2020年まで、沖縄は気にはなっていたものの、大好きな台湾へ行くときに上空を通過するだけの存在でした。それがコロナのために台湾への渡航が出来なくなり、いつも通過してしまっていた沖縄へ行ってみようと思い、2021年に八重山諸島(石垣島、西表島、竹富島)を訪れたのが初めての沖縄でした。そして翌2022年に沖縄本島を訪れました。この2度の訪問ですっかり沖縄に魅せられ、また訪れたいと思っていました。でも台湾も行きたいし・・・ それで、沖縄と台湾は近いので、1度の旅行で両方を訪れることにしました。今回は、沖縄に2泊して台湾へ渡り、台湾では6泊しました。8泊9日の沖縄&台湾旅行のレポートをお届けします。
2024年3月21日(木)
嘉手納基地を一望できる道の駅かでな
第二次世界大戦末期に米軍が上陸し、激しく痛ましい日本で唯一の地上戦が行われ、県民の4人に1人にもなる20万人もの人々の尊い命が奪われ、戦後は27年もの間、米国に統治されるという特異な運命を押し付けられた沖縄は、米国から返還されてからも島の15%が米軍基地のまま。これは日本にある米軍基地の7割にもなるのです。基地の存在は様々な危険と隣り合わせで、多発する犯罪や日米地位協定により罪を犯した米国人を日本が裁けないという問題も抱え、沖縄では「戦争はまだ終わっていない」という気持ちを持つ人々も多くいます。
深刻な騒音問題も引き起こしている基地の状況を体験できる場所を探したところ、「道の駅かでな」を見つけました。ここは米軍嘉手納基地に隣接していて、展望所もあって嘉手納基地を一望でき、更に基地問題を学べる学習展示室もあるということで、沖縄に到着後、最初に訪れました。
始めに腹ごしらえ。米軍基地のお隣ということで、アメリカの象徴ともいえるハンバーガーを食べました。この黒毛和牛の牛スジミートソースチーズバーガーは、日本人オーナーが開発して沖縄バーガーフェスタで優勝するなど様々な賞を獲得した逸品で、肉のうま味がじゅわっと広がって美味かった~!これを食べてる間も、上空には戦闘機が轟音で飛び交っていました。
建物の屋上にある展望所に上がると、広大な米空軍嘉手納基地が目の前に広がっていました。元は旧日本陸軍の飛行場でしたが、沖縄戦によって連合軍に占領され、戦後は米軍基地として更に整備・拡張され、極東最大の空軍基地になり、現在に至っています。
拡大可
展望所にはたくさんの人達が見学に来ていて、やってくる米軍の飛行機にカメラを向けています。戦闘機や偵察機など、色んな種類の飛行機が爆音で頭上を通過したり、目の前の基地で離発着を繰り返していました。
騒音表示器が設置されていて、飛行機が近づくと数値がみるみる上がっていきます。写真は92デシベルですが、この直前には95デシベルを記録していました。ちなみに90デシベルで、カラオケ店のど真ん中や、騒がしい工場の中などの「うるさくて我慢できないレベル」だそうで、これを上回る騒音が四六時中発生しているわけです。
機種を説明するパネルがあった(拡大可)
嘉手納の町のなんと82%が米軍基地に占められているとのこと。嘉手納の住民はこの騒音やリスクと隣り合わせの日常を強いられ、これまでに騒音訴訟が何度も起こされています。そんな現実を、3階の学習展示室で詳しく知ることができます。
(拡大可)
更に学習展示室では、沖縄戦について、米国統治時代について、本土復帰とその後の諸問題についてなど、戦争と基地にまつわる沖縄の幅広いテーマを、そこに暮らす人々の状況とともにパネルや映像で詳しく紹介する展示がありました。
沖縄が、地理的に日本や東アジアの安全保障上の重要な位置にあるということは理解できても、あまりにも大きな負担を背負わされている沖縄が抱える問題を、沖縄以外の者が本当に理解することは難しいことだと思います。それでも沖縄がこれまでどんな運命を辿り、どんな問題を抱えているかということに無関心であることは許されない、という思いを強くする契機となりました。
沖縄② 読谷村を巡る(やちむんの里、座喜味城跡、残波岬)
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沖縄④ 琉球王国時代の遺産を訪ねる(中城城跡、中村家住宅、識名園)
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深刻な騒音問題も引き起こしている基地の状況を体験できる場所を探したところ、「道の駅かでな」を見つけました。ここは米軍嘉手納基地に隣接していて、展望所もあって嘉手納基地を一望でき、更に基地問題を学べる学習展示室もあるということで、沖縄に到着後、最初に訪れました。
始めに腹ごしらえ。米軍基地のお隣ということで、アメリカの象徴ともいえるハンバーガーを食べました。この黒毛和牛の牛スジミートソースチーズバーガーは、日本人オーナーが開発して沖縄バーガーフェスタで優勝するなど様々な賞を獲得した逸品で、肉のうま味がじゅわっと広がって美味かった~!これを食べてる間も、上空には戦闘機が轟音で飛び交っていました。
建物の屋上にある展望所に上がると、広大な米空軍嘉手納基地が目の前に広がっていました。元は旧日本陸軍の飛行場でしたが、沖縄戦によって連合軍に占領され、戦後は米軍基地として更に整備・拡張され、極東最大の空軍基地になり、現在に至っています。
拡大可
展望所にはたくさんの人達が見学に来ていて、やってくる米軍の飛行機にカメラを向けています。戦闘機や偵察機など、色んな種類の飛行機が爆音で頭上を通過したり、目の前の基地で離発着を繰り返していました。
騒音表示器が設置されていて、飛行機が近づくと数値がみるみる上がっていきます。写真は92デシベルですが、この直前には95デシベルを記録していました。ちなみに90デシベルで、カラオケ店のど真ん中や、騒がしい工場の中などの「うるさくて我慢できないレベル」だそうで、これを上回る騒音が四六時中発生しているわけです。
機種を説明するパネルがあった(拡大可)
嘉手納の町のなんと82%が米軍基地に占められているとのこと。嘉手納の住民はこの騒音やリスクと隣り合わせの日常を強いられ、これまでに騒音訴訟が何度も起こされています。そんな現実を、3階の学習展示室で詳しく知ることができます。
(拡大可)
更に学習展示室では、沖縄戦について、米国統治時代について、本土復帰とその後の諸問題についてなど、戦争と基地にまつわる沖縄の幅広いテーマを、そこに暮らす人々の状況とともにパネルや映像で詳しく紹介する展示がありました。
沖縄が、地理的に日本や東アジアの安全保障上の重要な位置にあるということは理解できても、あまりにも大きな負担を背負わされている沖縄が抱える問題を、沖縄以外の者が本当に理解することは難しいことだと思います。それでも沖縄がこれまでどんな運命を辿り、どんな問題を抱えているかということに無関心であることは許されない、という思いを強くする契機となりました。
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