11月22日(金)S:天羽明惠/T:澤武紀行/Pf:ジークムント・イェルセット
天羽明惠 ドイツ歌曲シリーズVol.3
東京オペラシティ リサイタルホール
【曲目】
(R.シュトラウスの歌曲)
♪ 夜に Op.68-1
♪ 何もない Op.10-2
♪ 献呈 Op.10-1
♪ 万霊節 Op.10-8
♪ 矢車菊 Op.22-1
♪ 芥子の花 Op.22-2
♪ 3つのオフェーリアの歌 Op.67
♪ 君は私の心の冠 Op.21-2
♪ ああみじめな僕、不幸をまとった男 Op.21-4
♪ 明日の朝 Op.27-4
♪ 密やかな誘い Op.27-3
(A.ライマンの歌曲)
♪ 「子どもの歌」 より 第1、2、3、4、6、8曲
(R.シュトラウスの歌曲)
♪ 夜Op.10-3
♪ 君の黒髪を私の頭に広げて O.19-.2
♪ 私は恋を抱いて Op.32-1
♪ 憩え、我が心 O.27-1
♪ 解き放たれて Op.39-4
♪ 母の自慢話 Op.43-2
♪ 四つの最後の歌
僕が参加している演奏団体“Musikfreunde燦“の演奏会でソリストを務めてくださり、今年からヴォイストレーニングもやってくださっているソプラノ歌手の天羽明恵さんには「燦」で出会うずっと前から注目していて、これまで何度も実演に接して来た。今回、久々に聴く機会を得た天羽さんのリサイタルでは、テノールの澤武紀行さん、ピアノのジークムント・イェルセットさんと共に綴られたリヒャルト・シュトラウスの歌曲の世界を堪能した。
冒頭で歌われた「夜に」で、天羽さんはいきなり聴き手の心を掴み取った。神聖で格調高く、穏やかな歌の奥には熱い感情が沸々としているのが感じ取れた。一つ一つの言葉が吟味され、言葉に魂が宿っていた。この曲に限らず、天羽さんの歌は常に大胆かつ細やかなコントロールが行き渡り、艶やかで香り高く、瑞々しい声の魅力とともに、言葉がその意味に相応しい表情を呈して伝わって来た。
真っすぐに対象を見つめ、ストイックに研ぎ澄まされた表現に徹する姿勢は、詩の主人公になり切って過度に感情移入するのではなく、語り手としてそこで起きているシーンや、主人公の心理を第三者的な目線で的確に捉える。例えば「3つのオフェーリアの歌」の2曲目のかなりきわどい性的な描写も何食わぬ顔でサラリと歌っているように見えながら、そこには辛辣なアイロニーさえ感じられた。「4つの最後の歌」では、深淵で達観した世界が、静かな温もりを湛えて浮かび上がって来た。シュトラウスの歌曲に加えて取り上げられたライマンの小品は、ウェーベルンのような点描的・刹那的な音楽で、瞬間の美しさを捉えていた。
リサイタルでのイェルセット氏のピアノの貢献度も大きい。詩と音楽の世界に深く入り込み、歌に温かく優しい香り付けを施し、天羽さんの歌を鮮明に引き立てる。「4つの最後の歌」の終曲でのひばりの声を模したトリルが夕闇の中に溶け込んでいく様子など、絵画的な美しさを湛えた卓越した表現力を持つ。イェルセット氏は、天羽さんの歌になくてはならない存在と云えよう。
こうした天羽さんの歌に対して、澤武さんの歌は朗々とした輝かしい美声を駆使して、「ザ・テノール」と云いたくなるオペラチックなストレートで熱い感情を伝えた。天羽さんの語り手的な表現とは対照的に、詩の主人公になり切って聴き手に訴えかける。「万霊節」などでは内面から切なく熱い思いが静かにこみ上げる表現が欲しいとも思ったが、「ああみじめな僕…」や「母の自慢話」などでの演技を交えたコメディータッチの歌では澤武さんの役者としての持ち味が全開。「母の自慢話」ではお下げ髪のかつらで女装して、娘自慢を我が事のように名演技を交えて熱唱した。僕はあらかじめ歌詞対訳を用意していたので、歌詞がリアルタイムにわかって楽しかったが、歌詞がわからない聴衆も、この名演技と名唱にすっかり惹き込まれた様子で、笑いと共に大喝采が沸き起こった。
天羽さんが、こうして自身とは異なるスタイルの歌手をゲストに招いて1つのプログラムを作り上げることで、シュトラウスという作曲家のより多面的な姿が浮かび上がってくる。このリサイタルシリーズは毎回違うゲストとの共演で行われている。次はどんなリサイタルになるだろうという期待へも繋がった。
一柳 慧の音楽 ~コンポージアム2016~(S:天羽明恵) 2016.5.25 東京オペラシティ
ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン(S:天羽明惠/Pf:仲道郁代) 2008.5.2 相田みつを美術館
草津国際音楽祭:エルンスト・ヘフリガー追悼(S:天羽明恵)2007.8.27 草津音楽の森国際コンサートホール
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♪ 明日の朝 Op.27-4
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♪ 君の黒髪を私の頭に広げて O.19-.2
♪ 私は恋を抱いて Op.32-1
♪ 憩え、我が心 O.27-1
♪ 解き放たれて Op.39-4
♪ 母の自慢話 Op.43-2
♪ 四つの最後の歌
僕が参加している演奏団体“Musikfreunde燦“の演奏会でソリストを務めてくださり、今年からヴォイストレーニングもやってくださっているソプラノ歌手の天羽明恵さんには「燦」で出会うずっと前から注目していて、これまで何度も実演に接して来た。今回、久々に聴く機会を得た天羽さんのリサイタルでは、テノールの澤武紀行さん、ピアノのジークムント・イェルセットさんと共に綴られたリヒャルト・シュトラウスの歌曲の世界を堪能した。
冒頭で歌われた「夜に」で、天羽さんはいきなり聴き手の心を掴み取った。神聖で格調高く、穏やかな歌の奥には熱い感情が沸々としているのが感じ取れた。一つ一つの言葉が吟味され、言葉に魂が宿っていた。この曲に限らず、天羽さんの歌は常に大胆かつ細やかなコントロールが行き渡り、艶やかで香り高く、瑞々しい声の魅力とともに、言葉がその意味に相応しい表情を呈して伝わって来た。
真っすぐに対象を見つめ、ストイックに研ぎ澄まされた表現に徹する姿勢は、詩の主人公になり切って過度に感情移入するのではなく、語り手としてそこで起きているシーンや、主人公の心理を第三者的な目線で的確に捉える。例えば「3つのオフェーリアの歌」の2曲目のかなりきわどい性的な描写も何食わぬ顔でサラリと歌っているように見えながら、そこには辛辣なアイロニーさえ感じられた。「4つの最後の歌」では、深淵で達観した世界が、静かな温もりを湛えて浮かび上がって来た。シュトラウスの歌曲に加えて取り上げられたライマンの小品は、ウェーベルンのような点描的・刹那的な音楽で、瞬間の美しさを捉えていた。
リサイタルでのイェルセット氏のピアノの貢献度も大きい。詩と音楽の世界に深く入り込み、歌に温かく優しい香り付けを施し、天羽さんの歌を鮮明に引き立てる。「4つの最後の歌」の終曲でのひばりの声を模したトリルが夕闇の中に溶け込んでいく様子など、絵画的な美しさを湛えた卓越した表現力を持つ。イェルセット氏は、天羽さんの歌になくてはならない存在と云えよう。
こうした天羽さんの歌に対して、澤武さんの歌は朗々とした輝かしい美声を駆使して、「ザ・テノール」と云いたくなるオペラチックなストレートで熱い感情を伝えた。天羽さんの語り手的な表現とは対照的に、詩の主人公になり切って聴き手に訴えかける。「万霊節」などでは内面から切なく熱い思いが静かにこみ上げる表現が欲しいとも思ったが、「ああみじめな僕…」や「母の自慢話」などでの演技を交えたコメディータッチの歌では澤武さんの役者としての持ち味が全開。「母の自慢話」ではお下げ髪のかつらで女装して、娘自慢を我が事のように名演技を交えて熱唱した。僕はあらかじめ歌詞対訳を用意していたので、歌詞がリアルタイムにわかって楽しかったが、歌詞がわからない聴衆も、この名演技と名唱にすっかり惹き込まれた様子で、笑いと共に大喝采が沸き起こった。
天羽さんが、こうして自身とは異なるスタイルの歌手をゲストに招いて1つのプログラムを作り上げることで、シュトラウスという作曲家のより多面的な姿が浮かび上がってくる。このリサイタルシリーズは毎回違うゲストとの共演で行われている。次はどんなリサイタルになるだろうという期待へも繋がった。
一柳 慧の音楽 ~コンポージアム2016~(S:天羽明恵) 2016.5.25 東京オペラシティ
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