10月6日(火)ペルゴレージ/歌劇「オリンピーアデ」(日本初演)
~紀尾井ホール開館20周年記念バロック・オペラ~
紀尾井ホール
【配役】
クリステーネ:吉田浩之(T)、アリステア:幸田浩子(S)、アルジェーネ:林美智子(S)、リーチダ:澤畑恵美(S)、メガークレ:向野由美子(S)、アミンタ:望月哲也(T)、アルカンドロ:彌勒忠史(カウンターT)
【演出】粟國 淳
【衣装】増田恵美 【照明】大島祐夫
【演奏】河原忠之(指揮&チェンバロ)/紀尾井オペラ・アンサンブル(特別編成)
紀尾井ホールの創立20周年を記念してオペラが上演された。その演目がバロックオペラというのは、紀尾井ホールらしい粋な企画だ。「セミステージ」と謳われていたが、このホールでこんなに本格的なステージを実現し、本邦初演というペルゴレージの大作をここまで充実した立派な上演に仕上げたことを称賛したい。
毎年開催されている「北とぴあ国際音楽祭」でのレ・ボレアードによるオペラ上演で、それまで殆ど馴染みのなかったバロックオペラのおもしろさを知ったが、今夜の「オリンピーアデ」は一際高い感動に結びつく上演だった。それは、紀尾井ホールという少なめの客席数の理想的な音空間で上演されたこと、台本も音楽も優れていて、ストーリーと音楽を心から楽しめたこと、卓越した演奏と、シンプルながらハイセンスな舞台で視覚的にも鮮やかな印象を得たことなど、オペラ上演に大切な要素がどれも高い水準で結集した成果の表れだ。
1階前方の座席を取り払ってオケピットとして囲い、ステージ上にはギリシャの神殿を思わせる大理石調の舞台が、一部分ステージからせりだす形で据えられ、周囲を白波を模したオブジェが取り囲む。舞台装置はこれだけだが、背後にあるホールの柱の装飾も舞台に取り入れ、色照明やシルエット模様などを投影して浮かび上がったステージはとても美しく、また各登場人物のシンプルで鮮やかな色合いの衣装と共に、古代ギリシャの物語に相応しい美しい「絵」を見せてくれた。
18世紀イタリアの人気台本作家、メタスタージオによる台本は実によくできている。簡単なあらすじを読んだときは、一度は結婚の約束を交わした男が他の女にうつつを抜かし、卑怯な手でものにしようとしたがうまく行かず、結局は元の鞘に収まるという、へなちょこ男の話かと思いきや、そんな単純なものではなく、複雑な人間関係と深い愛情・友情、そこに秘められた運命的な秘密が絡んだ、ともすればこんがらがりそうなストーリーが、登場人物のキャラクターもうまく出しつつ明快に描かれ、スリリングに進んで行く。詳しいスジを知らなかったおかげで、かえってドキドキワクワクしてオペラに益々ハマってしまった。
この台本に音楽をつけたペルゴレージの腕前にもびっくり。様々なアリアは、登場人物の心情を的確に表し、オーケストラの扱いも雄弁で、聴き進むほど音楽に引き込まれていく。なぜこの作品が今まで日本で上演されなかったのかが不思議に思えたが、高度な歌が求められる重量級のアリアが多くの登場人物に複数割り当てられ、これをこなせるキャストを揃えるのが大変というのが理由の一つかも知れない。
その点、本公演のために集められたキャストは皆素晴らしい歌を聴かせてくれた。心の底からの感情の吐露を伴うアリアが多いが、どの歌手も自分の持ち歌に全力投球で臨み、迫真の熱い歌を聴かせた。後半のリピート部分での即興的なメリスマ(コロラトゥーラ)は、単に正確に歌うだけでなく、感情の高まりが声の抑揚を生んでいることをリアルに伝えていた。アグレッシブな歌唱だけでなく、細やかな感情のヒダもよく伝えていたが、そこでちょっとした感情の変化を、照明が微妙な調光の変化で演出していたのも効果的だった。
アリステア(幸田浩子)のリーチダへの怒りのアリアは、「夜の女王のアリア」のような凄味が感じられ(モーツァルトはもしかしてこのアリアを聴いていたのかも?)、そのアリステアと愛し合うメガークレ(向野由美子)との、叶わぬ恋を嘆くデュオでは、倍音をビンビンと鳴らして心の痛みを伝え、リーチダとメガークレの不幸な運命を嘆くアルカンドロ(彌勒忠史)のアリアの高音を駆使した嘆きの「叫び」は熱く切々と訴えてくるなど、数え上げたらキリがないほどの素晴らしい歌が次々に登場して、名歌手たちのガラコンサートを聴いているような気分も味わった。
公演のもう一方の立役者は、河原忠之指揮の今回のために特別編成されたという「紀尾井オペラ・アンサンブル」。モダン楽器を使い、演奏もピリオド奏法ではないが、それがふくよかな響きと滑らかな節回しを生み、特に弦の奏でる歌ではペルゴレージのイタリアらしい優美なカンタービレを聴かせた。陰影の表現やディナミークのコントラストも細やかで自然に行われ、歌の表情づけをサポートしていた。その一方で、激しい感情の昂ぶりや怒りを表現する場面などでは、歌い手がストレートな感情をぶつけてくるのに対して、いつもお行儀よく節度を保っていて物足りない。ピリオド演奏で見られるような、少々荒削りでも体当たりしてくる生々しさ、意気込みも聴かせて欲しかった。
今回の上演ではレチタティーヴォやアリアの一部が省略されたとのこと。どこをどう省略していたかはわからないが、以前北とぴあで見たハイドンの「騎士オルランド」では、同じフレーズを何度も何度も同じ歌詞で繰り返すアリアが多く、冗長なイメージを持ったが、もしアリアのリピートの一部が省略されていたとしたらそれは正解ではないだろうか。今の聴衆の感覚に合わせてスリム化することは、ある意味大切なことではないかとも思った。それが、この素晴らしいオペラの今後の上演回数を増やし、更にこの時代の他のオペラを観る機会につながるかも知れないから。こうしたオペラを一部の通だけのものにしてしまってはもったいない。
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~紀尾井ホール開館20周年記念バロック・オペラ~
紀尾井ホール
【配役】
クリステーネ:吉田浩之(T)、アリステア:幸田浩子(S)、アルジェーネ:林美智子(S)、リーチダ:澤畑恵美(S)、メガークレ:向野由美子(S)、アミンタ:望月哲也(T)、アルカンドロ:彌勒忠史(カウンターT)
【演出】粟國 淳
【衣装】増田恵美 【照明】大島祐夫
【演奏】河原忠之(指揮&チェンバロ)/紀尾井オペラ・アンサンブル(特別編成)
紀尾井ホールの創立20周年を記念してオペラが上演された。その演目がバロックオペラというのは、紀尾井ホールらしい粋な企画だ。「セミステージ」と謳われていたが、このホールでこんなに本格的なステージを実現し、本邦初演というペルゴレージの大作をここまで充実した立派な上演に仕上げたことを称賛したい。
毎年開催されている「北とぴあ国際音楽祭」でのレ・ボレアードによるオペラ上演で、それまで殆ど馴染みのなかったバロックオペラのおもしろさを知ったが、今夜の「オリンピーアデ」は一際高い感動に結びつく上演だった。それは、紀尾井ホールという少なめの客席数の理想的な音空間で上演されたこと、台本も音楽も優れていて、ストーリーと音楽を心から楽しめたこと、卓越した演奏と、シンプルながらハイセンスな舞台で視覚的にも鮮やかな印象を得たことなど、オペラ上演に大切な要素がどれも高い水準で結集した成果の表れだ。
1階前方の座席を取り払ってオケピットとして囲い、ステージ上にはギリシャの神殿を思わせる大理石調の舞台が、一部分ステージからせりだす形で据えられ、周囲を白波を模したオブジェが取り囲む。舞台装置はこれだけだが、背後にあるホールの柱の装飾も舞台に取り入れ、色照明やシルエット模様などを投影して浮かび上がったステージはとても美しく、また各登場人物のシンプルで鮮やかな色合いの衣装と共に、古代ギリシャの物語に相応しい美しい「絵」を見せてくれた。
18世紀イタリアの人気台本作家、メタスタージオによる台本は実によくできている。簡単なあらすじを読んだときは、一度は結婚の約束を交わした男が他の女にうつつを抜かし、卑怯な手でものにしようとしたがうまく行かず、結局は元の鞘に収まるという、へなちょこ男の話かと思いきや、そんな単純なものではなく、複雑な人間関係と深い愛情・友情、そこに秘められた運命的な秘密が絡んだ、ともすればこんがらがりそうなストーリーが、登場人物のキャラクターもうまく出しつつ明快に描かれ、スリリングに進んで行く。詳しいスジを知らなかったおかげで、かえってドキドキワクワクしてオペラに益々ハマってしまった。
この台本に音楽をつけたペルゴレージの腕前にもびっくり。様々なアリアは、登場人物の心情を的確に表し、オーケストラの扱いも雄弁で、聴き進むほど音楽に引き込まれていく。なぜこの作品が今まで日本で上演されなかったのかが不思議に思えたが、高度な歌が求められる重量級のアリアが多くの登場人物に複数割り当てられ、これをこなせるキャストを揃えるのが大変というのが理由の一つかも知れない。
その点、本公演のために集められたキャストは皆素晴らしい歌を聴かせてくれた。心の底からの感情の吐露を伴うアリアが多いが、どの歌手も自分の持ち歌に全力投球で臨み、迫真の熱い歌を聴かせた。後半のリピート部分での即興的なメリスマ(コロラトゥーラ)は、単に正確に歌うだけでなく、感情の高まりが声の抑揚を生んでいることをリアルに伝えていた。アグレッシブな歌唱だけでなく、細やかな感情のヒダもよく伝えていたが、そこでちょっとした感情の変化を、照明が微妙な調光の変化で演出していたのも効果的だった。
アリステア(幸田浩子)のリーチダへの怒りのアリアは、「夜の女王のアリア」のような凄味が感じられ(モーツァルトはもしかしてこのアリアを聴いていたのかも?)、そのアリステアと愛し合うメガークレ(向野由美子)との、叶わぬ恋を嘆くデュオでは、倍音をビンビンと鳴らして心の痛みを伝え、リーチダとメガークレの不幸な運命を嘆くアルカンドロ(彌勒忠史)のアリアの高音を駆使した嘆きの「叫び」は熱く切々と訴えてくるなど、数え上げたらキリがないほどの素晴らしい歌が次々に登場して、名歌手たちのガラコンサートを聴いているような気分も味わった。
公演のもう一方の立役者は、河原忠之指揮の今回のために特別編成されたという「紀尾井オペラ・アンサンブル」。モダン楽器を使い、演奏もピリオド奏法ではないが、それがふくよかな響きと滑らかな節回しを生み、特に弦の奏でる歌ではペルゴレージのイタリアらしい優美なカンタービレを聴かせた。陰影の表現やディナミークのコントラストも細やかで自然に行われ、歌の表情づけをサポートしていた。その一方で、激しい感情の昂ぶりや怒りを表現する場面などでは、歌い手がストレートな感情をぶつけてくるのに対して、いつもお行儀よく節度を保っていて物足りない。ピリオド演奏で見られるような、少々荒削りでも体当たりしてくる生々しさ、意気込みも聴かせて欲しかった。
今回の上演ではレチタティーヴォやアリアの一部が省略されたとのこと。どこをどう省略していたかはわからないが、以前北とぴあで見たハイドンの「騎士オルランド」では、同じフレーズを何度も何度も同じ歌詞で繰り返すアリアが多く、冗長なイメージを持ったが、もしアリアのリピートの一部が省略されていたとしたらそれは正解ではないだろうか。今の聴衆の感覚に合わせてスリム化することは、ある意味大切なことではないかとも思った。それが、この素晴らしいオペラの今後の上演回数を増やし、更にこの時代の他のオペラを観る機会につながるかも知れないから。こうしたオペラを一部の通だけのものにしてしまってはもったいない。
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