2019年12月7日(土)のち
大好きな台湾に仕事で行く機会を得た。図書館や出版関係者で台北の図書館を3泊4日で視察する研修で、充実した研修プログラムをほぼ終えた最終日、お昼までフリータイムだった。
故宮博物院を訪れるオプションがあったがこれには参加せず、1人で迪化街辺りを散歩しようと、ホテルの朝食はパスしてまずは台北車站(台北駅)近くの行きつけの朝ごはん屋さんへ。顔見知りの店員さん達はいつもと違う時期に家族を連れずに1人で来たのでびっくりした様子で歓迎してくれた。
美味しい朝ごはん(ホテルの朝食よりやっぱりこれが一番!)を食べたあと、迪化街に行く前に少し寄り道をして、近くに見えた歴史的建造物を目差して歩いた。そこは国立台湾博物館。日本統治時代に建てられた立派な建築だ。研修中の台北はこれでもかというほど雨が降り続いたが、最終日にようやく雨が上がったので、博物館が建つ二二八紀念公園内を散歩した。
そう云えばこの近くに「公園號」という美味しい酸梅湯の店があったな…と、あやしい記憶を頼りに歩き回ったが見つからない。「この道になかったらあきらめよう」と、最後に公園路を歩いたがお店は見つからなかった。迪化街へ行くのが遅くなってしまったのでタクシーを探しながら歩いていたら、コンクリートの塀で囲まれた敷地の入口に「今日開放 歓迎参観」という立て看板を見つけた。立て看板には西洋建築のイラストが描かれている。
「もしかしてここは台北賓館?」確信のないまま中へ入っていくとギリシャ風の列柱を持つ美しい洋風建築が現れた。
前庭には噴水があり、訪れた人達が噴水と建物をバックに写真を撮っていた。
建物の中に足を踏み入れると、そこはシャンデリアが輝き、白地に金の装飾が施された豪華な内装のエントランスホールがあった。「台北賓館」の文字と共に中国語の案内掲示が。間違いなくここは台北賓館だ。
台北賓館は日本統治時代に台湾総督の官邸として日本政府が建設した豪華な館(1899年着工、1901年完成)。戦後は重要建築史跡に指定され、迎賓館として、或いは国の重要なセレモニーの際などに限って使われていたこの建物は、台北市民にとっても神秘のヴェールに包まれていた。それが2006年から一般公開が始まった。月に1日だけ不定期で公開しているが、毎年台湾に来ていても開放日と合わずに一度も見たことがなかった僕にとってはずっと幻の館だった。
大勢の人達がエントランスホールに行列を作っていた。迪化街よりもこのレアなチャンスは逃せない!もちろん最後尾に並んだ。台北はどこを歩いても日本人に出会うが、行列から日本語は聞こえてこない。月にたった一日、それも不定期にしか公開していない台北賓館は、短期滞在の旅行者にとってはチェック項目から漏れてしまうのだろう。かく云う僕も全くの偶然が重なってやって来たわけだし。
記帳や身分証明書の提示、入場料は不要。入場制限が行われていて係の人が何人かずつ数えながら入れている。かなり長い行列だったが、その間もエントランスホールをじっくり見られるし、30分ほどで入場することが出来た。最初は吹き抜けの階段を上がり2階へ。
この吹き抜けの階段ホール、開放感があり明るく華やかで建物のなかでもトップクラスの見栄えがした。館内はストロボを使わなければどこでも撮影自由。記念撮影する人達がたくさんいた。
2階の踊り場も豪華!
その踊り場に「彫刻装飾櫃」と案内プレートが立つ大きな木の櫃が置かれていた。側面には細かいレリーフが。案内プレートには日本の代表的な風景がモチーフになっていると中国語で書かれている。「台湾ノスタルジア」(2009.12)という雑誌には「謎の櫃」と書かれていて、由来も用途も不明とのこと。
踊り場と隣の部屋の間を仕切る壁にはめ込まれたステンドグラス
壁、天井、仕切り、柱、照明… どれも繊細で、洗練された美しさで調和している。
クリックで拡大
案内プレートに「第二起居室(第二居間)」とある。総督の寝室として造られ、昭和天皇(当時は皇太子)が泊った部屋だそうだ。「台北ナビ」によれば、総督は皇太子が泊ったあとにここで寝泊まりするのは畏れ多いと、離れの日本家屋に移ったとのこと。
「書斎」と案内に記されたこの部屋に掛かる書は北白川宮能久親王の筆によるそうだが、「オリジナルは他に転出中のためこちらは複製」とあった。
「女賓客室(婦人客室)」に置かれた豪華な調度は棚?
「第二寝室」は賓客のゲストルーム、主に女性客にあてがわれた。
ここの家具は台湾が韓国と断交後に韓国大使館から運び入れたもの。
「早餐室(朝食室)」と書かれたプレートの中国語の説明には、総督は朝食後は外出して多忙なことが多く、ここで昼食や夕食を摂ることは少なかったとある。本来は朝食に限らずダイニングとして作られたようだ。
暖炉のタイルもシャレている。
更に上へ行くらせん階段があった。
屋根裏から展望バルコニーへ出られるようだが、ここは立入り禁止。
順路に従って下り用の階段で再び1階へ
総督官邸時代は執務室だったそうだが、今は賓客を迎える部屋として使われているという。
豪華な通路を通って更に奥へ
いちばん奥の部屋ではビデオが上映されていた。
約1時間かけて館内を巡り、建物の反対側へ出た。
建物の反対側には日本庭園があった。とても大きい。
台北賓館の隣に樹木に囲まれた日本家屋があった。
総督は官邸内ではなく、こちらに寝泊まりしていたという家だ。
日本家屋は公開されておらず立ち入り禁止だった。
いくつもの偶然が重なり、月にたった一度の公開日に訪れることができた台北賓館。台湾の神様が台湾をこよなく愛する僕を導いてくれたような気がした。
台北賓館の月一度の公開日はこちらのサイトで事前に確かめることができる。台北を訪れる予定があれば是非チェックしてレアな文化財を見学してみよう。
優しい台湾 ~三峡で出会ったおじいさん(台湾人の優しさを考える)~
おもしろすぎる台湾
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大好きな台湾に仕事で行く機会を得た。図書館や出版関係者で台北の図書館を3泊4日で視察する研修で、充実した研修プログラムをほぼ終えた最終日、お昼までフリータイムだった。
故宮博物院を訪れるオプションがあったがこれには参加せず、1人で迪化街辺りを散歩しようと、ホテルの朝食はパスしてまずは台北車站(台北駅)近くの行きつけの朝ごはん屋さんへ。顔見知りの店員さん達はいつもと違う時期に家族を連れずに1人で来たのでびっくりした様子で歓迎してくれた。
美味しい朝ごはん(ホテルの朝食よりやっぱりこれが一番!)を食べたあと、迪化街に行く前に少し寄り道をして、近くに見えた歴史的建造物を目差して歩いた。そこは国立台湾博物館。日本統治時代に建てられた立派な建築だ。研修中の台北はこれでもかというほど雨が降り続いたが、最終日にようやく雨が上がったので、博物館が建つ二二八紀念公園内を散歩した。
そう云えばこの近くに「公園號」という美味しい酸梅湯の店があったな…と、あやしい記憶を頼りに歩き回ったが見つからない。「この道になかったらあきらめよう」と、最後に公園路を歩いたがお店は見つからなかった。迪化街へ行くのが遅くなってしまったのでタクシーを探しながら歩いていたら、コンクリートの塀で囲まれた敷地の入口に「今日開放 歓迎参観」という立て看板を見つけた。立て看板には西洋建築のイラストが描かれている。
「もしかしてここは台北賓館?」確信のないまま中へ入っていくとギリシャ風の列柱を持つ美しい洋風建築が現れた。
前庭には噴水があり、訪れた人達が噴水と建物をバックに写真を撮っていた。
建物の中に足を踏み入れると、そこはシャンデリアが輝き、白地に金の装飾が施された豪華な内装のエントランスホールがあった。「台北賓館」の文字と共に中国語の案内掲示が。間違いなくここは台北賓館だ。
台北賓館は日本統治時代に台湾総督の官邸として日本政府が建設した豪華な館(1899年着工、1901年完成)。戦後は重要建築史跡に指定され、迎賓館として、或いは国の重要なセレモニーの際などに限って使われていたこの建物は、台北市民にとっても神秘のヴェールに包まれていた。それが2006年から一般公開が始まった。月に1日だけ不定期で公開しているが、毎年台湾に来ていても開放日と合わずに一度も見たことがなかった僕にとってはずっと幻の館だった。
大勢の人達がエントランスホールに行列を作っていた。迪化街よりもこのレアなチャンスは逃せない!もちろん最後尾に並んだ。台北はどこを歩いても日本人に出会うが、行列から日本語は聞こえてこない。月にたった一日、それも不定期にしか公開していない台北賓館は、短期滞在の旅行者にとってはチェック項目から漏れてしまうのだろう。かく云う僕も全くの偶然が重なってやって来たわけだし。
記帳や身分証明書の提示、入場料は不要。入場制限が行われていて係の人が何人かずつ数えながら入れている。かなり長い行列だったが、その間もエントランスホールをじっくり見られるし、30分ほどで入場することが出来た。最初は吹き抜けの階段を上がり2階へ。
この吹き抜けの階段ホール、開放感があり明るく華やかで建物のなかでもトップクラスの見栄えがした。館内はストロボを使わなければどこでも撮影自由。記念撮影する人達がたくさんいた。
2階の踊り場も豪華!
その踊り場に「彫刻装飾櫃」と案内プレートが立つ大きな木の櫃が置かれていた。側面には細かいレリーフが。案内プレートには日本の代表的な風景がモチーフになっていると中国語で書かれている。「台湾ノスタルジア」(2009.12)という雑誌には「謎の櫃」と書かれていて、由来も用途も不明とのこと。
踊り場と隣の部屋の間を仕切る壁にはめ込まれたステンドグラス
壁、天井、仕切り、柱、照明… どれも繊細で、洗練された美しさで調和している。
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案内プレートに「第二起居室(第二居間)」とある。総督の寝室として造られ、昭和天皇(当時は皇太子)が泊った部屋だそうだ。「台北ナビ」によれば、総督は皇太子が泊ったあとにここで寝泊まりするのは畏れ多いと、離れの日本家屋に移ったとのこと。
「書斎」と案内に記されたこの部屋に掛かる書は北白川宮能久親王の筆によるそうだが、「オリジナルは他に転出中のためこちらは複製」とあった。
「女賓客室(婦人客室)」に置かれた豪華な調度は棚?
「第二寝室」は賓客のゲストルーム、主に女性客にあてがわれた。
ここの家具は台湾が韓国と断交後に韓国大使館から運び入れたもの。
「早餐室(朝食室)」と書かれたプレートの中国語の説明には、総督は朝食後は外出して多忙なことが多く、ここで昼食や夕食を摂ることは少なかったとある。本来は朝食に限らずダイニングとして作られたようだ。
暖炉のタイルもシャレている。
更に上へ行くらせん階段があった。
屋根裏から展望バルコニーへ出られるようだが、ここは立入り禁止。
順路に従って下り用の階段で再び1階へ
総督官邸時代は執務室だったそうだが、今は賓客を迎える部屋として使われているという。
豪華な通路を通って更に奥へ
いちばん奥の部屋ではビデオが上映されていた。
約1時間かけて館内を巡り、建物の反対側へ出た。
建物の反対側には日本庭園があった。とても大きい。
台北賓館の隣に樹木に囲まれた日本家屋があった。
総督は官邸内ではなく、こちらに寝泊まりしていたという家だ。
日本家屋は公開されておらず立ち入り禁止だった。
いくつもの偶然が重なり、月にたった一度の公開日に訪れることができた台北賓館。台湾の神様が台湾をこよなく愛する僕を導いてくれたような気がした。
台北賓館の月一度の公開日はこちらのサイトで事前に確かめることができる。台北を訪れる予定があれば是非チェックしてレアな文化財を見学してみよう。
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