10月1日(木)ベルナルト・ハイティンク指揮 ロンドン交響楽団
~NHK音楽祭2015~
NHKホール
【曲目】
1.パーセル/スタッキー編/メアリー女王のための葬送音楽
2.ベートーヴェン/ピアノ協奏曲第4番ト長調 Op.58
Pf:マレイ・ペライア
3.ブラームス/交響曲第1番ハ短調 Op.68
ハイティンクを聴くのは3回目。初めてハイティンクを聴いたのは2000年9月、ドイツのフライブルクで行われたベルリン・フィルの演奏会。アバドの代役でプログラムも変更されたが、この時聴いた、パワーと気品を兼ね備えたベートーヴェンの第7シンフォニーの充実の極みとも言える演奏にまた出会いたくて、今回の来日公演の中ではリーズナブルに聴けるNHKホールへ。
最初に演奏されたパーセルは、管楽器と打楽器のみの編成。だたっ広いステージがひときわだたっ広く見える。スタッキーによるアレンジで奇抜な響きも聴こえてきたが、なにかただならぬデモーニッシュな空気が漂うシビアな音楽だった。ハイティンクとロンドン響の菅・打楽器のメンバーは、時おり生々しく奮い立つ迫力を聞かせながら、全体は厳粛な雰囲気に包まれた。
ピアノの名手、ペライアが登場した2曲目でオーケストラは通常の編成に。ここで聴かせたハイティンク/ロンドン響の演奏が、良くも悪くも今夜の演奏会を象徴していたように思う。ベートーヴェンではあるが、激しさや強引さは見られず、落ち着いた確かな足取りで歩を進め、そこに光と影の柔らかなニュアンスを施してゆく。ピアノとオケが全く異なる音楽で対峙する第2楽章も、対峙と言うよりもオケがピアノを優しくエスコートしているようにも感じられた。第3楽章からも「炸裂」は聴かれず、美しいフォルムを崩すことなく節度と調和を保っていた。これには物足りなさを感じた。
ペライアは、知的でクリアなピアニズムに情熱も加味して敏感にオケと呼応していたが、「さすがペライア!」と言いたくなるパフォーマンスは伝わってこない。これは恐らく場所の問題。NHKホールの3階は、オケの音はいい演奏だとビンビン聞こえてくるが、ここでピアノを聴いて今まで感動した覚えがない。ここはピアノを聴く場所ではないのだろう。NHKホールで損した気分。おまけに第2楽章では補聴器のハウリング音が長いあいだ聞こえたのには参った。ハウリング音は補聴器を付けている人は気づかない。周りの人が教えてあげなければ…
コンチェルトでのオケを聴いたら、後半のブラームスにはあまり期待が持てなくなってしまった。実際この演奏からは、闘いや苦悩、燃焼といったアグレッシブなものは殆ど感じることがなかった。名匠ハイティンクならではと思うような歌や表現はあるにはあったが、それが蓄積して感動へと導かれるまでにはならない。老境と言える年齢に入ったハイティンクだが、「枯れた」という印象はない。けれども以前聴いたときの、みなぎるエネルギーを巧みにコントロールしつつクライマックスへと登り詰めて行くパワーは感じられず、円くなったという印象。
そもそもこれは指揮者だけが要因なのかも疑問。ロンドン響は、きめ細かく柔らかな表現では上手さを発揮したが、ここぞというときの底力を感じさせることは、とうとうフィナーレのコーダに至るまでなかった。上手いけれどオケとしての本気度が伝わってこない。心に響くことも、身体が熱くなることも、心臓がバクバクいうこともないブラ1だった。
老匠ハイティンク、用意された椅子に演奏中は一度も座ることなく、リピートも入れた長い演奏を元気に指揮していた姿にはやはり打たれるものがあったし、敬意を表したい。「ハイティンクはもういいかな…」とは思いたくない。次にまた聴く機会があり、その時こそあの感動をまた体験できることを念じている。
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~NHK音楽祭2015~
NHKホール
【曲目】
1.パーセル/スタッキー編/メアリー女王のための葬送音楽
2.ベートーヴェン/ピアノ協奏曲第4番ト長調 Op.58
Pf:マレイ・ペライア
3.ブラームス/交響曲第1番ハ短調 Op.68
ハイティンクを聴くのは3回目。初めてハイティンクを聴いたのは2000年9月、ドイツのフライブルクで行われたベルリン・フィルの演奏会。アバドの代役でプログラムも変更されたが、この時聴いた、パワーと気品を兼ね備えたベートーヴェンの第7シンフォニーの充実の極みとも言える演奏にまた出会いたくて、今回の来日公演の中ではリーズナブルに聴けるNHKホールへ。
最初に演奏されたパーセルは、管楽器と打楽器のみの編成。だたっ広いステージがひときわだたっ広く見える。スタッキーによるアレンジで奇抜な響きも聴こえてきたが、なにかただならぬデモーニッシュな空気が漂うシビアな音楽だった。ハイティンクとロンドン響の菅・打楽器のメンバーは、時おり生々しく奮い立つ迫力を聞かせながら、全体は厳粛な雰囲気に包まれた。
ピアノの名手、ペライアが登場した2曲目でオーケストラは通常の編成に。ここで聴かせたハイティンク/ロンドン響の演奏が、良くも悪くも今夜の演奏会を象徴していたように思う。ベートーヴェンではあるが、激しさや強引さは見られず、落ち着いた確かな足取りで歩を進め、そこに光と影の柔らかなニュアンスを施してゆく。ピアノとオケが全く異なる音楽で対峙する第2楽章も、対峙と言うよりもオケがピアノを優しくエスコートしているようにも感じられた。第3楽章からも「炸裂」は聴かれず、美しいフォルムを崩すことなく節度と調和を保っていた。これには物足りなさを感じた。
ペライアは、知的でクリアなピアニズムに情熱も加味して敏感にオケと呼応していたが、「さすがペライア!」と言いたくなるパフォーマンスは伝わってこない。これは恐らく場所の問題。NHKホールの3階は、オケの音はいい演奏だとビンビン聞こえてくるが、ここでピアノを聴いて今まで感動した覚えがない。ここはピアノを聴く場所ではないのだろう。NHKホールで損した気分。おまけに第2楽章では補聴器のハウリング音が長いあいだ聞こえたのには参った。ハウリング音は補聴器を付けている人は気づかない。周りの人が教えてあげなければ…
コンチェルトでのオケを聴いたら、後半のブラームスにはあまり期待が持てなくなってしまった。実際この演奏からは、闘いや苦悩、燃焼といったアグレッシブなものは殆ど感じることがなかった。名匠ハイティンクならではと思うような歌や表現はあるにはあったが、それが蓄積して感動へと導かれるまでにはならない。老境と言える年齢に入ったハイティンクだが、「枯れた」という印象はない。けれども以前聴いたときの、みなぎるエネルギーを巧みにコントロールしつつクライマックスへと登り詰めて行くパワーは感じられず、円くなったという印象。
そもそもこれは指揮者だけが要因なのかも疑問。ロンドン響は、きめ細かく柔らかな表現では上手さを発揮したが、ここぞというときの底力を感じさせることは、とうとうフィナーレのコーダに至るまでなかった。上手いけれどオケとしての本気度が伝わってこない。心に響くことも、身体が熱くなることも、心臓がバクバクいうこともないブラ1だった。
老匠ハイティンク、用意された椅子に演奏中は一度も座ることなく、リピートも入れた長い演奏を元気に指揮していた姿にはやはり打たれるものがあったし、敬意を表したい。「ハイティンクはもういいかな…」とは思いたくない。次にまた聴く機会があり、その時こそあの感動をまた体験できることを念じている。
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