2月11日
夕方、落ち着いた個室の中でこれを書きます。
昨日は腹が減っている中での執筆だったので、ろくに集中できないままでしたが、今日は割と落ち着いている方でしょう。とはいえ休みの日というのは、仕事の日と比べると驚くべき早さで過ぎ去ってしまうものでして、落ち着いている場合じゃねえなと、慌ててパソコンを開いた次第です。ウダウダしているとあっという間に時間は過ぎ去ってしまいます。時間はいつも残酷です。
私も少しずつ、若いと呼ばれる年齢から遠ざかっていっています。老いていくことを自分で決めたわけでもないのに、それをあまりにも悲しいように感じるのは、私がまだ若者だからでしょうか。与えられた条件に満足できないほどに子どもだからでしょうか。
私は今の自分に、どちらかといえばネガティブを拵えた不満のようなものを常に保ち続けており、それは小さな時もあれば大きな時もあり、変動を重ねて内面を漂っています。まるで深海に近づいたり遠ざかっていく鯨のようです。身体は外部からの反応に、いつも野晒しの立場で受けて立つしかなく、結局は内面の強固な姿勢がストレスを受け入れてくれるのに期待するしかないのです。
そういう面では、私はとても脆くて儚い鯨を飼い慣らしているということになるでしょう。絶滅の危機にさらされた、環境や食物連鎖の変化に振り落とされてしまいそうな、哀れな水中の生き物。
社会はどうしたって、弱者を守る摂理を保てず、常に強いやつが上を目指していく。上にあるものといえば、下を見下ろして操っていくだけです。
そのためでもなくとも、自然と出来上がる強者と弱者の組み合わせは、いつだって残酷な音を響かせて、私たちに警告しています。
そのカウントダウンは、虚無や焦燥の値が少しずつ増えていくことの印でもあり、最終的な値が判明する頃には、もうカウントダウンの数値はゼロになっているのです。
だからそう、儚くても脆くても、鯨は選べないのだから、しっかりとした自分を持っていこう。そう思いながら、少しだけ私は寝ます。
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