12月18日(水)上原彩子(Pf)
サントリーホール
【曲目】
1. ベートーヴェン/ソナタ第5番 ハ短調 Op.10-1

2. ベートーヴェン/ソナタ第31番 変イ長調 Op.110
3. プロコフィエフ/「ロメオとジュリエット」から 10の小品 Op.75
4. プロコフィエフ/ソナタ第7番 変ロ長調「戦争ソナタ」 Op.83

【アンコール】
1. シューマン/トロイメライ
2. プロコフィエフ/束の間の幻影~第10曲
3. チャイコフスキー/「四季」~「12月」

上原彩子を初めて聴いたのは今年の1月、ベルリン八重奏団との共演でのシューベルトの「ます」。そのときの鮮烈なイメージが今回のリサイタルに足を向かわせた。
ベートーヴェンのどちらかと言うとマイナーなソナタにプロコフィエフという「地味な」プログラミングのせいか、「アイドル系」として売り出されることを拒否する上原さんの「地道なポリシー」のせいか、サントリーホールの2階席は結構空席も目立ったが、上原彩子がいかに素晴らしいピアニストであるかを思い知ったリサイタルとなった。
まずはベートーヴェンの初期のハ短調のソナタ。決然とした第1主題と思索的な第2主題の対比が見事な第1楽章をはじめ、曲中に現れるさまざまな個性を持ったフレーズが、その最も理想的な姿(チャーミングさだったり、輝かしさだったり、内面の吐露だったり…)を見せてくれる。決然と自信に満ち、或いは深く染み透るような透徹とした世界が、まっすぐでしなやかな線に全体が貫かれつつ完結した。何の迷いもない、そして実に深いベートーヴェン。
続いて演奏されたベートーヴェン後期の名品では、上原は1曲目とは明らかに違うアプローチで臨んでいた。外面的なコントラストの対比やディナミークを抑え、より内面の世界を描こうとしたのかも知れないが、その明確な意図が伝わってこなかったのは僕の感性が足りないせいかも知れない。
後半のプログラム、プロコフィエフの「ロミオとジュリエット」はオーケストラとはまた一味違った多彩な音の饗宴。鮮やかなタッチと明晰な音色、乗り乗りのリズム感、といった外面的な見事さに加え、バレエのダンサーがソロでスポットライトを浴びて、全身で湧き出る感情を表現しているような真摯さが伝わってきた。
続く「戦争ソナタ」、以前イム・ドンヒュクのピアノで、情け容赦なくたたみかけてくるその迫力にただただ圧倒された時の記憶が鮮明に残っているのだが、上原の演奏ではそれとは一味違うこの曲の魅力を味わった。それは例えば第2楽章で聴く、焦げ付くような感情の「軋み」から伝わってくる「鈍い痛み」とか、第3楽章の胸の奥底から湧き上がってくるような熱く駆り立てられる焦燥感とか、そうした人間の生々しい感覚や感情だったような気がする。圧倒され打ちのめされるというより、演奏の中に引きずり込まれるような感覚…
アンコールでのシューマンやチャイコフスキーで聴かせてくれた、解き放たれて自由に羽ばたき、しあわせや安らぎを振り撒く演奏も素晴らしかったし、まだまだこのピアニストは色んなまだ見せてくれていない素敵な引き出しやポケットを持っているのではないか、と思うと、もっといろいろ聴いてみたくなる。
今の時点でもこの上ないほど素晴らしい音楽を聴かせてくれる上原彩子だが、どこまでも更に進化していきそうな可能性とその器の大きさを感じずにはいられない。
サントリーホール
【曲目】
1. ベートーヴェン/ソナタ第5番 ハ短調 Op.10-1


2. ベートーヴェン/ソナタ第31番 変イ長調 Op.110
3. プロコフィエフ/「ロメオとジュリエット」から 10の小品 Op.75

4. プロコフィエフ/ソナタ第7番 変ロ長調「戦争ソナタ」 Op.83


【アンコール】
1. シューマン/トロイメライ

2. プロコフィエフ/束の間の幻影~第10曲

3. チャイコフスキー/「四季」~「12月」


上原彩子を初めて聴いたのは今年の1月、ベルリン八重奏団との共演でのシューベルトの「ます」。そのときの鮮烈なイメージが今回のリサイタルに足を向かわせた。
ベートーヴェンのどちらかと言うとマイナーなソナタにプロコフィエフという「地味な」プログラミングのせいか、「アイドル系」として売り出されることを拒否する上原さんの「地道なポリシー」のせいか、サントリーホールの2階席は結構空席も目立ったが、上原彩子がいかに素晴らしいピアニストであるかを思い知ったリサイタルとなった。
まずはベートーヴェンの初期のハ短調のソナタ。決然とした第1主題と思索的な第2主題の対比が見事な第1楽章をはじめ、曲中に現れるさまざまな個性を持ったフレーズが、その最も理想的な姿(チャーミングさだったり、輝かしさだったり、内面の吐露だったり…)を見せてくれる。決然と自信に満ち、或いは深く染み透るような透徹とした世界が、まっすぐでしなやかな線に全体が貫かれつつ完結した。何の迷いもない、そして実に深いベートーヴェン。
続いて演奏されたベートーヴェン後期の名品では、上原は1曲目とは明らかに違うアプローチで臨んでいた。外面的なコントラストの対比やディナミークを抑え、より内面の世界を描こうとしたのかも知れないが、その明確な意図が伝わってこなかったのは僕の感性が足りないせいかも知れない。
後半のプログラム、プロコフィエフの「ロミオとジュリエット」はオーケストラとはまた一味違った多彩な音の饗宴。鮮やかなタッチと明晰な音色、乗り乗りのリズム感、といった外面的な見事さに加え、バレエのダンサーがソロでスポットライトを浴びて、全身で湧き出る感情を表現しているような真摯さが伝わってきた。
続く「戦争ソナタ」、以前イム・ドンヒュクのピアノで、情け容赦なくたたみかけてくるその迫力にただただ圧倒された時の記憶が鮮明に残っているのだが、上原の演奏ではそれとは一味違うこの曲の魅力を味わった。それは例えば第2楽章で聴く、焦げ付くような感情の「軋み」から伝わってくる「鈍い痛み」とか、第3楽章の胸の奥底から湧き上がってくるような熱く駆り立てられる焦燥感とか、そうした人間の生々しい感覚や感情だったような気がする。圧倒され打ちのめされるというより、演奏の中に引きずり込まれるような感覚…
アンコールでのシューマンやチャイコフスキーで聴かせてくれた、解き放たれて自由に羽ばたき、しあわせや安らぎを振り撒く演奏も素晴らしかったし、まだまだこのピアニストは色んなまだ見せてくれていない素敵な引き出しやポケットを持っているのではないか、と思うと、もっといろいろ聴いてみたくなる。
今の時点でもこの上ないほど素晴らしい音楽を聴かせてくれる上原彩子だが、どこまでも更に進化していきそうな可能性とその器の大きさを感じずにはいられない。