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足繁く通う演奏会の感想等でクラシック音楽を追求/面白すぎる台湾/イタリアやドイツの旅日記/「ドイツ留学相談室」併設

ファジル・サイ・プロジェクト 第1夜:ピアノ・ソロ

2008年12月04日 | pocknのコンサート感想録2008
12月4日(木)ファジル・サイ(Pf)
~ファジル・サイ・プロジェクト in Tokyo 2008 第1夜:ピアノ・ソロ~
すみだトリフォニーホール
【曲目】
1. バッハ/ブゾーニ編曲/シャコンヌ(無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第2番ニ短調BWV1004より)
2. バッハ/サイ編曲/幻想曲とフーガ ト短調BWV542
3. バッハ/フランス組曲第6番ホ長調BWV817
4. ヤナーチェク/ソナタ「1905年10月1日」
5. スカルラッティ/ソナタ ヘ長調K.378/L.276、 ニ短調K.1/L.366、ハ長調K.159/L.104
6.ラヴェル/ソナチネ
7.プロコフィエフ/ピアノ・ソナタ第7番変ロ長調Op.83

【アンコール】
1. ムソルグスキー/組曲「展覧会の絵」~「カタコンベ」から「キエフの大門」まで
2. サイ/ブラック・アース
3. ベートーヴェン/ソナタ第17番ニ短調作品31-2「テンペスト」~第3楽章

ドイツのヴィースバーデンにいる友人で音楽ジャーナリストのミルニャムさんが「いいよ」とメールで薦めてくれたファジル・サイのリサイタル。名前以外は何も知らなかったがプログラムも面白そうだし、何よりミルニャムさんのお奨めということで先週になってチケットを購入して聴いてきた。サイは即興演奏をやったり自ら作曲もしたり、またかなり個性的な演奏をする奇才として注目を浴びているとのこと。

前半はバッハ。演奏に合わせて体を大きく動かすだけでなく、片手が空けばその腕や指先まで雄弁に動かして全身で音楽を表現。アリオーソ風のところなどまるでオペラ歌手が歌っているよう。ブゾーニ編曲のシャコンヌやサイ自身の編曲による幻想曲とフーガ(プログラムは「幻想曲」となっているが「フーガ」もやった)などの、音が多くアレンジが大げさな曲での少々荒っぽくアグレシブな演奏よりも、音の少ないフランス組曲の演奏に魅力を感じた。
アーティキュレーションやディナミークなどは自由自在、10回演奏してもどれもが全然違う演奏になりそうな即興性に溢れている。それがこれみよがしのショーではなく「ほら、こんな風に弾いても素敵だろ?」と自由で解き放たれた演奏でバッハの音楽の無限の可能性を示してくれているよう。これは後半にやったスカルラッティにも言える。

ヤナーチェクのソナタは重苦しい雰囲気に支配され息苦しいほどの抑圧感を与える演奏。曲が曲だけにこれは仕方ないかも。

後半のラベル、サイの演奏からフランスのエスプリなんて期待しない方がいい。滑らかなタッチではあるが熱いメッセージがギュッと押し込められたような濃い演奏で、しかしそれが音色を曇らせ、テンポの揺らしもちょいと「臭い」と感じたが、これは好みの問題。

ここまで聴いた限りではバッハはよかったが全体としては「こんなものか…」という程度。しかしこの後に強烈パンチを浴び続けることになる。

プロコフィエフの戦争ソナタはそれまでのサイの演奏からド迫力の演奏は予想できた。もちろんすごい迫力ではあったがそれだけじゃあなかった。これは単に大きな音を鳴らす技とか指先のテクニックといった次元を超越した、音楽そのものの叫びを聴いたよう。まずリズム。大地を揺り動かすような生命力が湧き上がるリズムの饗宴。大地の鼓動。リズムとはこんなにも熱い力を呼び覚ますものかを思い知る。サイの「春の祭典」のCDが話題になっているということだが、それを思いっきり納得する。

それから歌。とりわけ第2楽章の凝縮され切ったような濃くて熱い歌は生命の根源的なものが湧き上がってくるよう(2楽章はサイの体の揺らしが視覚的に気になったので視線を反らせていたが…)。そして「におい」。メカニックな面が目立つこの音楽がこんなにも人間のにおいがプンプンする曲だということを知った。

この演奏を聴いて、これまではピアニストの腕前の方に目や耳が行っていたこの曲が、音楽が自ら語り、踊り、叫んでいるのに立ち会っているようで、体の底から熱いものがこみ上げ、音楽と自分の鼓動が共振しているのを感じた。すごい!

すごかったのはこの1曲だけではない。この後長時間に渡って繰り広げられたアンコールも本当にすごかった。「展覧会の絵」ではプロコフィエフ同様「迫力」とかいったことを超越して音楽の叫びを体感し、サイのオリジナルの「ブラックアース」ではサイの濃い血と土着の魂のようなものが、サイとは全く異国人の我々の魂も呼び覚ますのを感じ、「テンペスト」でもやはり魂が何かを強く求め続けているよう。

感銘を受けた演奏のどれからも共通して強烈に伝わってきたのがこの「根源的な魂の叫び」。きれいなものだけではない、人間の持つあらゆる感情が熱く沸騰して心に強く訴えてくる。そしてこの強い叫びはその時その時で即興的に様々な感情を呼び覚ます。これがサイの魅力だ。

プログラムに「この第1夜だけではファジル・サイというピアニストのすべてを知ったことにはならない。ジャズとトルコ音楽という"エキゾチック"な音楽を聴くことなくして、演奏家としての本質を理解することは不可能だからだ。」(前島秀国)とあったが、このリサイタルだけでもそうしたジャズの即興性や民族性はガンガンと伝わってきたが、第2夜以降の演奏会もすごいんだろうな… お客の入りは良くなく、2階席、3階席は空席の方が多かったが、こんな刺激的で熱い演奏を体験しないのはもったいない。

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