク協奏曲第5番 ニ長調 BWV1050


【アンコール】
ボッケリーニ/マドリードの夜警隊の行進

【演 奏】
Vn:パオロ・フランチェスキーニ/Ob:トーマス・インデアミューレ/Fl:カール=ハインツ・シュッツ/オルケストラ・ダ・カメラ・ディ・ペルージャ


今日の演奏会の主役は、草津常連の室内オーケストラ「カメラ・ディ・ペルージャ」。一昨年までは「イ・ソリスティ・ディ・ペルージャ」と名乗っていたが、内部分裂があったようで、残ったメンバーを中心に名称変更して活動を続けているらしいが、プログラムには「2013年創設」としか書かれていない。もう少しこの団体の成り立ちの説明が欲しい。

それはさておき、今日のプログラムを見ると、実に多彩でバラエティーに富んでいるという言い方もできるが、言い方を変えれば、「多彩」が草津音楽アカデミーの一つの魅力ではあるにせよ、もう少しプログラムに何らかのコンセプトが欲しい。それに、このアンサンブルの良さがもっと発揮できる選曲をすべきではないかとも感じるコンサートだった。

最初のシベリウスの2作品はあっけらかんと明るすぎ。シベリウスの音楽というのは、微妙なテンポの揺れや音色のグラデーションのわずかな変化、細やかな息遣いと、それをどうつなげていくかなど、シベリウスならではの表情や音色、呼吸が欠かせないと思う。そうした感覚は北欧で育まれた演奏家にとってはしっくり来やすいだろうが、北欧の演奏家でなければ「本物の」シベリウスを演奏できないということではないだろう。

要は、プレイヤーがこのシベリウス独特の魅力をどこまで感じ取り、それを的確に表現するためにいかに準備するかにかかっている。今日のペルージャの演奏を聴いたら、例えばこのフェスティバルの常連の群響のほうがはるかに良い演奏をするに違いない、と思ってしまった。

シベリウスより遥かにインターナショナルな存在であるバッハにしても、今日の演奏からは何を伝えようとしているのかが伝わってこない。そうなると強烈な意思と知的なメッセージをそなえたベートーヴェンのカルテットで、聴き手に感動を与えることなんてできるわけがない。バルトークで辛うじていくらかのメッセージが伝わってはきたが…

今日の演奏会で唯一心から楽しめたのはアンコールのボッケリーニだった。プレイヤーが実に楽しげに、ニュアンスに富んだ、多彩な表情に溢れた、生き生きとした演奏を聴かせた。これは「カメラ・ディ・ペルージャ」の自家薬籠中のアンコールピースなのかも知れないが、こういう演奏を本割で聴かせてもらいたかった。或いは、ロッシーニなどイタリアもののプログラムであればもっと楽しめたのだろうか、なんて思ってしまう。実際、演奏家本位の選曲があってもいいのではないだろうか。

バッハでは通常はチェンバロが通奏低音を受け持つところを、ホールのオルガンが使われたことも疑問。特にブランデンブルク協奏曲の5番はチェンバロのために書かれた曲では?これをオルガンでやると、華やかさが出るのはいいが、他のソロ楽器の存在感を圧倒して「オルガン協奏曲」になってしまう。せめてポジティブオルガンを使うべきでは?マスタークラスで素晴らしいフルート演奏を聴いたシュッツのフルートが、皮肉にもオルガンのフルート管?にかき消されてしまったのは残念だった。

選曲、楽器の選択、演奏内容… 4000円以上の料金を取る演奏会に値するものだったか、疑問に思った。

マスタークラス(カール=ハインツ・シュッツ)
午前中は関先生に案内してもらってシュッツによるフルートのマスタークラスを聴講させて頂いた。

タンギングやブレス、指穴の押さえ方など、フルート固有のテクニカルな指導と共に、3人の受講生に共通して伝えていたのは、音楽の場面に相応しい音色選びや表情付けの大切さ。同じモチーフでも音楽の流れのなかで音色や表情、勢いなどが大きく異なることを、自らの演奏で受講生に伝える様子は素晴らしかった。

当然と言えば当然ではあるが、きちんとさらってきてある程度のレベルには達してはいても、受講生の演奏のすぐ後にシュッツがお手本を示すと、同じ音符を演奏していると思えないほどにシュッツの奏でるフルートは自由で柔軟で、濃淡と陰影豊かな繊細な表情に満ちていることを思い知る。音色の美しさという点でもシュッツのフルートは天上から光が降り注ぐような幸福感をもたらしてくれる。

これまでに聴いた名手と呼ばれるフルーティストのなかでも、シュッツは間違いなく屈指のフルーティストだろう。こうした素晴らしいプレイヤーの演奏に間近で接し、指導を受けることで得られるものは、受講生にとって計り知れない財産になるに違いない。
公開レッスン(クリストファー・ヒンターフーバー)
3人の受講生が登壇し、モーツァルトのハ長調のソナタK.330(江村理沙さん)、スクリャービンの無調に向かうソナタ第5番Op.53(高御堂なみ佳さん)、瞑想的でファンタジー溢れるシューベルトの遺作のソナタ変ロ長調(千葉あすかさん)という、時代も性格も異なる3つの作品について公開のレッスンが行われた。

モーツァルトでは、曲が書かれた時代の楽器の特性に基づいてペダリングや、タッチのバランスの問題を挙げ、これを現代のピアノでどう演奏すべきかといったテクニックについての説明も興味深かったが、モーツァルトの音楽が常に「対話」で成り立っているということを、実際に演奏しながら、時にユーモアも交えつつ示してくれたのはとても興味深く、心から共感できるものだった。

ヒンターフーバーは、こうしたモーツァルトの作曲方法を、オペラを例に説明していたが、モーツァルトのオペラを知らずしてモーツァルトを演奏することはできない、というほどにモーツァルトの音楽の根底には常にオペラが存在することを意識した指導だ。

またシューベルトでは、「冬の旅」や「白鳥の歌」といった歌曲集を例に、レッスンで取り上げられた遺作のソナタを解説していたが、これはシューベルトを演奏する際は歌曲の存在を忘れてはいけないという示唆でもある。音楽を勉強するには、自分が専攻する楽器の曲だけでなく、広くその作曲家を知ることの大切さ、更には音楽のみならず他の芸術にも広く接することが大切であることを物語っていた。

音楽のタイプが全く異なるスクリャービンでは、臆することなくアグレッシブに全身で音楽を表現することをヒンターフーバーは伝えようとしていた。演奏家というのは表現者という観点から役者の要素も求められていることがよくわかり面白かった。

草津夏期国際音楽アカデミー&フェスティヴァル2015(8/20)
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