小澤征爾さんの訃報を機に、このブログを始める前に書いていた小澤征爾指揮の公演の感想から、とりわけ感銘を受けたものの感想をアーカイブで紹介します。
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大きな社会問題にまで発展した小澤とN響の事件はリアルタイムでは知らないし、この演奏会当時も詳しく知ることはないままだったが、「N響事件」で途絶えた両者の共演が32年ぶりに実現することになり、チケットは瞬く間に売り切れた。怪我や病気で活動が出来ないアーティストを助けるチャリティーという特別な意味があって実現したこの演奏会に、阪神淡路大震災の被災者への支援の意味が加わり、チャリティー演奏会の収益の一部は、更に震災に対するチャリティーに使われることになった。
チューニングが終ったあとのサントリーホールは恐ろしいほどの静寂に支配され、異様な緊迫感に包まれていたことを思い出す。誰もがN響の前に32年振りに姿を現す小澤を待っていた。そして本当に小澤征爾が登場した時の拍手のヴォルテージの高さも尋常ではなかった。そして、今でも決して忘れることのない演奏会となった。あの名演は、小澤の盟友であるロストロポーヴィチの存在も大きかった気がする。
演奏は本当に素晴らしかったが、それが共演の継続には繋がらなかった。この後、小澤がN響を指揮したのは、10年後の「こどものためのプログラム」という特別な機会での1回きりだ。やはり小澤の負った心の傷が深かったという見方もできるかも知れないが、そもそも小澤が日本で定期的に指揮をした常設オーケストラは新日本フィルのみで、その後、サイトウキネンオーケストラと水戸室内管弦楽団との活動が盛んになったこともあり、小澤のN響への関心は高くはなかったことが理由ではないだろうか。
それにしても「N響事件」とは何だったんだろう。生意気な若造指揮者に腹を立て「おれはあいつの指揮では弾かない」というプレイヤーが何人いようと、それ自体は大したことではないと思う。問題なのは、そうした個人のレベルではなく、組織ぐるみで小澤をボイコットし、大切な定期演奏会まで中止に追い込んでしまったことだ。正当な理由がある労働争議とは訳が違う。この行動に本当は加わりたくなかった団員も少なからずいたはずだが、そんな思いはもみ消されてしまったのだろう。そこに、当時のN響の悪しき体質を見ずにはいられない。時代は変わり、N響も変わった。そんな体質を引きずる人がいようとも、今のN響でそんな人達の声が通ることはないと信じている。
(2024.2.16)
巨星・小澤征爾の訃報(小澤の感想リストあり)
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pocknのコンサート感想録アーカイブス ~ブログ開設以前の心に残った公演~ 1995年 1月23日(月) 小澤征爾指揮 NHK交響楽団/Vc:ムスティスラフ・ロストロポーヴィチ サントリーホール ♪ バッハ/アリア ♡ 1.バルトーク/オーケストラのための協奏曲 ☆ 2.ドヴォルザーク/チェロ協奏曲ロ短調Op.104 ㊝ (アンコール)バッハ/無伴奏チェロ組曲第2番~サラバンド ♡ 32年振りの小澤とN響の記念すべき再会。チケットは発売当日は40分後に電話がつながった時にはもう売り切れ。キャンセルの出る1週間後に幸運にもいい席が取れた。この記念すべきコンサートは、先週起きた阪神大震災のために大きな意味が加わった。小澤を待つ静寂、そして万雷の拍手に迎えられる小澤が、「地震の犠牲者のためにバッハのアリアを演奏します」と紹介して、プログラムにはないバッハを指揮台には上がらずに振った。亡くなった5000人余の霊を慰めるかのように、心や体に傷を負った何十万もの人達の傷口をなめるような限りなく優しくやわらかなバッハの調べが会場を包んだ。聴く者に涙と深い同情をもたらすものだった。 一旦退場した小澤が再び拍手に迎えられ、本来のプログラムが始まった。小澤/N響の入魂のバルトーク。N響の持ち味が十分に発揮され、集中力を高めようという空気が伝わってくる。小澤らしい柔軟な歌と木目の細かさ、そしてエネルギッシュな躍動感のある好演となった。ただ、期待していたような感動を得るにはもう一歩。楽器が暖まっていないような、空気が熱していないような、小澤とN響の32年のブランクがどこかで影響しているようなところを感じた。あまりに大きな期待がかかり、演奏が少しばかり萎縮してしまったのだろうか。 しかしながらロストロポーヴィチをソリストに迎えて演奏された次のドヴォルザークは、まさにこの歴史的な再会にふさわしい感動的な演奏になった。N響はどんどんと熱を帯び、響きが豊かに熱くなってきた。ロストロポーヴィチのスケールの大きな心の底から歌い上げるチェロと、小澤/N響の充実し、エネルギーに満ちたサウンドががっちりとスクラムを組み、演奏をどんどんと盛り上げて行く。 この曲の魅力の1つであるオーケストラサイドに書かれている数々のソロパートの1つ1つを、N響の各奏者は気分の高まったトゥッティに支えられ、実に詩情豊かにすばらしい歌を聴かせ、それぞれの見せ場を大いに盛り上げ、それが演奏全体に更に刺激を与えて行く。始めはちょっとソリストに気を使い過ぎでは、と思った弱奏部分も次第にその意図が明確に発揮され、チェロとオーケストラがとろけるような得も言われぬ響きで溶け合った。ドヴォルザーク特有の色彩がやわらかく光を放ちながら感動的なフィナーレで曲を閉じた。これはすごい!トリハダがおさまらないほどに感激した。ブラボーの大歓声、そしてスタンディングオベーションが起こり、この素晴らしいコンサートを実現したロストロポーヴィチ、小澤、N響を称えた。 最後に地震の犠牲者への祈りを込めて演奏されたバッハのサラバンド、こうした演奏にコメントを与える必要はない。サントリーホールでこのコンサートを体験した全ての人達があの震災のことに深く思いを寄せた。さっきの大喝采から一転して静寂が支配し、静寂のまま小澤、ロストロポーヴィチが退場し、楽員たちもステージから去って行った。いつまでも記憶に焼き付く日となった。こうしたコンサートを聴ける平和を心からありがたいと思う。あのような震災はもう二度と起こらないように祈るのみだ。 |
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大きな社会問題にまで発展した小澤とN響の事件はリアルタイムでは知らないし、この演奏会当時も詳しく知ることはないままだったが、「N響事件」で途絶えた両者の共演が32年ぶりに実現することになり、チケットは瞬く間に売り切れた。怪我や病気で活動が出来ないアーティストを助けるチャリティーという特別な意味があって実現したこの演奏会に、阪神淡路大震災の被災者への支援の意味が加わり、チャリティー演奏会の収益の一部は、更に震災に対するチャリティーに使われることになった。
チューニングが終ったあとのサントリーホールは恐ろしいほどの静寂に支配され、異様な緊迫感に包まれていたことを思い出す。誰もがN響の前に32年振りに姿を現す小澤を待っていた。そして本当に小澤征爾が登場した時の拍手のヴォルテージの高さも尋常ではなかった。そして、今でも決して忘れることのない演奏会となった。あの名演は、小澤の盟友であるロストロポーヴィチの存在も大きかった気がする。
演奏は本当に素晴らしかったが、それが共演の継続には繋がらなかった。この後、小澤がN響を指揮したのは、10年後の「こどものためのプログラム」という特別な機会での1回きりだ。やはり小澤の負った心の傷が深かったという見方もできるかも知れないが、そもそも小澤が日本で定期的に指揮をした常設オーケストラは新日本フィルのみで、その後、サイトウキネンオーケストラと水戸室内管弦楽団との活動が盛んになったこともあり、小澤のN響への関心は高くはなかったことが理由ではないだろうか。
それにしても「N響事件」とは何だったんだろう。生意気な若造指揮者に腹を立て「おれはあいつの指揮では弾かない」というプレイヤーが何人いようと、それ自体は大したことではないと思う。問題なのは、そうした個人のレベルではなく、組織ぐるみで小澤をボイコットし、大切な定期演奏会まで中止に追い込んでしまったことだ。正当な理由がある労働争議とは訳が違う。この行動に本当は加わりたくなかった団員も少なからずいたはずだが、そんな思いはもみ消されてしまったのだろう。そこに、当時のN響の悪しき体質を見ずにはいられない。時代は変わり、N響も変わった。そんな体質を引きずる人がいようとも、今のN響でそんな人達の声が通ることはないと信じている。
(2024.2.16)
巨星・小澤征爾の訃報(小澤の感想リストあり)
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