8月28日(月)モーツァルトの室内楽の持つ多彩な響きを聴く!
草津音楽の森国際コンサートホール
【曲目】
1. ヴィヴァルディ/ヴァイオリン、オーボエとオルガンのためのソナタ ハ長調 RV779
2. モーツァルト/ピアノ三重奏曲ハ長調 K.548
3. モーツァルト/F.T.シューベルト編/弦楽五重奏曲ニ長調(交響曲第38番「プラハ」K.504)
4. モーツァルト/ピアノと管楽器のための五重奏曲変ホ長調 K.452
【演 奏】
Ob:トーマス・インデアミューレ/Cl:四戸世紀/Fg:蛯澤亮/Hrn:カテジナ・ヤヴールコヴァ-/Vn:パオロ・フランチェスキーニ(1)、マルクス・ヴォルフ(2)/Vla:吉田有紀子(3)/Vc:大友肇(2)/パノハ四重奏団(3)/Pf:アントニー・シピリ/Org:クラウディオ・ブリツィ
今日のコンサートもフェスティバルのテーマであるモーツァルトの作品がプログラムを飾った。多彩な編成の曲が並ぶのも草津ならでは。ただ、その中で感銘を受けたのは最後のピアノと管楽器のためのクインテットだけだった。
クインテットは良かった。インデアミューレのオーボエはやっぱり存在感があり、オーボエ・ダモーレを想わせる深い響きが印象的。ヤヴールコヴァ-のホルンは、艶のある美しい音色で滑らかな調べを高い完成度で聴かせた。四戸のクラリネットはふくよかで巧みな歌いまわしが耳を引き、蛯澤のファゴットは、腹に響く豊かな低音を聴かせ、アンサンブルに安定した重心をもたらした。シピリのピアノは、管楽アンサンブルのしっとり感とはいささか趣を異にするが、4人と戯れるように生き生きと対話を取り交わし、まさに今この場で音楽が生まれているという臨場感をもたらし、清々しい気分を残した。
この前に置かれた3曲についてはいろいろ疑問が残った。最初のヴィヴァルディは「前座」のような印象。これは、オルガンの場所に合わせて3人が広いステージの右の隅っこに寄って演奏する姿も影響しているが、フランチェスキーニのヴァイオリンは、弦の国、イタリアのヴァイオリニストが弾くヴィヴァルディというイメージからは遠く、音色や歌の魅力に乏しかった。
続くモーツァルトのピアノ・トリオは、ヴォルフのヴァイオリンがいただけない。元気はつらつに弾くのはいいとして、余りに大味で音も演奏も粗野な印象を受けたし、浮いていた。ドイツの名門オケ(バイエルン国立歌劇場管弦楽団)のコンサートマスターとは思えない。そもそも、このステージのためにゲネプロ以外でどの程度打ち合わせて、合わせたのだろうか。コンサートがマスタークラスの先生方の息抜きであってはならない。
3曲目の弦楽五重奏は、演奏自体は丁寧で味わいがあり、変化に富んだいい響きを聴かせていたが、プラハシンフォニーを弦楽器5つだけで演奏するのはやはり厳しい。レコードがなかった時代に、手軽な編成でオケの曲を楽しんでいたことを知るという以上の意味は見い出せなかった。せっかくパノハが演奏するなら、「名曲の」弦楽五重奏曲を聴きたかった。多彩な編成とプログラムが売りのアカデミーのコンサートだが、聴衆が本当に楽しめる曲を聴かせてもらいたい。
公開レッスン(クリストファー・ヒンターフーバー)
2015年に引き続き、ヒンターフーバーのピアノの公開レッスンを聴講した。受講生は3名で、取り上げられた作品は、シューベルトの「16の舞曲と2つのエコセーズ」(竹迫友梨さん)、フォーレのノクターン第2番(松崎 愛さん)、ベートーヴェンのソナタ31番から第3楽章(藤本敦子さん)。
シューベルトでは、性格の異なる小品をどのように弾き分けるかを重点的にレッスンが行われた。感情表現、テンポ設定、リズムの取り方など、シューベルトの時代や地域性も背景に、適切な演奏について追及していった。
フォーレではペダルの使用方法に重点が置かれた。踏むタイミングや半ペダルの使用など、ぺダリングによって響きが大きく異なることを、「ペダルは料理のソースのようなもの」と表現していたのが面白かった。
ベートーヴェンの31番を「32曲のソナタの中で唯一献呈されず、個人的動機に基づいて書かれた」と定義して始まったレッスンで、アリオーソの部分を、イエスが十字架上で「成し遂げられた!(Es ist vollbracht!)」と述べるバッハのヨハネ受難曲からの引用と捉え、全曲をベートーヴェンのある種の信仰表明という観点から追及した。2009年にチェロのベッチャーが公開レッスンで、ベートーヴェンの3番のソナタをやはり「ヨハネ」からの引用と述べていたことを思い出した。
ヒンターフーバーのレッスンと実演を聴き、受講生の演奏を聴いてつくづく感じたのは、演奏者は取り組む作品を徹底的に調べ、考え、一つ一つのフレーズがどんな意味を持っているか、更にはそのフレーズが全曲のなかでどのような役割を持っているかを把握したうえで、自分はそれをいかに演奏するかを明確に示せるかどうかで、聴き手に与える印象は全く違ってくるということ。客観的な根拠を踏まえたうえで強い意思を表現できることが、演奏家としての第1歩となることを改めて認識した。
草津夏期国際音楽アカデミー&フェスティヴァル2017(8/27)
草津夏期国際音楽アカデミー&フェスティヴァル2016(8/29)
草津音楽の森国際コンサートホール
【曲目】
1. ヴィヴァルディ/ヴァイオリン、オーボエとオルガンのためのソナタ ハ長調 RV779
2. モーツァルト/ピアノ三重奏曲ハ長調 K.548
3. モーツァルト/F.T.シューベルト編/弦楽五重奏曲ニ長調(交響曲第38番「プラハ」K.504)
4. モーツァルト/ピアノと管楽器のための五重奏曲変ホ長調 K.452
【演 奏】
Ob:トーマス・インデアミューレ/Cl:四戸世紀/Fg:蛯澤亮/Hrn:カテジナ・ヤヴールコヴァ-/Vn:パオロ・フランチェスキーニ(1)、マルクス・ヴォルフ(2)/Vla:吉田有紀子(3)/Vc:大友肇(2)/パノハ四重奏団(3)/Pf:アントニー・シピリ/Org:クラウディオ・ブリツィ
今日のコンサートもフェスティバルのテーマであるモーツァルトの作品がプログラムを飾った。多彩な編成の曲が並ぶのも草津ならでは。ただ、その中で感銘を受けたのは最後のピアノと管楽器のためのクインテットだけだった。
クインテットは良かった。インデアミューレのオーボエはやっぱり存在感があり、オーボエ・ダモーレを想わせる深い響きが印象的。ヤヴールコヴァ-のホルンは、艶のある美しい音色で滑らかな調べを高い完成度で聴かせた。四戸のクラリネットはふくよかで巧みな歌いまわしが耳を引き、蛯澤のファゴットは、腹に響く豊かな低音を聴かせ、アンサンブルに安定した重心をもたらした。シピリのピアノは、管楽アンサンブルのしっとり感とはいささか趣を異にするが、4人と戯れるように生き生きと対話を取り交わし、まさに今この場で音楽が生まれているという臨場感をもたらし、清々しい気分を残した。
この前に置かれた3曲についてはいろいろ疑問が残った。最初のヴィヴァルディは「前座」のような印象。これは、オルガンの場所に合わせて3人が広いステージの右の隅っこに寄って演奏する姿も影響しているが、フランチェスキーニのヴァイオリンは、弦の国、イタリアのヴァイオリニストが弾くヴィヴァルディというイメージからは遠く、音色や歌の魅力に乏しかった。
続くモーツァルトのピアノ・トリオは、ヴォルフのヴァイオリンがいただけない。元気はつらつに弾くのはいいとして、余りに大味で音も演奏も粗野な印象を受けたし、浮いていた。ドイツの名門オケ(バイエルン国立歌劇場管弦楽団)のコンサートマスターとは思えない。そもそも、このステージのためにゲネプロ以外でどの程度打ち合わせて、合わせたのだろうか。コンサートがマスタークラスの先生方の息抜きであってはならない。
3曲目の弦楽五重奏は、演奏自体は丁寧で味わいがあり、変化に富んだいい響きを聴かせていたが、プラハシンフォニーを弦楽器5つだけで演奏するのはやはり厳しい。レコードがなかった時代に、手軽な編成でオケの曲を楽しんでいたことを知るという以上の意味は見い出せなかった。せっかくパノハが演奏するなら、「名曲の」弦楽五重奏曲を聴きたかった。多彩な編成とプログラムが売りのアカデミーのコンサートだが、聴衆が本当に楽しめる曲を聴かせてもらいたい。
公開レッスン(クリストファー・ヒンターフーバー)
2015年に引き続き、ヒンターフーバーのピアノの公開レッスンを聴講した。受講生は3名で、取り上げられた作品は、シューベルトの「16の舞曲と2つのエコセーズ」(竹迫友梨さん)、フォーレのノクターン第2番(松崎 愛さん)、ベートーヴェンのソナタ31番から第3楽章(藤本敦子さん)。
シューベルトでは、性格の異なる小品をどのように弾き分けるかを重点的にレッスンが行われた。感情表現、テンポ設定、リズムの取り方など、シューベルトの時代や地域性も背景に、適切な演奏について追及していった。
フォーレではペダルの使用方法に重点が置かれた。踏むタイミングや半ペダルの使用など、ぺダリングによって響きが大きく異なることを、「ペダルは料理のソースのようなもの」と表現していたのが面白かった。
ベートーヴェンの31番を「32曲のソナタの中で唯一献呈されず、個人的動機に基づいて書かれた」と定義して始まったレッスンで、アリオーソの部分を、イエスが十字架上で「成し遂げられた!(Es ist vollbracht!)」と述べるバッハのヨハネ受難曲からの引用と捉え、全曲をベートーヴェンのある種の信仰表明という観点から追及した。2009年にチェロのベッチャーが公開レッスンで、ベートーヴェンの3番のソナタをやはり「ヨハネ」からの引用と述べていたことを思い出した。
ヒンターフーバーのレッスンと実演を聴き、受講生の演奏を聴いてつくづく感じたのは、演奏者は取り組む作品を徹底的に調べ、考え、一つ一つのフレーズがどんな意味を持っているか、更にはそのフレーズが全曲のなかでどのような役割を持っているかを把握したうえで、自分はそれをいかに演奏するかを明確に示せるかどうかで、聴き手に与える印象は全く違ってくるということ。客観的な根拠を踏まえたうえで強い意思を表現できることが、演奏家としての第1歩となることを改めて認識した。
草津夏期国際音楽アカデミー&フェスティヴァル2017(8/27)
草津夏期国際音楽アカデミー&フェスティヴァル2016(8/29)