2015年9月6日(日)
ベルリン・ユダヤ博物館/Jüdisches Museum Berlin
ベルリンの4日目は雨降りで始まった。最初に訪れたのはユダヤ博物館。数あるユダヤ博物館のなかでもヨーロッパ最大というこの博物館は2001年にオープンした。今回のベルリン滞在時に必ず行こう、いや「行かねば」と思っていたところだ。
博物館はベルリンの東側、クロイツベルク地区にある。地下鉄U1、U3、U6が交差するHallesches Tor駅から歩いて行くと、グレーの無機質な建物が見えてきて、あれがそうだなとわかる。アメリカの建築家、リーベスキントの設計による博物館の外壁には、ヒビのような溝が何本も走っていて痛々しい。
その左側にある伝統的なヨーロッパ建築もユダヤ博物館の一部。こちらは18世紀に建てられ、かつてプロイセンの王立裁判所として使われていた。博物館の入口はこの「優美な」建物側にあり、展示エリアは右側の「痛々しい」建物にある。ドイツでは体験したことがなかった手荷物検査を受けたあと音声ガイド機を受け取り(日本語あり)、地下通路で繋がっている右側の「痛々しい」建物へと向かう。見せかけの優雅な世界から、醜い現実へと足を踏み入れる気分だ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/33/48/6ffc93dcdc6d32a96649c1417cf31d29.jpg)
この博物館では、ドイツにおけるユダヤ人と非ユダヤ人の1700年もの長い歴史を様々な角度から紹介している。このためあの最もおぞましいナチスによるホロコーストは展示の一部を占めるに過ぎないが、ユダヤ人への差別や迫害がいかに長い歴史のなかで繰り返され、その歴史がホロコーストへと繋がったことがわかる。
そうしたユダヤ人が受け続けて来た痛み、苦しみ、恐怖、悲しみは、膨大な展示からだけでなく、建築からも伝わってくるというのがこの博物館の大きなコンセプト。実際にここへ足を踏み入れることで、これを体験することができる。
そのひとつが各展示室をつなぐ通路や階段。外観と同様暗いグレーが基調色であるだけでなく、床面が不自然に傾斜していて平衡感覚を失ってしまいそうになる。ユダヤ人達が常に置かれていた状況、心の様子が窺える演出だ。
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展示館へ入ると3つの「軸」(Achsen)の交差点に出会う。それぞれ「継続の軸」(Achse der Kontinuität)、「亡命の軸」(Achse des Exils)、「ホロコーストの軸」(Achse des Holocaust)と呼ばれている。
「亡命の軸」を進むと館外の「亡命の庭」(Garten des Exils)へ導かれる。庭とは云っても背丈を遥かに超える高いコンクリートの石碑が林立して視界が遮られ、さながら迷路。庭を歩くだけで不安な気持ちが掻き立てられる。石碑の数は49、イスラエル建国の1948年に因んだ48に、ベルリンの町に作られたことを表すためにもう一基を加えた数。ここにはイスラエルの土が持ち込まれ、ユダヤの平和の象徴であるグミの木が植えられている。
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「ホロコーストの軸」の通路にはホロコーストで殺されたユダヤ人たちの遺品が展示されている。更に進んだその先にあるのは「ホロコーストの塔」(Holocaust-Turm)の最下部だ。この名前から「ガス室」を模した場所を想像する人もいるかも知れないがそうではなく、そこにあるのは空虚と暗闇だけ。上部には、塔の先端部分に開いたわずかな隙間から外光が漏れているのが見え、その「光」の遠さに絶望するしかない。
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「継続の軸」を進むと3階の常設展示エリアへと導かれる。常設展ではユダヤ人の過去から現代に至る歴史が時系列で紹介されている。ドイツにおけるユダヤ人の歴史はこれからも継続する。ユダヤ人がどのような存在としてこれからの歴史に残るか、希望が見える「継続の軸」であって欲しい(常設展示は館内改装のため2020年まで休止中)。
「継続の軸」の途中には「ヴォイド」(Void)と呼ばれる何も無い空間が点在している。それらを結ぶ通路や階段も相変わらず閉塞感をもたらす造りで深刻な気分にさせられる。
「ヴォイド」のなかで唯一「展示物」がある「記憶のヴォイド」(Memory Void)と呼ばれる空間がある。床面に鉄で出来た無数の人面のプレートが敷き詰められている。その顔は1つずつ異なるが、どれも苦痛で顔をゆがめていたり、叫んでいたり、泣いていたり… ユダヤ人達の苦しみが呼び覚まされる。「記憶のヴォイド」へ入るとこれらの顔を踏んで歩かなければならない。どんなに静かに歩こうとしても鉄の顔のプレートを踏みつけて起こる音、顔同士がぶつかって発する金属音が静かな空間に不気味に悲しく響く。踏んだ顔が僕を見て叫んだり呻いたりしているようで、自分が加害者になっているような錯覚にも陥り、気持ちがますますドスーンと重くなったままミュージアムを後にした。
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次に、「ベルリンガイドブック」に載っている「クロイツベルク地区1」を歩いてみることにした。まずガイドブックの地図にある「メンデルスゾーンの墓」を目指した。U-BahnのGneisenaustr.駅で降りて地図に記されている「共同墓地」にはたどり着いたが、広い墓地のなかでメンデルスゾーンの墓はおろか、案内表示も見つからない。雨の墓地は人影もなく、誰に尋ねることもできずにあきらめて墓地を去った。
そしてお昼の腹ごしらえは昨日に続いてカリーヴルスト。「ベルリンガイドブック」に「超人気店」と紹介されている"Curry36"という店が共同墓地から300メートル足らずなのでそこへ行ってみた。「いつ行っても人だかりができている」と書かれている通りとても流行っていた。
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行列というほどの行列はなく、わりとすぐにカリーヴルストを買うことができた。
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確かにウマい… けど昨日のお昼、ベルリン中央駅で娘と食べた"Currywurst-Express"と比べて特にこっちが美味しいかどうか正直わからない。カリーヴルストとはカリカリに焼いたヴルスト(ソーセージ)をカットして専用のケチャップをかけ、カレーパウダーをパラパラとまぶしたもので、どこで食べてもカリーヴルストはカリーヴルストでしかない、という気がしてきた。
そんなことを思いながらカリーヴルストを食べていたら、すぐ隣りの歩道に店を構えるケバブの店"Mustafas Gemüsekebap"は、ここ以上に長い行列が出来ているのが見えた。「ケバブか~、いいなぁ、野菜もたっぷり入るし、カリーヴルストより明らかにバランス的にも身体にもよさそう。ケバブにすればよかったかな…」
ガイドのコースではここから滝のあるヴィクトリア公園へ向かうのだが、相変わらずの本降りの雨が続いていたので、このコースを歩くことは諦めて、雨の影響を受けない地下ミュージアムへ行くことにした。
ベルリン地下世界博物館/Berliner Unterwelten-Museum
Curry36からすぐの地下鉄Mehringdamm駅から途中でS-Bahnに乗り換えて約30分で着いたGesundbrunnen駅の周辺がこの地下ミュージアム。その名も「ベルリン地下世界博物館」。博物館と云っても展示スペースが設けられた建物があるわけではない。第2次大戦時に作られた防空壕や、冷戦時代に東から西ベルリンへ脱出するために掘られたトンネルなど、ベルリンの暗い一面を象徴する地下世界の一部が「博物館」の名の下に公開されている。
テーマ別に7種類のコースがあり、見学にはガイド付きのツアーに参加する必要がある。チケット売り場に行ったら直近のツアーは全て完売と出ていた。となるとあと2時間待たねばならない。念のため行きたかった「ツアー1」に参加できないか直接スタッフに尋ねたら、あと2名分空きがあると云われ、運よくすぐに希望のツアーに参加できた。
このツアー名は「暗闇の世界 Dunkle Welten」と云い、空襲と防空をテーマに、防空壕に作られた施設とそこで見つかった品々を見て回る。第2次世界大戦中、地下鉄のトンネルを利用して作られた無数の防空壕で、戦後に連合国による取り壊しを逃れ放置されていたものを、ベルリン地下世界協会によってよみがえり公開された。ツアーはGesundbrunnen駅の特別の入口から始まった。
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入口を入ったら写真撮影は一切禁止。知らずにカメラを構えたらすかさず制止された。下の写真は他のウェブサイトからコピーしたもの。約90分のツアーはドイツ語のガイドで回ったが、ガイドさんの説明はとても早口で残念ながら殆どわからなかった。今回に限らずガイドツアーに参加すると、俺はいったい何十年ドイツ語を勉強しているのかと情けなくなる。
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説明がわからずに回っても、ベルリンの地下に作られた防空壕の規模は驚くばかりだった。日本の防空壕のような一時避難の穴ではなく、長期間過ごせる施設だ。管理人室、医務室、ベッドルーム等々様々な目的のための部屋が続いた。汚水処理施設もあったそうだが、パンフレットにはここでの生活がいかに劣悪だったかが書かれていた。
下の写真のプレートに記された"Frauen-Abort"は女子トイレの意味。ドイツでトイレは"WC"或いは"Toiletten"と記され、"Abort"なんて表記は見たことない。"WC"は英語の"water closet"から来ていて"Toiletten"はフランス語から来ている。どちらも第2次大戦の敵国の言葉だったため「敵性語」としてナチスが使用を禁じたらしい。こういうのって日本だけじゃなかったんだ…
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Die 2 Fotos wurden aus einer Webseite kopiert.
これだけ大規模な防空施設でも総面積(1400㎡)は東京ドームの30分の1程度。戦争末期にはここに4000人もの市民が押し寄せたそうで、その環境の悪さは想像に余りある。けれどここに避難できた人達はまだ幸運だったと云っていいのだろう。ドイツの首都だったベルリンは360回もの空襲に見舞われ街は壊滅。犠牲者は5万人におよぶとも云われている。愚かで残酷な戦争は今も相変わらず世界のあちこちで繰り返されている。
ツアーを終えて地上に出たら雨が上がり日が射して来た。これなら「クロイツベルク地区1」の散歩が出来そう。再びカリーヴルストを食べた店があるMehringdamm駅へ戻り、ガイドブックの案内に沿って歩き始めた。
リーマース・ホーフガルテン/Riehmers Hofgarten
最初の目的地はリーマース・ホーフガルテン。19世紀末に作られたアパートと中庭が美しいらしい。樹々の間に教会が見えてきた。この辺りのはずだが…
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教会の隣に私道らしき道があったので入ってみた。レンガ造りのアパートと樹々が調和した静かで雰囲気のいい空間だ。ここがリーマース・ホーフガルテンだな、と中を散策。
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建物も中庭も歩いている人達もオシャレ。大きな木の緑がレンガ色の建物に彩りを添える。
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けれどガイドの地図にある出口が見当たらずここは閉じられた空間のよう。おかしいな… と思って一旦外へ出たら近くに「本物」のリーマース・ホーフガルテンがあった。本物の方は建物の色が白系。瀟洒で洗練された美しさがある。
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19世紀後半、産業革命でベルリンの人口が急激に増えて住宅の建設ラッシュだった頃、次々と建てられる兵舎のような殺風景なアパート群に対抗して、左官屋のリーマー(Riehmer)さんのプランで建てたのがこのリーマース・ホーフガルテンだそうで…
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中庭へ入ると「19世紀のベルリンはこんな雰囲気だったのかな…」と思える景色があった。住宅だけでなくオフィスや診療所、飲食店、映画館も入っていて、市民にとって人気のスポットになっているそうだ。
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最初に間違えて入った空間もステキだったし、この辺りは歴史と文化を感じる界隈だった。
ヴィクトリア公園/Viktoriapark
リーマース・ホーフガルテンから南へ約300メートルのところにあるのがヴィクトリア公園。公園の随分手前の道路から公園の斜面を滝が流れ落ちているのが見えた。この滝が何といってもヴィクトリア公園のシンボルだ。公園の基礎が造られた19世紀の前半ごろ、貴族や富裕層が好んで出かけていた今のチェコとポーランドにまたがるクルコノシェ山脈を代表する滝を忠実に模して作られたのがこの滝だそうだ。
落差24メートルの滝に沿って作られた遊歩道を歩くとちょっとしたハイキング気分を味わえる。都会のど真ん中とは思えない景観だが、この滝の水はポンプで循環していてオフシーズンは止まっているそうだ。
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滝に沿って遊歩道を登り標高66メートルの丘の頂上に着くと、十字架を頂いた大きなモニュメントがある。この十字架(クロイツ)とそれが建つ山(ベルク)が「クロイツベルク」というこの地区の名前の由来。ここはクロイツベルクという地名の発祥地なのだ。
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このネオゴシック様式のモニュメントは、ナポレオンの軍事支配に打ち勝った解放戦争での勝利を記念してプロイセン王フリードリヒ・ウィルヘウルム3世が建てたもの。
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頂上からの眺めはとてもいい。遠く戦勝記念塔やテレビ塔なども望むことができた。この辺りではイスラム風の恰好をした人をよく見かけた。クロイツベルクはトルコ人移民が多く住む界隈でもある。
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公園の下の方には森に囲まれたこんな大きな芝生広場がある。ヴィクトリア公園は豊かな自然に恵まれた、静かで素敵なところだった。
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次の目的地、シャミッソー広場へ向かう途中、ベルクマン通り(Bergmannstr.)にあったケバブ屋さんでチキン&ベジタブルケバブを買い、食べながら歩いた。雨の中でカリーヴルストを食べたときに「ケバブ食えばよかったな~」という思いを実現させた。チキン、チーズ、たっぷりの野菜と食材が豊富で栄養のバランスもいいしとにかくうまい。ドイツのジャンクフード、カリーヴルストと比べてトルコ出身のこちらが明らかに健康にも良さそうだ。
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ベルクマン通りには雑貨屋や骨董屋など楽しそうなお店がたくさんあるが殆どがお休み。閉店法では、日曜日は飲食店以外は休まなければならないが、今日は例外的に13時から20時までの営業が認められている。日本なら「サービスのため」という名目で「利益を上げるため」に、こんな日はどこもこぞって開店し、客を誘うキャンペーンなんかもやってしまうかも知れない。けれどドイツ人は自分や家族との時間を大切にする。日本でも過酷な長時間労働、休みなしが問題になってきているので少しは変わってくるかも知れないが。
シャミッソー広場/Chamissoplatz
ベルクマン通りから右へ入って行ったところにシャミッソー広場がある。この広場を中心とした地区は、100年以上前のドイツ帝国時代に建てられた美しい外観のアパートが並ぶ閑静な住宅街だ。大戦の空襲から逃れ「100年前のベルリンが残る野外ミュージアム」とも云われるほど美しい景観を留めている。
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しっくいのファサード、花で彩られた作り付けのバルコニー、円頭石の石畳、ガス灯など、どこを歩いても古き良き時代を感じさせる。ネオンライトの装飾は禁止されていて、地区ぐるみで景観の保存に取り組んでいるそうだ。
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この水道塔も1888年に建設された歴史的建造物。アパートの5階まで水を供給するために作られ、20世紀中頃まで給水塔として使われていた。今はここに青少年文化交流協会の本部が置かれ、「水」ならぬ「人間」が集う場として親しまれている。
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こんなロマンチックな、映画の撮影場所にも使われるという美しい歴史地区だが、これが建てられた頃のドイツ帝国時代後期、この地区の生活環境は劣悪で、衛生状態も最悪のスラム街だったそうだ。そうした「臭いもの」をこの美しい建物の裏側へ押しやって蓋をして、見せかけの美しい景観を作っていたのが実情だった。こうした状況はこの地区に限らず、産業革命で労働者層が急増したベルリンのあちこちで見られたという。
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そう云われても、そうした負の面影はどこにも感じることはできないが・・・
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窓枠の意匠なども建物ごとに個性的で、見ていて楽しい。
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傾き始めた日差しに照らされた建物は一層映えて見えた。
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100年前の劣悪な環境になど思いも及ばずゆっくりと散歩を楽しんだ。
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この近くの屋内市場を覗こうと思ったがここも閉まっていた。今夜はフィルハーモニーでメータ指揮イスラエル・フィルの演奏会があるので、宿に早めに戻ることにした。Gneisenaustr.駅からU-Bahn(地下鉄)に乗った。地下鉄といってもこの区間は地上の高架を走る。良い眺めを楽しんでいたがちょっと変だ・・・
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全然知らない終着駅に着いた。なんと反対方向に乗ってしまったのだ。。早めに出たつもりが大幅な時間のロスとなった。それでも一旦宿に帰って支度をして、余裕を持ってコンサートホールへ出かけることができた。
ズービン・メータ指揮イスラエル・フィルで聴いたマーラーの9番は、涙が出るほど深い感動を与えてくれた。感想はpocknのコンサート感想録をどうぞ。
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終演後、フィルハーモニーからも見えるポツダム広場のソニーセンターにちょっと寄ってみた。飲食店も多くて賑わっているが、今夜は駅でピザを買って持ち帰って食べた。
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2015年9月7日(月)
翌日の午前中は再びベルリン自由大学へ行き、3日前に訪れたキャンパスライブラリーに続いて今度は文献学図書館(Philologische Bibliothek)を訪問した。
この図書館はイギリスの著名な建築家ノーマン・フォスターの設計で、特徴的な形状とエコを重視した画期的な機能から「ベルリンの脳」というニックネームを持ち、2006 年にベルリン建築賞、2007年にはドイツ建築賞を受賞している。
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館長さんの案内で「ベルリンの脳」と呼ばれる未来型図書館のコンセプトや様々な機能を伺いながら見学した。詳しいレポートは「私立大学図書館協会研修報告書」をどうぞ。
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動物園駅(Zoologischer Garten)に戻り、カイザー・ヴィルヘルム記念教会を訪れた。戦争遺跡として痛々しい姿を留める教会の隣に建つ新チャペルの青く輝くステンドグラスは何度見てもその美しさに息を呑む。ここの訪問記は「ベルリン 町中探訪 その1」をご覧ください。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4a/a9/890545e54c3099a02d7a7df67b7b490e.jpg)
その後、この教会の新旧のチャペルが見える通りに腰を下ろして「歴史の証人」の姿をスケッチした。スケッチしている間もいろんな人種、いろんな種類の人達が通る。僕がスケッチしている様子をずっと見ていた異国風の男の人が話しかけて来た。インドから来ているという彼とお互いの国のこと、仕事のこと、旅のことなどいろいろおしゃべりした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/34/6a/fee466b8c98de3c71935160b5c3f3b15.jpg)
スケッチを終えて宿に戻り、荷物をピックアップしてドレスデンへ行く列車に乗るためS-Bahnでベルリン中央駅へ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/57/23/2b6a06bb622cc58e80c6d46c98593f98.jpg)
大きなガラス面を持つベルリン中央駅
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4b/f6/28e159d4b0a55ee65fa3dcab17fab7b8.jpg)
4泊したベルリン滞在を終え、2日前に娘を見送った同じホームからドレスデンへ発った。旅はこのあとドレスデン、レーゲンスブルク、パッサウ、そしてウィーンへと続く・・・
続きはまたいつか。Auf Wiedersehen!
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/50/c8/57e2de722e4b42a795f087d73d5a0a6b.jpg)
ベルリン町中探訪 その6(6月17日通り蚤の市、ティーアガルテン、ハッケシェヘーフェ・・・)
ベルリン町中探訪 その5 プレンツラウアーベルク地区(シオン教会、壁公園、クルトゥア=ブラウエライ、コルヴィッツ広場・・・)
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ベルリン町中探訪 その3 カリーヴルスト、ニコライ地区、ジャンダルメン広場、CDショップDussmann
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ベルリン・ユダヤ博物館/Jüdisches Museum Berlin
ベルリンの4日目は雨降りで始まった。最初に訪れたのはユダヤ博物館。数あるユダヤ博物館のなかでもヨーロッパ最大というこの博物館は2001年にオープンした。今回のベルリン滞在時に必ず行こう、いや「行かねば」と思っていたところだ。
博物館はベルリンの東側、クロイツベルク地区にある。地下鉄U1、U3、U6が交差するHallesches Tor駅から歩いて行くと、グレーの無機質な建物が見えてきて、あれがそうだなとわかる。アメリカの建築家、リーベスキントの設計による博物館の外壁には、ヒビのような溝が何本も走っていて痛々しい。
その左側にある伝統的なヨーロッパ建築もユダヤ博物館の一部。こちらは18世紀に建てられ、かつてプロイセンの王立裁判所として使われていた。博物館の入口はこの「優美な」建物側にあり、展示エリアは右側の「痛々しい」建物にある。ドイツでは体験したことがなかった手荷物検査を受けたあと音声ガイド機を受け取り(日本語あり)、地下通路で繋がっている右側の「痛々しい」建物へと向かう。見せかけの優雅な世界から、醜い現実へと足を踏み入れる気分だ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/33/48/6ffc93dcdc6d32a96649c1417cf31d29.jpg)
この博物館では、ドイツにおけるユダヤ人と非ユダヤ人の1700年もの長い歴史を様々な角度から紹介している。このためあの最もおぞましいナチスによるホロコーストは展示の一部を占めるに過ぎないが、ユダヤ人への差別や迫害がいかに長い歴史のなかで繰り返され、その歴史がホロコーストへと繋がったことがわかる。
そうしたユダヤ人が受け続けて来た痛み、苦しみ、恐怖、悲しみは、膨大な展示からだけでなく、建築からも伝わってくるというのがこの博物館の大きなコンセプト。実際にここへ足を踏み入れることで、これを体験することができる。
そのひとつが各展示室をつなぐ通路や階段。外観と同様暗いグレーが基調色であるだけでなく、床面が不自然に傾斜していて平衡感覚を失ってしまいそうになる。ユダヤ人達が常に置かれていた状況、心の様子が窺える演出だ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0c/8a/9a3ab8f806cb0433d665af6e0c6c6dbe.jpg)
展示館へ入ると3つの「軸」(Achsen)の交差点に出会う。それぞれ「継続の軸」(Achse der Kontinuität)、「亡命の軸」(Achse des Exils)、「ホロコーストの軸」(Achse des Holocaust)と呼ばれている。
「亡命の軸」を進むと館外の「亡命の庭」(Garten des Exils)へ導かれる。庭とは云っても背丈を遥かに超える高いコンクリートの石碑が林立して視界が遮られ、さながら迷路。庭を歩くだけで不安な気持ちが掻き立てられる。石碑の数は49、イスラエル建国の1948年に因んだ48に、ベルリンの町に作られたことを表すためにもう一基を加えた数。ここにはイスラエルの土が持ち込まれ、ユダヤの平和の象徴であるグミの木が植えられている。
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「ホロコーストの軸」の通路にはホロコーストで殺されたユダヤ人たちの遺品が展示されている。更に進んだその先にあるのは「ホロコーストの塔」(Holocaust-Turm)の最下部だ。この名前から「ガス室」を模した場所を想像する人もいるかも知れないがそうではなく、そこにあるのは空虚と暗闇だけ。上部には、塔の先端部分に開いたわずかな隙間から外光が漏れているのが見え、その「光」の遠さに絶望するしかない。
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「継続の軸」を進むと3階の常設展示エリアへと導かれる。常設展ではユダヤ人の過去から現代に至る歴史が時系列で紹介されている。ドイツにおけるユダヤ人の歴史はこれからも継続する。ユダヤ人がどのような存在としてこれからの歴史に残るか、希望が見える「継続の軸」であって欲しい(常設展示は館内改装のため2020年まで休止中)。
「継続の軸」の途中には「ヴォイド」(Void)と呼ばれる何も無い空間が点在している。それらを結ぶ通路や階段も相変わらず閉塞感をもたらす造りで深刻な気分にさせられる。
「ヴォイド」のなかで唯一「展示物」がある「記憶のヴォイド」(Memory Void)と呼ばれる空間がある。床面に鉄で出来た無数の人面のプレートが敷き詰められている。その顔は1つずつ異なるが、どれも苦痛で顔をゆがめていたり、叫んでいたり、泣いていたり… ユダヤ人達の苦しみが呼び覚まされる。「記憶のヴォイド」へ入るとこれらの顔を踏んで歩かなければならない。どんなに静かに歩こうとしても鉄の顔のプレートを踏みつけて起こる音、顔同士がぶつかって発する金属音が静かな空間に不気味に悲しく響く。踏んだ顔が僕を見て叫んだり呻いたりしているようで、自分が加害者になっているような錯覚にも陥り、気持ちがますますドスーンと重くなったままミュージアムを後にした。
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次に、「ベルリンガイドブック」に載っている「クロイツベルク地区1」を歩いてみることにした。まずガイドブックの地図にある「メンデルスゾーンの墓」を目指した。U-BahnのGneisenaustr.駅で降りて地図に記されている「共同墓地」にはたどり着いたが、広い墓地のなかでメンデルスゾーンの墓はおろか、案内表示も見つからない。雨の墓地は人影もなく、誰に尋ねることもできずにあきらめて墓地を去った。
そしてお昼の腹ごしらえは昨日に続いてカリーヴルスト。「ベルリンガイドブック」に「超人気店」と紹介されている"Curry36"という店が共同墓地から300メートル足らずなのでそこへ行ってみた。「いつ行っても人だかりができている」と書かれている通りとても流行っていた。
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行列というほどの行列はなく、わりとすぐにカリーヴルストを買うことができた。
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確かにウマい… けど昨日のお昼、ベルリン中央駅で娘と食べた"Currywurst-Express"と比べて特にこっちが美味しいかどうか正直わからない。カリーヴルストとはカリカリに焼いたヴルスト(ソーセージ)をカットして専用のケチャップをかけ、カレーパウダーをパラパラとまぶしたもので、どこで食べてもカリーヴルストはカリーヴルストでしかない、という気がしてきた。
そんなことを思いながらカリーヴルストを食べていたら、すぐ隣りの歩道に店を構えるケバブの店"Mustafas Gemüsekebap"は、ここ以上に長い行列が出来ているのが見えた。「ケバブか~、いいなぁ、野菜もたっぷり入るし、カリーヴルストより明らかにバランス的にも身体にもよさそう。ケバブにすればよかったかな…」
ガイドのコースではここから滝のあるヴィクトリア公園へ向かうのだが、相変わらずの本降りの雨が続いていたので、このコースを歩くことは諦めて、雨の影響を受けない地下ミュージアムへ行くことにした。
ベルリン地下世界博物館/Berliner Unterwelten-Museum
Curry36からすぐの地下鉄Mehringdamm駅から途中でS-Bahnに乗り換えて約30分で着いたGesundbrunnen駅の周辺がこの地下ミュージアム。その名も「ベルリン地下世界博物館」。博物館と云っても展示スペースが設けられた建物があるわけではない。第2次大戦時に作られた防空壕や、冷戦時代に東から西ベルリンへ脱出するために掘られたトンネルなど、ベルリンの暗い一面を象徴する地下世界の一部が「博物館」の名の下に公開されている。
テーマ別に7種類のコースがあり、見学にはガイド付きのツアーに参加する必要がある。チケット売り場に行ったら直近のツアーは全て完売と出ていた。となるとあと2時間待たねばならない。念のため行きたかった「ツアー1」に参加できないか直接スタッフに尋ねたら、あと2名分空きがあると云われ、運よくすぐに希望のツアーに参加できた。
このツアー名は「暗闇の世界 Dunkle Welten」と云い、空襲と防空をテーマに、防空壕に作られた施設とそこで見つかった品々を見て回る。第2次世界大戦中、地下鉄のトンネルを利用して作られた無数の防空壕で、戦後に連合国による取り壊しを逃れ放置されていたものを、ベルリン地下世界協会によってよみがえり公開された。ツアーはGesundbrunnen駅の特別の入口から始まった。
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入口を入ったら写真撮影は一切禁止。知らずにカメラを構えたらすかさず制止された。下の写真は他のウェブサイトからコピーしたもの。約90分のツアーはドイツ語のガイドで回ったが、ガイドさんの説明はとても早口で残念ながら殆どわからなかった。今回に限らずガイドツアーに参加すると、俺はいったい何十年ドイツ語を勉強しているのかと情けなくなる。
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説明がわからずに回っても、ベルリンの地下に作られた防空壕の規模は驚くばかりだった。日本の防空壕のような一時避難の穴ではなく、長期間過ごせる施設だ。管理人室、医務室、ベッドルーム等々様々な目的のための部屋が続いた。汚水処理施設もあったそうだが、パンフレットにはここでの生活がいかに劣悪だったかが書かれていた。
下の写真のプレートに記された"Frauen-Abort"は女子トイレの意味。ドイツでトイレは"WC"或いは"Toiletten"と記され、"Abort"なんて表記は見たことない。"WC"は英語の"water closet"から来ていて"Toiletten"はフランス語から来ている。どちらも第2次大戦の敵国の言葉だったため「敵性語」としてナチスが使用を禁じたらしい。こういうのって日本だけじゃなかったんだ…
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Die 2 Fotos wurden aus einer Webseite kopiert.
これだけ大規模な防空施設でも総面積(1400㎡)は東京ドームの30分の1程度。戦争末期にはここに4000人もの市民が押し寄せたそうで、その環境の悪さは想像に余りある。けれどここに避難できた人達はまだ幸運だったと云っていいのだろう。ドイツの首都だったベルリンは360回もの空襲に見舞われ街は壊滅。犠牲者は5万人におよぶとも云われている。愚かで残酷な戦争は今も相変わらず世界のあちこちで繰り返されている。
ツアーを終えて地上に出たら雨が上がり日が射して来た。これなら「クロイツベルク地区1」の散歩が出来そう。再びカリーヴルストを食べた店があるMehringdamm駅へ戻り、ガイドブックの案内に沿って歩き始めた。
リーマース・ホーフガルテン/Riehmers Hofgarten
最初の目的地はリーマース・ホーフガルテン。19世紀末に作られたアパートと中庭が美しいらしい。樹々の間に教会が見えてきた。この辺りのはずだが…
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教会の隣に私道らしき道があったので入ってみた。レンガ造りのアパートと樹々が調和した静かで雰囲気のいい空間だ。ここがリーマース・ホーフガルテンだな、と中を散策。
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建物も中庭も歩いている人達もオシャレ。大きな木の緑がレンガ色の建物に彩りを添える。
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けれどガイドの地図にある出口が見当たらずここは閉じられた空間のよう。おかしいな… と思って一旦外へ出たら近くに「本物」のリーマース・ホーフガルテンがあった。本物の方は建物の色が白系。瀟洒で洗練された美しさがある。
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19世紀後半、産業革命でベルリンの人口が急激に増えて住宅の建設ラッシュだった頃、次々と建てられる兵舎のような殺風景なアパート群に対抗して、左官屋のリーマー(Riehmer)さんのプランで建てたのがこのリーマース・ホーフガルテンだそうで…
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中庭へ入ると「19世紀のベルリンはこんな雰囲気だったのかな…」と思える景色があった。住宅だけでなくオフィスや診療所、飲食店、映画館も入っていて、市民にとって人気のスポットになっているそうだ。
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最初に間違えて入った空間もステキだったし、この辺りは歴史と文化を感じる界隈だった。
ヴィクトリア公園/Viktoriapark
リーマース・ホーフガルテンから南へ約300メートルのところにあるのがヴィクトリア公園。公園の随分手前の道路から公園の斜面を滝が流れ落ちているのが見えた。この滝が何といってもヴィクトリア公園のシンボルだ。公園の基礎が造られた19世紀の前半ごろ、貴族や富裕層が好んで出かけていた今のチェコとポーランドにまたがるクルコノシェ山脈を代表する滝を忠実に模して作られたのがこの滝だそうだ。
落差24メートルの滝に沿って作られた遊歩道を歩くとちょっとしたハイキング気分を味わえる。都会のど真ん中とは思えない景観だが、この滝の水はポンプで循環していてオフシーズンは止まっているそうだ。
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滝に沿って遊歩道を登り標高66メートルの丘の頂上に着くと、十字架を頂いた大きなモニュメントがある。この十字架(クロイツ)とそれが建つ山(ベルク)が「クロイツベルク」というこの地区の名前の由来。ここはクロイツベルクという地名の発祥地なのだ。
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このネオゴシック様式のモニュメントは、ナポレオンの軍事支配に打ち勝った解放戦争での勝利を記念してプロイセン王フリードリヒ・ウィルヘウルム3世が建てたもの。
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頂上からの眺めはとてもいい。遠く戦勝記念塔やテレビ塔なども望むことができた。この辺りではイスラム風の恰好をした人をよく見かけた。クロイツベルクはトルコ人移民が多く住む界隈でもある。
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公園の下の方には森に囲まれたこんな大きな芝生広場がある。ヴィクトリア公園は豊かな自然に恵まれた、静かで素敵なところだった。
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次の目的地、シャミッソー広場へ向かう途中、ベルクマン通り(Bergmannstr.)にあったケバブ屋さんでチキン&ベジタブルケバブを買い、食べながら歩いた。雨の中でカリーヴルストを食べたときに「ケバブ食えばよかったな~」という思いを実現させた。チキン、チーズ、たっぷりの野菜と食材が豊富で栄養のバランスもいいしとにかくうまい。ドイツのジャンクフード、カリーヴルストと比べてトルコ出身のこちらが明らかに健康にも良さそうだ。
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ベルクマン通りには雑貨屋や骨董屋など楽しそうなお店がたくさんあるが殆どがお休み。閉店法では、日曜日は飲食店以外は休まなければならないが、今日は例外的に13時から20時までの営業が認められている。日本なら「サービスのため」という名目で「利益を上げるため」に、こんな日はどこもこぞって開店し、客を誘うキャンペーンなんかもやってしまうかも知れない。けれどドイツ人は自分や家族との時間を大切にする。日本でも過酷な長時間労働、休みなしが問題になってきているので少しは変わってくるかも知れないが。
シャミッソー広場/Chamissoplatz
ベルクマン通りから右へ入って行ったところにシャミッソー広場がある。この広場を中心とした地区は、100年以上前のドイツ帝国時代に建てられた美しい外観のアパートが並ぶ閑静な住宅街だ。大戦の空襲から逃れ「100年前のベルリンが残る野外ミュージアム」とも云われるほど美しい景観を留めている。
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しっくいのファサード、花で彩られた作り付けのバルコニー、円頭石の石畳、ガス灯など、どこを歩いても古き良き時代を感じさせる。ネオンライトの装飾は禁止されていて、地区ぐるみで景観の保存に取り組んでいるそうだ。
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この水道塔も1888年に建設された歴史的建造物。アパートの5階まで水を供給するために作られ、20世紀中頃まで給水塔として使われていた。今はここに青少年文化交流協会の本部が置かれ、「水」ならぬ「人間」が集う場として親しまれている。
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こんなロマンチックな、映画の撮影場所にも使われるという美しい歴史地区だが、これが建てられた頃のドイツ帝国時代後期、この地区の生活環境は劣悪で、衛生状態も最悪のスラム街だったそうだ。そうした「臭いもの」をこの美しい建物の裏側へ押しやって蓋をして、見せかけの美しい景観を作っていたのが実情だった。こうした状況はこの地区に限らず、産業革命で労働者層が急増したベルリンのあちこちで見られたという。
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そう云われても、そうした負の面影はどこにも感じることはできないが・・・
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窓枠の意匠なども建物ごとに個性的で、見ていて楽しい。
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傾き始めた日差しに照らされた建物は一層映えて見えた。
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100年前の劣悪な環境になど思いも及ばずゆっくりと散歩を楽しんだ。
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この近くの屋内市場を覗こうと思ったがここも閉まっていた。今夜はフィルハーモニーでメータ指揮イスラエル・フィルの演奏会があるので、宿に早めに戻ることにした。Gneisenaustr.駅からU-Bahn(地下鉄)に乗った。地下鉄といってもこの区間は地上の高架を走る。良い眺めを楽しんでいたがちょっと変だ・・・
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全然知らない終着駅に着いた。なんと反対方向に乗ってしまったのだ。。早めに出たつもりが大幅な時間のロスとなった。それでも一旦宿に帰って支度をして、余裕を持ってコンサートホールへ出かけることができた。
ズービン・メータ指揮イスラエル・フィルで聴いたマーラーの9番は、涙が出るほど深い感動を与えてくれた。感想はpocknのコンサート感想録をどうぞ。
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終演後、フィルハーモニーからも見えるポツダム広場のソニーセンターにちょっと寄ってみた。飲食店も多くて賑わっているが、今夜は駅でピザを買って持ち帰って食べた。
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2015年9月7日(月)
翌日の午前中は再びベルリン自由大学へ行き、3日前に訪れたキャンパスライブラリーに続いて今度は文献学図書館(Philologische Bibliothek)を訪問した。
この図書館はイギリスの著名な建築家ノーマン・フォスターの設計で、特徴的な形状とエコを重視した画期的な機能から「ベルリンの脳」というニックネームを持ち、2006 年にベルリン建築賞、2007年にはドイツ建築賞を受賞している。
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館長さんの案内で「ベルリンの脳」と呼ばれる未来型図書館のコンセプトや様々な機能を伺いながら見学した。詳しいレポートは「私立大学図書館協会研修報告書」をどうぞ。
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動物園駅(Zoologischer Garten)に戻り、カイザー・ヴィルヘルム記念教会を訪れた。戦争遺跡として痛々しい姿を留める教会の隣に建つ新チャペルの青く輝くステンドグラスは何度見てもその美しさに息を呑む。ここの訪問記は「ベルリン 町中探訪 その1」をご覧ください。
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その後、この教会の新旧のチャペルが見える通りに腰を下ろして「歴史の証人」の姿をスケッチした。スケッチしている間もいろんな人種、いろんな種類の人達が通る。僕がスケッチしている様子をずっと見ていた異国風の男の人が話しかけて来た。インドから来ているという彼とお互いの国のこと、仕事のこと、旅のことなどいろいろおしゃべりした。
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スケッチを終えて宿に戻り、荷物をピックアップしてドレスデンへ行く列車に乗るためS-Bahnでベルリン中央駅へ。
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大きなガラス面を持つベルリン中央駅
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4泊したベルリン滞在を終え、2日前に娘を見送った同じホームからドレスデンへ発った。旅はこのあとドレスデン、レーゲンスブルク、パッサウ、そしてウィーンへと続く・・・
続きはまたいつか。Auf Wiedersehen!
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ベルリン町中探訪 その6(6月17日通り蚤の市、ティーアガルテン、ハッケシェヘーフェ・・・)
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