コトありで考えたこと

日々の生活の中で考えたことを書き綴った共同作成ブログです。

残らない記憶、消えていく記憶

2023-12-13 18:03:51 | 紫乃

認知症の母のサポートをするようになって、もう5年ほど経つ。
今は何年何月何日の何曜日なのかもわからなくて、
自分の年齢すらはっきりわからなくなっている。

毎日「今日は何日?」「今日は何曜日?」と繰り返し聞いてくる。

毎日が休日のような母の生活では、その日が何曜日であっても、
あるいは何曜日か把握していなくても、なんの支障もないわけだが、
それでも一日に何十回と同じことを聞いてくるので、
そのたびに「今日は12月8日の金曜日よ」というふうに答える。

でも1分後にはもう私にその質問をしたことすら忘れてしまうので、
ひどい時には5分に1回、同じ質問を繰り返している。
要するに一番近い過去に起こったこと、
話したことが記憶に残らないのだ。

 

 

他にも自分が今何をしていたのか、どういう状況にいるのかが
突然わからなくなり、パニックになって電話してくる。

特に父の姿が見えないと、
父が出かける時はきちんとメモにどこへ出かけて
何時に帰ってくるか書いていても、
母はそのメモを読んだ10秒後にはメモの存在すら忘れてしまうので、
パニックになる。

父は何時に帰ってくるから、
父が帰ってくるまで私が一緒にいるからね、と
言って、すぐに実家に駆けつける。

誰かそばにいて、あれこれ話していると安心する。

ただその会話も、会話にならないような堂々巡りになるので、
こちらは同じ質問に同じ答えをすることにだんだん疲れてくる。

新しい出来事はもう母の記憶には全く残らない。

それなら、
母がまだ覚えている母が子どもだった頃の話をすればいい、と思い、
故意に昔の話題を出すようにしているが、
その過去のことも近い順から、記憶から消えていきつつある。

60年前までのことなら鮮明に記憶に残っているらしい。

だが、5~50年前の記憶がだんだん薄れていっている。

自分が何者であるかは、記憶によって認識できるものなのに、
今それが薄れて壊れつつあるのが、そばで見ていて悲しい。

そのうち、私が誰なのかもわからなくなる時が来るのかもしれない。
それでも一番近い存在として、母に寄り添っていきたいと思っている。

(12月11日 紫乃記)

 



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