6月12日(火)フランソワ=グザヴィエ・ロト 指揮 レ・シエクル
東京オペラシティコンサートホールタケミツメモリアル
【曲目】
1.ドビュッシー/牧神の午後への前奏曲
2. ドビュッシー/バレエ音楽「遊戯」
3.ラヴェル/ラ・ヴァルス
4.ストラヴィンスキー/バレエ音楽「春の祭典」(ロトによる初演時復元版)
【アンコール】
ビゼー/アルルの女第1組曲~アダージェット
話題性という点では今年の2月に聴いたミンコフスキ/レ・ミュジシャン・デュ・ルーヴルと並ぶ存在のロト/レ・シエクル。どんな集団でどんな演奏を聴かせせるか、ちゃんとわからないまま、なんとなくすごい演奏が聴けそうというイメージで出かけた。
紹介文によれば、このオケはバロックから現代までの幅広いレパートリーを、その作品が書かれた時代に使われていた楽器で演奏するという、正真正銘の「ピリオドオーケストラ」。団員は、あらゆる時代の楽器を使いこなすスーパープレイヤーというわけで、今夜は、20世紀始めにパリで初演された曲を、当時用いられていた楽器を揃えて、稀有のサウンドとパフォーマンスで聴かせた。
レ・シエクルの響きは極めてクリアで研ぎ澄まされていて、ギュツと芯の詰まった強さが光を放つ。前半の「牧神」でも「遊戯」でも、演奏から「動き」が生き生きと浮かび上がり、寄せる風や波のように動きが動きを呼び、ムーブマンが躍動し、繋がって行く。どちらも元はバレエのために書かれた音楽だが、ダンサーが自ら能動的に踊ろうとしなくても、演奏を聴けば踊らずにはいられなくなり、踊らされてしまう感じ。
前半最後の「ラ・ヴァルス」で、それは最高潮に達した。ブルンブルンと振り回されるようなムーブマンや、ショッキングなほどのリズムやアクセントの強烈さで圧倒された。けれど、どんなに音楽が高揚して聴き手を興奮させても、アンサンブルは緻密で、響きは決して濁らない。これは、楽器のせいというより、第一に、ロトとレ・シエクルによる稀有の感性と表現力とアンサンブル能力の賜物ではないだろうか。ラ・ヴァルスが大団円を迎えると、超満員の客席からは終演かと思うほどのブラボーの大歓声と拍手の嵐。この反応、分かり過ぎる。
後半の「春の祭典」では更にギアアップし、トランス状態になるほど引き込まれる演奏になった。この音楽が本来持っているリアルで根源的なもの、魂そのものがストレートに吐露される感じ。ここでも特筆すべきは前半同様に、アンサンブルの緻密さとクリアさ。それらを総動員して繰り広げられるムーブマンとリズムとダイナミックスの饗宴を聴かせ、そこには強烈な光も飛び交った。聴衆はもちろん熱狂。
音楽史の事件として語り継がれている1913年のパリ初演時の演奏を再現するために、当時の楽器を使用するだけでなく、その後何度も改訂された末の最終稿ではない、現在は失われた初演時の譜面をロト自身も関わって復元した「復元版」を使ったことで、耳慣れないフレーズや響きも聞こえる新鮮さはあったが、「初演時の演奏の再現」とは言っても、今夜の演奏は初演の演奏とは比べ物にならないハイレベルということは間違いない。初演の後、改訂が繰り返されたのは、演奏が難しすぎるという理由があったそうだが、ストラヴィンスキーが今夜の演奏を聴けば、その後の改訂版は全て破棄してしまうかも。それほど今夜の「ハルサイ」は完璧に聴こえた。
それにしても、ロトというのは、音楽の核心を捉えて再現するという意味でもすごい指揮者だ。アンコールではこの上ないデリケートな表現も聴かせた。これほどの指揮者が、近年話題になるまで名前を聴かなかったのが不思議。今後益々活躍の場を広げ、ウェルザー=メストとかペトレンコ以上に、世界の楽壇を背負う存在になるのではないだろうか。
ブログ管理人作曲によるCD
さびしいみすゞ、かなしいみすゞ ~金子みすゞの詩による歌曲集~(MS:小泉詠子/Pf:田中梢)
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2. ドビュッシー/バレエ音楽「遊戯」
3.ラヴェル/ラ・ヴァルス
4.ストラヴィンスキー/バレエ音楽「春の祭典」(ロトによる初演時復元版)
【アンコール】
ビゼー/アルルの女第1組曲~アダージェット
話題性という点では今年の2月に聴いたミンコフスキ/レ・ミュジシャン・デュ・ルーヴルと並ぶ存在のロト/レ・シエクル。どんな集団でどんな演奏を聴かせせるか、ちゃんとわからないまま、なんとなくすごい演奏が聴けそうというイメージで出かけた。
紹介文によれば、このオケはバロックから現代までの幅広いレパートリーを、その作品が書かれた時代に使われていた楽器で演奏するという、正真正銘の「ピリオドオーケストラ」。団員は、あらゆる時代の楽器を使いこなすスーパープレイヤーというわけで、今夜は、20世紀始めにパリで初演された曲を、当時用いられていた楽器を揃えて、稀有のサウンドとパフォーマンスで聴かせた。
レ・シエクルの響きは極めてクリアで研ぎ澄まされていて、ギュツと芯の詰まった強さが光を放つ。前半の「牧神」でも「遊戯」でも、演奏から「動き」が生き生きと浮かび上がり、寄せる風や波のように動きが動きを呼び、ムーブマンが躍動し、繋がって行く。どちらも元はバレエのために書かれた音楽だが、ダンサーが自ら能動的に踊ろうとしなくても、演奏を聴けば踊らずにはいられなくなり、踊らされてしまう感じ。
前半最後の「ラ・ヴァルス」で、それは最高潮に達した。ブルンブルンと振り回されるようなムーブマンや、ショッキングなほどのリズムやアクセントの強烈さで圧倒された。けれど、どんなに音楽が高揚して聴き手を興奮させても、アンサンブルは緻密で、響きは決して濁らない。これは、楽器のせいというより、第一に、ロトとレ・シエクルによる稀有の感性と表現力とアンサンブル能力の賜物ではないだろうか。ラ・ヴァルスが大団円を迎えると、超満員の客席からは終演かと思うほどのブラボーの大歓声と拍手の嵐。この反応、分かり過ぎる。
後半の「春の祭典」では更にギアアップし、トランス状態になるほど引き込まれる演奏になった。この音楽が本来持っているリアルで根源的なもの、魂そのものがストレートに吐露される感じ。ここでも特筆すべきは前半同様に、アンサンブルの緻密さとクリアさ。それらを総動員して繰り広げられるムーブマンとリズムとダイナミックスの饗宴を聴かせ、そこには強烈な光も飛び交った。聴衆はもちろん熱狂。
音楽史の事件として語り継がれている1913年のパリ初演時の演奏を再現するために、当時の楽器を使用するだけでなく、その後何度も改訂された末の最終稿ではない、現在は失われた初演時の譜面をロト自身も関わって復元した「復元版」を使ったことで、耳慣れないフレーズや響きも聞こえる新鮮さはあったが、「初演時の演奏の再現」とは言っても、今夜の演奏は初演の演奏とは比べ物にならないハイレベルということは間違いない。初演の後、改訂が繰り返されたのは、演奏が難しすぎるという理由があったそうだが、ストラヴィンスキーが今夜の演奏を聴けば、その後の改訂版は全て破棄してしまうかも。それほど今夜の「ハルサイ」は完璧に聴こえた。
それにしても、ロトというのは、音楽の核心を捉えて再現するという意味でもすごい指揮者だ。アンコールではこの上ないデリケートな表現も聴かせた。これほどの指揮者が、近年話題になるまで名前を聴かなかったのが不思議。今後益々活躍の場を広げ、ウェルザー=メストとかペトレンコ以上に、世界の楽壇を背負う存在になるのではないだろうか。
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