8月23日(日)板倉康明 指揮 東京シンフォニエッタ
一柳 慧がひらく ~2020東京アヴァンギャルド宣言 室内楽XXI-2~
サントリーホール・ブルーローズ
【曲目】
1.山本和智/「ヴァーチャリティの平原」第2部 ii) Another Roaming Liquidアンサンブルのための(2017〜18)
ヴィデオロン:佐藤洋嗣/ギター:山田 岳/ヴィデオロニクス:磯部英彬
2.エリオット・カーター/「ダイアログ」 ピアノと室内オーケストラのための(2003)
Pf:朝川万里
3.山根明季子/「水玉コレクション No. 4」 室内オーケストラのための(2009)
4.一柳 慧/「コンチェルティーノ―Time Revival―」弦楽オーケストラと2人の打楽器奏者のための(2018〜19)
Perc:松倉利之、和田光世
サントリーホールが1987年から開催しているサマーフェスティバルは、毎回現代の作曲家をテーマに新しい音楽を紹介する意欲的なシリーズ。今年のテーマ作曲家だったイザベル・ムンドリーら海外勢はコロナ禍のため来日不能になったがフェスティバルは開催され、一柳慧が選んだ作曲家たちへ委嘱した作品が中心の「ザ・プロデューサー・シリーズ」の室内オケの演奏会を聴いた。長年にわたってアヴァンギャルドの旗手を務めてきた一柳が選んだ作曲家や、一柳自身の新作を聴けるのが楽しみだった。
山本和智の「ヴァーチャリティの平原」は、演奏行為が映像の動きにも連動するヴィデオロニクスというハイテク楽器を登用し、視覚にも訴える作品。自然の風景が映し出されたこともあるが、音楽からは自然の営みを感じた。それは映像に見られる海や滝や森などの具体的な描写というより、それら全てを司るもっと大きな自然の生命力や厳しさが感じられた。ヴィデオロニクスをはじめ、室内オーケストラの面々の厳しく真摯な演奏が曲の真価を表現していたように思う。
エリオット・カーターの「ダイアログ」は、タイトルのようにピアノとオケの対話で進められ、ピアノもオケの主要パートのひとつという趣き。その対話が当意即妙と云える生き生きとしたもので、パート同士の鮮やかな交感が感じられた。カーターは103年の生涯で作風も大きく変えていったが、この作品は僕がカーターの音楽にイメージしていた娯楽的なセンスは前面に出ず、見事な構成力で有機的にまとめられ、厳しさもあり、そして「カーターらしい」瑞々しい感性が光る鮮やかな音楽で、聴いていて片時も気分が逸れることなく、ワクワクしどおしだった。これはカーター自身からの信望も厚かったという朝川万里の、打てば響くような鋭く豊かな感性を持ったピアノの冴えと、それと見事な対話を繰り広げた板倉康明指揮東京シンフォニエッタの面々の精巧かつ生気溢れた演奏がもたらしたとも云えよう。繰り返し聴きたいと思った作品。
山根明季子の「水玉コレクション」はとても静的な音楽。「水玉」を象徴するような音像が姿を変えながら規則的に表れる様子は、ギャラリーで順番に作品を鑑賞したり、スライドショーを眺めたりしている印象。そこに現れる音像はキラキラと光彩を放ったり、ヴェールを纏ったり、柔らかな尾を引いたり、明度やテクスチャーを変化させ多彩な表情を見せる。演奏では特にきらびやかな響きの美しさが印象に残った。曲のタイトルからは万華鏡のように音たちが舞い踊りながら様々な形を描いていくような音楽を想像したが、1つ1つの音像はどれも独立していて、互いに手を取り合うことはない。展開や対話がないことが山根の音楽のコンセプトであるとすれば、これはこういう音楽として受け止めるしかないだろう。
演奏会の取りを務めた一柳の作品はバルトークのような民族色を感じる作品で、力強くドラマティック。ただ、アヴァンギャルドの最先端を走る一柳のイメージとは異なり、映画音楽とか劇伴のイメージが終始付き纏った。そのなかで中間部のバルトークの「弦、打、チェレスタの音楽」のモチーフに似たメロディーが連綿と繰り広げられる部分からは一柳らしさも感じたが、終盤は熱い民族の血がたぎる音楽に戻った。これが一柳の最近の作風なのだろか…、期待していた音楽とはかなり異なるテイストだった。2人の打楽器奏者を加えた演奏は情熱的だった。
ブルーローズに用意された座席(キャパの半分程度)はほぼ満員で、現代音楽のコンサートとは思えない熱気がホールに満ちていたのも印象的だった。
作曲家の個展II 2017 湯浅譲二×一柳慧 (2017.10.30 サントリーホール)
一柳 慧の音楽 ~コンポージアム2016~ (2016.5.25 東京オペラシティコンサートホール)
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1.山本和智/「ヴァーチャリティの平原」第2部 ii) Another Roaming Liquidアンサンブルのための(2017〜18)
ヴィデオロン:佐藤洋嗣/ギター:山田 岳/ヴィデオロニクス:磯部英彬
2.エリオット・カーター/「ダイアログ」 ピアノと室内オーケストラのための(2003)
Pf:朝川万里
3.山根明季子/「水玉コレクション No. 4」 室内オーケストラのための(2009)
4.一柳 慧/「コンチェルティーノ―Time Revival―」弦楽オーケストラと2人の打楽器奏者のための(2018〜19)
Perc:松倉利之、和田光世
サントリーホールが1987年から開催しているサマーフェスティバルは、毎回現代の作曲家をテーマに新しい音楽を紹介する意欲的なシリーズ。今年のテーマ作曲家だったイザベル・ムンドリーら海外勢はコロナ禍のため来日不能になったがフェスティバルは開催され、一柳慧が選んだ作曲家たちへ委嘱した作品が中心の「ザ・プロデューサー・シリーズ」の室内オケの演奏会を聴いた。長年にわたってアヴァンギャルドの旗手を務めてきた一柳が選んだ作曲家や、一柳自身の新作を聴けるのが楽しみだった。
山本和智の「ヴァーチャリティの平原」は、演奏行為が映像の動きにも連動するヴィデオロニクスというハイテク楽器を登用し、視覚にも訴える作品。自然の風景が映し出されたこともあるが、音楽からは自然の営みを感じた。それは映像に見られる海や滝や森などの具体的な描写というより、それら全てを司るもっと大きな自然の生命力や厳しさが感じられた。ヴィデオロニクスをはじめ、室内オーケストラの面々の厳しく真摯な演奏が曲の真価を表現していたように思う。
エリオット・カーターの「ダイアログ」は、タイトルのようにピアノとオケの対話で進められ、ピアノもオケの主要パートのひとつという趣き。その対話が当意即妙と云える生き生きとしたもので、パート同士の鮮やかな交感が感じられた。カーターは103年の生涯で作風も大きく変えていったが、この作品は僕がカーターの音楽にイメージしていた娯楽的なセンスは前面に出ず、見事な構成力で有機的にまとめられ、厳しさもあり、そして「カーターらしい」瑞々しい感性が光る鮮やかな音楽で、聴いていて片時も気分が逸れることなく、ワクワクしどおしだった。これはカーター自身からの信望も厚かったという朝川万里の、打てば響くような鋭く豊かな感性を持ったピアノの冴えと、それと見事な対話を繰り広げた板倉康明指揮東京シンフォニエッタの面々の精巧かつ生気溢れた演奏がもたらしたとも云えよう。繰り返し聴きたいと思った作品。
山根明季子の「水玉コレクション」はとても静的な音楽。「水玉」を象徴するような音像が姿を変えながら規則的に表れる様子は、ギャラリーで順番に作品を鑑賞したり、スライドショーを眺めたりしている印象。そこに現れる音像はキラキラと光彩を放ったり、ヴェールを纏ったり、柔らかな尾を引いたり、明度やテクスチャーを変化させ多彩な表情を見せる。演奏では特にきらびやかな響きの美しさが印象に残った。曲のタイトルからは万華鏡のように音たちが舞い踊りながら様々な形を描いていくような音楽を想像したが、1つ1つの音像はどれも独立していて、互いに手を取り合うことはない。展開や対話がないことが山根の音楽のコンセプトであるとすれば、これはこういう音楽として受け止めるしかないだろう。
演奏会の取りを務めた一柳の作品はバルトークのような民族色を感じる作品で、力強くドラマティック。ただ、アヴァンギャルドの最先端を走る一柳のイメージとは異なり、映画音楽とか劇伴のイメージが終始付き纏った。そのなかで中間部のバルトークの「弦、打、チェレスタの音楽」のモチーフに似たメロディーが連綿と繰り広げられる部分からは一柳らしさも感じたが、終盤は熱い民族の血がたぎる音楽に戻った。これが一柳の最近の作風なのだろか…、期待していた音楽とはかなり異なるテイストだった。2人の打楽器奏者を加えた演奏は情熱的だった。
ブルーローズに用意された座席(キャパの半分程度)はほぼ満員で、現代音楽のコンサートとは思えない熱気がホールに満ちていたのも印象的だった。
作曲家の個展II 2017 湯浅譲二×一柳慧 (2017.10.30 サントリーホール)
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