2月15日(水)新国立劇場オペラ公演
新国立劇場 中劇場
【演目】
松村禎三/「沈黙」
【配役】
ロドリゴ:小餅谷哲男/フェレイラ:久保和範/ヴァリニャーノ:成田博之/キチジロー:星野淳/モキチ:経種廉彦/オハル:高橋薫子/おまつ:与田朝子/少年:山下牧子/じさま:大久保眞/老人:大久保光哉/チョウキチ:加茂下稔/井上筑後守:島村武男/通辞:吉川健一/役人・番人:峰 茂樹
【演出】宮田慶子
【美術】池田ともゆき【衣裳】半田悦子【照明】川口雅弘
【演奏】
下野竜也 指揮 東京交響楽団/新国立劇場合唱団/世田谷ジュニア合唱団
このオペラ公演のチラシを見たときは、新作初演かと思ったがとんでもない。初演は1993年で、そもそも作曲の松村禎三はもう生きていなかった。新国での上演も2000年に続き二度目ということだが、中劇場で行われた今公演の初日を観て、期待を大きく上回る強い感銘を受けた。
何より特筆すべきは、作品としての素晴らしさ。息もつかせぬストーリー性と深刻なテーマは、誰をもそのドラマの中に引き込み、そこから伝わる不条理、理不尽さ、信仰とは何かを問う問題性、そして何より、人間が抱える「弱さ」が赤裸々に迫ってきて、舞台から一時も目を離せないし、一瞬でも音楽から耳を離せない。傑作と言われる遠藤周作の原作を音楽に置き換え、音楽でここまで人の心を引き付ける作品に仕上げた松村禎三の仕事は驚嘆に値する。
音楽は前衛的な無調が中心だが難解さは全くなく、歌詞の内容や歌い手の心、その場の情景を的確に捉え、深く胸に迫って来た。そこには、恐怖や怒り、おののき、渇望、絶望、愛情など、人間の様々な感情が鮮やかに深く描かれていた。
無調音楽がこれほど幅広く豊かで、細やかで深い表現力を具え、それぞれのシーンにこれほどふさわしいと感じることはそうはない。安易な手法や常套手段を感じさせるところも皆無で、全曲を通して厳しさに貫かれ、血の通った人間の温もりが伝わり、格調高い音楽が鳴り続けていた。松村禎三は、骨のある音楽を作る作曲家という印象はあったものの、実際に思い浮かぶ曲がなかったが、この「沈黙」は、松村の真の才能と実力が最大限に発揮された作品に間違いない。
そして、その素晴らしい作品を上演という形で具現化した演奏陣とスタッフ陣!下野竜也指揮の東響の演奏は本当に立派だった。アンサンブルとしての柔軟性や繊細さ、雄弁な表現力にも秀でていたし、かなり大変そうなところが多いソロパートでも、非凡な力を発揮していた。ソロヴァイオリンの哀感溢れる表情も秀逸!下野は、オケをまとめる腕前や、きれいな響きを作るのに感心したことはあったが、今夜ほど迫真の、臨場感溢れる演奏に接したのは初めて。
歌手陣の健闘も心から称えたい。一番胸を打つ歌を聴かせてくれたのが、オハルを歌った高橋薫子。透き通った、しかも芯のある美しい声で、凛とした、気高く一途な人物像を描いていた。磔りつけにされたモキチの助けを求める迫真のシーンや、死に行く場面での、天国から聞えるモキチの声とのデュエットの美しさが今でも耳に残る。そのデュオの相手のモキチを歌った経種廉彦は、処刑の場面で歌う「参ろうかな…」や、オハルを天国へ誘う場面での、柔らかく温かな歌が胸にジーンときた。
人間の弱さを一番露わにするキチジローだが、これを歌った星野淳は、そうした弱さととことん向き合い、突き詰めた迫真の歌唱が深く心を突き動かした。ロドリゴをいさめるフェレイラ役の久保和範の歌から伝わる大きな存在感も忘れがたい。
そして、全幕を通して最も出番の多いロドリゴを歌った小餅谷哲男は、滑らかなコントロールが行き届いた柔らかい美声で、敬虔な司祭の姿を印象づけた。角が取れ、アクのない歌唱がちょっと物足りなさも感じたが、それだけに、最後の踏み絵を前にした独白のシーンで聴かせた凄みは胸を打った。これだけたくさん歌っても最後までスタミナ切れもなく、立派に主役を歌い演じた。
その他の歌い手たちも、出番の少ない役に至るまで、役どころにふさわしい耳を引く歌を聴かせていて、レベルの高さに感心した。合唱は出番も多く、このオペラで重要な役割を担っているが、ピュアなハーモニーでも不協和な響きでも、良く鍛練された声で、細やかな表情で歌う弱音から轟く大音量まで、統制の行き届いた歌を聴かせてくれた。
新制作となったこの公演は、オペラの演出は初めてという宮田慶子によるもの。巨大で荒削りの傾いた十字架が乗る回り舞台を効果的に使い、照明が光と影をくっきりと分け、情景描写や心理描写を巧みに行っていた。冒頭の鮮烈なシーンの印象は、このオペラ全体を支配するほどに強烈。モキチが処刑される場面や、天国からオハルを呼び入れる場面で、ステージの奥行き活かして、視覚的にも音響的にも距離感を作り出していたのもとても効果的。
色彩的には全体的に大人しいなか、歌いながら練り歩く子供達の衣装の色彩は鮮烈で、華やかさの影に血の色が暗示されているようでちょっとぞっとした。演出・衣装・照明が3拍子揃って名舞台を作り出した。
この公演は、作品自体の魅力と上演レベルの高さで、近年でも特筆すべきものではないだろうか。このキャスティングとスタッフで、世界にこの素晴らしいオペラをもっともっと広めていって欲しい。
新国立劇場 中劇場
【演目】
松村禎三/「沈黙」
【配役】
ロドリゴ:小餅谷哲男/フェレイラ:久保和範/ヴァリニャーノ:成田博之/キチジロー:星野淳/モキチ:経種廉彦/オハル:高橋薫子/おまつ:与田朝子/少年:山下牧子/じさま:大久保眞/老人:大久保光哉/チョウキチ:加茂下稔/井上筑後守:島村武男/通辞:吉川健一/役人・番人:峰 茂樹
【演出】宮田慶子
【美術】池田ともゆき【衣裳】半田悦子【照明】川口雅弘
【演奏】
下野竜也 指揮 東京交響楽団/新国立劇場合唱団/世田谷ジュニア合唱団
このオペラ公演のチラシを見たときは、新作初演かと思ったがとんでもない。初演は1993年で、そもそも作曲の松村禎三はもう生きていなかった。新国での上演も2000年に続き二度目ということだが、中劇場で行われた今公演の初日を観て、期待を大きく上回る強い感銘を受けた。
何より特筆すべきは、作品としての素晴らしさ。息もつかせぬストーリー性と深刻なテーマは、誰をもそのドラマの中に引き込み、そこから伝わる不条理、理不尽さ、信仰とは何かを問う問題性、そして何より、人間が抱える「弱さ」が赤裸々に迫ってきて、舞台から一時も目を離せないし、一瞬でも音楽から耳を離せない。傑作と言われる遠藤周作の原作を音楽に置き換え、音楽でここまで人の心を引き付ける作品に仕上げた松村禎三の仕事は驚嘆に値する。
音楽は前衛的な無調が中心だが難解さは全くなく、歌詞の内容や歌い手の心、その場の情景を的確に捉え、深く胸に迫って来た。そこには、恐怖や怒り、おののき、渇望、絶望、愛情など、人間の様々な感情が鮮やかに深く描かれていた。
無調音楽がこれほど幅広く豊かで、細やかで深い表現力を具え、それぞれのシーンにこれほどふさわしいと感じることはそうはない。安易な手法や常套手段を感じさせるところも皆無で、全曲を通して厳しさに貫かれ、血の通った人間の温もりが伝わり、格調高い音楽が鳴り続けていた。松村禎三は、骨のある音楽を作る作曲家という印象はあったものの、実際に思い浮かぶ曲がなかったが、この「沈黙」は、松村の真の才能と実力が最大限に発揮された作品に間違いない。
そして、その素晴らしい作品を上演という形で具現化した演奏陣とスタッフ陣!下野竜也指揮の東響の演奏は本当に立派だった。アンサンブルとしての柔軟性や繊細さ、雄弁な表現力にも秀でていたし、かなり大変そうなところが多いソロパートでも、非凡な力を発揮していた。ソロヴァイオリンの哀感溢れる表情も秀逸!下野は、オケをまとめる腕前や、きれいな響きを作るのに感心したことはあったが、今夜ほど迫真の、臨場感溢れる演奏に接したのは初めて。
歌手陣の健闘も心から称えたい。一番胸を打つ歌を聴かせてくれたのが、オハルを歌った高橋薫子。透き通った、しかも芯のある美しい声で、凛とした、気高く一途な人物像を描いていた。磔りつけにされたモキチの助けを求める迫真のシーンや、死に行く場面での、天国から聞えるモキチの声とのデュエットの美しさが今でも耳に残る。そのデュオの相手のモキチを歌った経種廉彦は、処刑の場面で歌う「参ろうかな…」や、オハルを天国へ誘う場面での、柔らかく温かな歌が胸にジーンときた。
人間の弱さを一番露わにするキチジローだが、これを歌った星野淳は、そうした弱さととことん向き合い、突き詰めた迫真の歌唱が深く心を突き動かした。ロドリゴをいさめるフェレイラ役の久保和範の歌から伝わる大きな存在感も忘れがたい。
そして、全幕を通して最も出番の多いロドリゴを歌った小餅谷哲男は、滑らかなコントロールが行き届いた柔らかい美声で、敬虔な司祭の姿を印象づけた。角が取れ、アクのない歌唱がちょっと物足りなさも感じたが、それだけに、最後の踏み絵を前にした独白のシーンで聴かせた凄みは胸を打った。これだけたくさん歌っても最後までスタミナ切れもなく、立派に主役を歌い演じた。
その他の歌い手たちも、出番の少ない役に至るまで、役どころにふさわしい耳を引く歌を聴かせていて、レベルの高さに感心した。合唱は出番も多く、このオペラで重要な役割を担っているが、ピュアなハーモニーでも不協和な響きでも、良く鍛練された声で、細やかな表情で歌う弱音から轟く大音量まで、統制の行き届いた歌を聴かせてくれた。
新制作となったこの公演は、オペラの演出は初めてという宮田慶子によるもの。巨大で荒削りの傾いた十字架が乗る回り舞台を効果的に使い、照明が光と影をくっきりと分け、情景描写や心理描写を巧みに行っていた。冒頭の鮮烈なシーンの印象は、このオペラ全体を支配するほどに強烈。モキチが処刑される場面や、天国からオハルを呼び入れる場面で、ステージの奥行き活かして、視覚的にも音響的にも距離感を作り出していたのもとても効果的。
色彩的には全体的に大人しいなか、歌いながら練り歩く子供達の衣装の色彩は鮮烈で、華やかさの影に血の色が暗示されているようでちょっとぞっとした。演出・衣装・照明が3拍子揃って名舞台を作り出した。
この公演は、作品自体の魅力と上演レベルの高さで、近年でも特筆すべきものではないだろうか。このキャスティングとスタッフで、世界にこの素晴らしいオペラをもっともっと広めていって欲しい。
オペラ通のJANISさんも太鼓判を押す公演ということで、
益々この公演の素晴らしさを思い出していますが、
昨日、二期会の「ナブッコ」を観て、
いろいろな意味で更にそんな思いが強まりました(今日中に感想UPします)。
でも、JANISさんならこの「ナブッコ」を
別の見方で楽しむ方法をご存知かも知れません。
またコメントお願いします。
他のブログで知ったのですが、初日と2日目では
エンディングの演出が全く異なっていたそうです。
これは両方観るべきだったかも・・・
近いうちの再演が望まれます!
キャストはPocknさんと同じですね。残念ながら、席は15-69でしたので、舞台の1/3は見えませんでしたが。
第1幕の幕開けから強烈な印象を与える音楽を、観客にストレートに伝え、オペラの世界に引っ張り込む舞台を創造した宮田女史の才覚には驚嘆。このテンションは、第2幕の幕が降りるまで続いて、本当に素晴らしい仕事をしてくれたものと感謝しております。オペラ畑の演出家による演出は、変に奇をてらったり、逆に人物の掘り下げがなっていないものが多いのですが、演劇の人が演出した舞台は(はまれば)凄い!
音楽の感想としては、ロドリゴの音楽にどこか甘さがあって、アリア的な姿形を与えようと松村氏が意図したのかはわかりませんが、ドラマの緊迫感からすれば、シュップレッヒ・シュテンメでずっと通してたほうが良かったのではないかと思います。ただし、ドラマの核心に迫っていく後半になればなるほど素晴らしいものだったと思いました。
2011-2012シーズンの白眉と評価したい上演だったこのプロダクション、是非とも新国立劇場の財産として、残して行ってもらいたいですし、世界に向けて発信してもらいたいですね。ドラマの内容、音楽からいっても、その価値は十二分にある。pocknさんのご意見に大賛成です。