5月5日〈金)~ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン「熱狂の日」音楽祭2006~ 東京国際フォーラム
去年大きな評判を呼んだ「ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン」の今回のテーマは言わずもがなのモーツァルト。去年同様、会場のお祭り的な雰囲気は気分を盛り上げる。前回は1公演しか聴けなかったが、今回はチケット先行予約で本日5公演分をしっかりゲットし、そのうち最初の2公演は家族揃って聴いた。未就学児を含む子供たちは大人しく耳を傾けてはいたが、どの程度心に残っているかは、もう少したってから探ってみよう…
飯森泰次郎 指揮 ポワトゥ=シャラント管弦楽団
ホールC(サリエリ)
【曲目】
1. モーツァルト/歌劇「フィガロの結婚」K.492序曲
2. モーツァルト/交響曲第41番ハ長調「ジュピター」K.551
ポワトゥ=シャラント管弦楽団は臨時編成のオケということだが、目指すものをしっかり見据えた説得力のある演奏だった。古楽器奏法的なメリハリのはっきりした勢いのある演奏が清々しい。
フィガロの序曲はそんな乗りの良さで幕開けに相応しい演奏となった。「ジュピター」も堂々としたフレーズと柔らかなフレーズの切り替えが鮮やかで、第2楽章などはかなりゆっくり目のテンポだったが、ムーヴマンが息づきもたれない。フィナーレのフーガも圧巻でこれは聴き応えがあった。
ぶっつけ本番っぽい乱れとか、入りのミスとかがたまにあったが、そうしてものがあまり気にならず、生の醍醐味を伝えてくれた。各プレーヤーの腕前も大したものだし、飯盛泰次郎の音楽の持っていき方も明確で、フェスティヴァルに相応しい祝祭的な気分の演奏だった。
アンヌ・ケフェレック(pf)
ホールD7(ヴァン・スヴィーテン)
【曲目】
1. モーツァルト/ピアノ・ソナタ第5番ト長調K.283
2. モーツァルト/ピアノ・ソナタ第12番ヘ長調K.332
3. モーツァルト/ピアノ・ソナタ第11番イ長調「トルコ行進曲付」K.331
アンコール:ヘンデル/ケンプ編曲/メヌエット ト短調HWV434
アンヌ・ケフェレック(pf)
ホールB7(ダ・ポンテ)
【曲目】
1. モーツァルト/ピアノ・ソナタ第18番ニ長調K.576
2. モーツァルト/ピアノ・ソナタ第15番ヘ長調K.533
3. モーツァルト/ピアノ・ソナタ第8番イ短調K.310
アンコール:ヘンデル/ケンプ編曲/メヌエット ト短調HWV434
アンヌ・ケフェレックはソナタの全曲演奏公演のうち2つを聴いた。
もう20年も前だと思うが、新宿文化センターで聴いた優雅なスカルラッティの演奏が今でも忘れられないのだが、あの時の記憶を甦らせてくれるようなモーツァルトに出会った。
今日の2公演、ホールもピアノも聴く位置も違っても、ケフェレックの音は同じように優雅で美しく、内に秘める温かく落ち着いた空気や、品のある語り口は全く変わらない。ひとつひとつのフレーズが磨かれた深い光沢を持って歌われると、ほんのり薫る心地よい微風を感じる。
優雅であり嬉々とした5番や12番は聴き惚れるばかり。11番では「トルコ行進曲」が意外にもかなり彫りの深いドラマチックなタッチで描かれ、ソナタの最終楽章に相応しい風格を見せた。
後期の2曲(18番と15番)では更に涌き出るようなエネルギーを感じたのだが、この2曲が演奏された2公演目の方は疲れのせいか、集中力という点で最初の公演の演奏に比べると明晰さが少々鈍っているように感じることがあった。イ短調ソナタは、第1楽章の第2主題や第2楽章など、比類のない美しさを聴かせてくれた半面、ちょっと考え過ぎだったり、強調しすぎでは、と感じる部分もあって全体の印象が反って弱まってしまった。
どちらの公演でもアンコールに弾いてくれたヘンデルは気高く孤高の美しさと悲しさを湛えた心に津々と沁みる名演だった。
コルボ指揮ローザンヌの「レクィエム」
ホールC(サリエリ)
【曲目】
モーツァルト/レクィエム ニ短調K.626
【演 奏】
S:カティア・ヴェレタズ/A:ヴァレリー・ボナール・ビュクス/T:ヴァレーリオ・コンタルド/B:ステファン・インボーデン
ミシェル・コルボ指揮シンフォニア・ヴァルソヴィア/ローザンヌ声楽アンサンブル
ベルリン古楽アンサンブル/RIAS室内合唱団の「レクィエム」
ホールA(アマデウス)
【曲目】
モーツァルト/レクィエム ニ短調K.626
【演 奏】
S:スンハエ・イム/A:カレン・カーギル/T:ユッシ・ミュリュス/Bar:コンラッド・ジャーノット
トヌ・カリユステ指揮 ベルリン古楽アカデミー/RIAS室内合唱団
「レクィエム」を2公演聴くというのもこのフェスティヴァルならではの体験。しかも伝統と格式、薫り高さで右に出るもの無しと言っても良いコルボ指揮ローザンヌ声楽アンサンブルと、方や幅広いレパートリーを持ち、往年の名指揮者達との数々の名盤を出してきたRIAS室内合唱団が古楽器のオーケストラを従えてのレクィエムと興味と期待は尽きない。
コルボ公演のオーケストラを受け持ったシンフォニア・ヴァルソヴィアという初めてその名を耳にするポーランドのモダン楽器のオケはなかなかのハイレベル集団で、落ち着いた奥行きのある響きを持ちながらシャープな切れ味が冴え、古楽器奏法を取り入れた明晰さと小気味よいテンポで曲の深部まで抉り出すようなリアリスティックなコルボのアプローチを見事に体現し、迫真の演奏を聴かせた。
これにコルボの手兵であるローザンヌ声楽アンサンブルの天上の声が加わると、鋭さが得も言えぬような潤いと色香に満たされ、天上の響きとなる。コンフターティスでのこの世のものと思えないような女声合唱の静謐なハーモニーに代表される響きと表情がコルボ/ローザンヌの真骨頂で、リアルさと香りを併せ持つ稀有の名演となった。4人のソリスト達はオケの響きと良く溶け合い、更なる色彩を与えていた。
これに対して、RIASの方に登場したソリスト達はより個性派揃いでソロイスティックな魅力を発揮した。
清らかで伸びのある美声で清楚な歌を聴かせたソプラノのイム、安定感・存在感・説得力に秀でたアルトのカーギルはこの大ホールに響き渡る貫禄のあるしなやかな声の持ち主、テノールのミュリュスの艶があり力強く映える歌唱も素晴らしかったし、バリトンのジャーノットの「トゥーバ・ミルム」の神々しいほどの威厳も忘れ難い。どの歌手も別の機会にじっくりソロを聴いてみたくなるような歌を聴かせてくれた。
古楽器オーケストラ独特のデリケートでレアな音色は「レクィエム」をより生々しく浮かび上がらせているだけでなく「トゥーバ・ミルム」のトロンボーンソロをはじめ、各ソロ楽器の表情づけも素晴らしく、古楽器でありがちな「音を外さないか」という次元をはるかに越えた技術的な安定感にも満足。
そしてRIAS室内合唱団の歌は、艶やかで力強く底から湧き上がってくる迫真の表現力に圧倒した。カリユステの指揮はオーソドックスなタイプで、ゆっくり目のテンポでじっくりと聴かせるレクィエムだった。
この2つの公演はソリストのタイプがかなり異なったし、モダン楽器と古楽器という違い、奏法的な違いがあり、別のタイプの演奏を楽しむことができたとも言えるが、実感したことはむしろ演奏のタイプが違っても「レクィエム」から得られる感動というのが同質のものということ。
もちろん優れた演奏であることが条件だが、モーツァルトの死の床で絶筆となり、魂の叫びがモーツァルトの持ち味である「音楽の美しいたたずまい」を乗り越えてしまったようなこの「レクィエム」の本質を伝えてくる演奏というのは、演奏スタイルや楽器の違いがもたらすものではない、ということだろう。
それに気づき、モーツァルトの無念に思いを馳せ、レクィエムの作曲途中での余りに早い死をあらためて噛み締めた。250年も前に生まれた作曲家の死をこれほどまでに惜しんでしまうのもモーツァルトの魔力だろう。モーツァルトをじっくりと感じる素晴らしい機会となった。
去年大きな評判を呼んだ「ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン」の今回のテーマは言わずもがなのモーツァルト。去年同様、会場のお祭り的な雰囲気は気分を盛り上げる。前回は1公演しか聴けなかったが、今回はチケット先行予約で本日5公演分をしっかりゲットし、そのうち最初の2公演は家族揃って聴いた。未就学児を含む子供たちは大人しく耳を傾けてはいたが、どの程度心に残っているかは、もう少したってから探ってみよう…
飯森泰次郎 指揮 ポワトゥ=シャラント管弦楽団
ホールC(サリエリ)
【曲目】
1. モーツァルト/歌劇「フィガロの結婚」K.492序曲
2. モーツァルト/交響曲第41番ハ長調「ジュピター」K.551
ポワトゥ=シャラント管弦楽団は臨時編成のオケということだが、目指すものをしっかり見据えた説得力のある演奏だった。古楽器奏法的なメリハリのはっきりした勢いのある演奏が清々しい。
フィガロの序曲はそんな乗りの良さで幕開けに相応しい演奏となった。「ジュピター」も堂々としたフレーズと柔らかなフレーズの切り替えが鮮やかで、第2楽章などはかなりゆっくり目のテンポだったが、ムーヴマンが息づきもたれない。フィナーレのフーガも圧巻でこれは聴き応えがあった。
ぶっつけ本番っぽい乱れとか、入りのミスとかがたまにあったが、そうしてものがあまり気にならず、生の醍醐味を伝えてくれた。各プレーヤーの腕前も大したものだし、飯盛泰次郎の音楽の持っていき方も明確で、フェスティヴァルに相応しい祝祭的な気分の演奏だった。
アンヌ・ケフェレック(pf)
ホールD7(ヴァン・スヴィーテン)
【曲目】
1. モーツァルト/ピアノ・ソナタ第5番ト長調K.283
2. モーツァルト/ピアノ・ソナタ第12番ヘ長調K.332
3. モーツァルト/ピアノ・ソナタ第11番イ長調「トルコ行進曲付」K.331
アンコール:ヘンデル/ケンプ編曲/メヌエット ト短調HWV434
アンヌ・ケフェレック(pf)
ホールB7(ダ・ポンテ)
【曲目】
1. モーツァルト/ピアノ・ソナタ第18番ニ長調K.576
2. モーツァルト/ピアノ・ソナタ第15番ヘ長調K.533
3. モーツァルト/ピアノ・ソナタ第8番イ短調K.310
アンコール:ヘンデル/ケンプ編曲/メヌエット ト短調HWV434
アンヌ・ケフェレックはソナタの全曲演奏公演のうち2つを聴いた。
もう20年も前だと思うが、新宿文化センターで聴いた優雅なスカルラッティの演奏が今でも忘れられないのだが、あの時の記憶を甦らせてくれるようなモーツァルトに出会った。
今日の2公演、ホールもピアノも聴く位置も違っても、ケフェレックの音は同じように優雅で美しく、内に秘める温かく落ち着いた空気や、品のある語り口は全く変わらない。ひとつひとつのフレーズが磨かれた深い光沢を持って歌われると、ほんのり薫る心地よい微風を感じる。
優雅であり嬉々とした5番や12番は聴き惚れるばかり。11番では「トルコ行進曲」が意外にもかなり彫りの深いドラマチックなタッチで描かれ、ソナタの最終楽章に相応しい風格を見せた。
後期の2曲(18番と15番)では更に涌き出るようなエネルギーを感じたのだが、この2曲が演奏された2公演目の方は疲れのせいか、集中力という点で最初の公演の演奏に比べると明晰さが少々鈍っているように感じることがあった。イ短調ソナタは、第1楽章の第2主題や第2楽章など、比類のない美しさを聴かせてくれた半面、ちょっと考え過ぎだったり、強調しすぎでは、と感じる部分もあって全体の印象が反って弱まってしまった。
どちらの公演でもアンコールに弾いてくれたヘンデルは気高く孤高の美しさと悲しさを湛えた心に津々と沁みる名演だった。
コルボ指揮ローザンヌの「レクィエム」
ホールC(サリエリ)
【曲目】
モーツァルト/レクィエム ニ短調K.626
【演 奏】
S:カティア・ヴェレタズ/A:ヴァレリー・ボナール・ビュクス/T:ヴァレーリオ・コンタルド/B:ステファン・インボーデン
ミシェル・コルボ指揮シンフォニア・ヴァルソヴィア/ローザンヌ声楽アンサンブル
ベルリン古楽アンサンブル/RIAS室内合唱団の「レクィエム」
ホールA(アマデウス)
【曲目】
モーツァルト/レクィエム ニ短調K.626
【演 奏】
S:スンハエ・イム/A:カレン・カーギル/T:ユッシ・ミュリュス/Bar:コンラッド・ジャーノット
トヌ・カリユステ指揮 ベルリン古楽アカデミー/RIAS室内合唱団
「レクィエム」を2公演聴くというのもこのフェスティヴァルならではの体験。しかも伝統と格式、薫り高さで右に出るもの無しと言っても良いコルボ指揮ローザンヌ声楽アンサンブルと、方や幅広いレパートリーを持ち、往年の名指揮者達との数々の名盤を出してきたRIAS室内合唱団が古楽器のオーケストラを従えてのレクィエムと興味と期待は尽きない。
コルボ公演のオーケストラを受け持ったシンフォニア・ヴァルソヴィアという初めてその名を耳にするポーランドのモダン楽器のオケはなかなかのハイレベル集団で、落ち着いた奥行きのある響きを持ちながらシャープな切れ味が冴え、古楽器奏法を取り入れた明晰さと小気味よいテンポで曲の深部まで抉り出すようなリアリスティックなコルボのアプローチを見事に体現し、迫真の演奏を聴かせた。
これにコルボの手兵であるローザンヌ声楽アンサンブルの天上の声が加わると、鋭さが得も言えぬような潤いと色香に満たされ、天上の響きとなる。コンフターティスでのこの世のものと思えないような女声合唱の静謐なハーモニーに代表される響きと表情がコルボ/ローザンヌの真骨頂で、リアルさと香りを併せ持つ稀有の名演となった。4人のソリスト達はオケの響きと良く溶け合い、更なる色彩を与えていた。
これに対して、RIASの方に登場したソリスト達はより個性派揃いでソロイスティックな魅力を発揮した。
清らかで伸びのある美声で清楚な歌を聴かせたソプラノのイム、安定感・存在感・説得力に秀でたアルトのカーギルはこの大ホールに響き渡る貫禄のあるしなやかな声の持ち主、テノールのミュリュスの艶があり力強く映える歌唱も素晴らしかったし、バリトンのジャーノットの「トゥーバ・ミルム」の神々しいほどの威厳も忘れ難い。どの歌手も別の機会にじっくりソロを聴いてみたくなるような歌を聴かせてくれた。
古楽器オーケストラ独特のデリケートでレアな音色は「レクィエム」をより生々しく浮かび上がらせているだけでなく「トゥーバ・ミルム」のトロンボーンソロをはじめ、各ソロ楽器の表情づけも素晴らしく、古楽器でありがちな「音を外さないか」という次元をはるかに越えた技術的な安定感にも満足。
そしてRIAS室内合唱団の歌は、艶やかで力強く底から湧き上がってくる迫真の表現力に圧倒した。カリユステの指揮はオーソドックスなタイプで、ゆっくり目のテンポでじっくりと聴かせるレクィエムだった。
この2つの公演はソリストのタイプがかなり異なったし、モダン楽器と古楽器という違い、奏法的な違いがあり、別のタイプの演奏を楽しむことができたとも言えるが、実感したことはむしろ演奏のタイプが違っても「レクィエム」から得られる感動というのが同質のものということ。
もちろん優れた演奏であることが条件だが、モーツァルトの死の床で絶筆となり、魂の叫びがモーツァルトの持ち味である「音楽の美しいたたずまい」を乗り越えてしまったようなこの「レクィエム」の本質を伝えてくる演奏というのは、演奏スタイルや楽器の違いがもたらすものではない、ということだろう。
それに気づき、モーツァルトの無念に思いを馳せ、レクィエムの作曲途中での余りに早い死をあらためて噛み締めた。250年も前に生まれた作曲家の死をこれほどまでに惜しんでしまうのもモーツァルトの魔力だろう。モーツァルトをじっくりと感じる素晴らしい機会となった。
私は4日に弦が入っているやつを5公演聴きました。
生の今井信子さんのヴィオラが聴けたりしてなかなか楽しかったのですが、
最後に聴いたクニャーゼフ(vc)のハイドンのチェロ協奏曲第1番に感動しました
これで2000円なんてすごく得した気分です。
ちなみにモーツァルトはチェロのための曲は書かなかったそうですね。(私の先生から聞きました)
うーむ、残念。