四国遍路 令和3年 春 男63歳 野宿旅

縁あってお遍路モードに突入
(旧タイトル)おっちゃんとミニベロ9で以意大放題

いざ筑波へ

2011年04月23日 | 平日ポタリング
東日本大地震。
今では連絡のすべも無いが何人か知った人がいる。
無事だと良いが。

その昔、北海道でのツーリングを終え
被災地である三陸海岸を走って帰ってきた。
陸中でのすばらしい景色、港に浮かぶ船と小さくまとまった町並みが当時の都会育ちの若者には新鮮に映った。
ニュースで覚えのある地名が出てくるたびに心が痛む。
被災された方にはこの困難を乗り切ってがんばって欲しい。

震災直後はその気にならず、ようやくミニベロ9で走った。
野田ー水海道経由で筑波学園都市が目標。
手持ちの地図は野田市までしかカバーしておらずその先は勘頼り。
一応ググルマップで頭に入れた。

今回は公道がメイン。大型がビュンビュン走る道を避け今後のこともあって
走りやすい道を探しながらのポタとなった。
残念ながら一歩手前の万博記念公園駅で折り返すことになったが総じて走りやすい道が多かった。
実は筑波方面は二度目である。これまであちこちサイクリングには行ったが筑波だけは足が向かなかった。

一度目は忘れもしない中学三年の夏、親に買ってもらったセミドロップハンドルのサイクリング車、
当時はサイクリング車として売っていた。
無謀にも初めてのサイクリングに筑波山を目指した。小銭とおにぎり、水筒を腰袋に入れ、ひたすら走った。
筑波山が見えたときの感動は今も覚えている。山が見えてからが遠い。ようやく筑波山であろうところの小さな峠
を必死の思いで登り、下りきったときにはすでに陽が傾いていた。

帰りの時間まで計算に入れてなかった。
家に着いた時には日が変わっていた。もちろん親にはこっぴどく叱られた。
携帯やコンビニも無い時代、もちろん腕時計なぞも持っていない少年の大冒険、と格好は良いが
真っ暗の中、ダイナモの音と時々すれ違う車の音を聞きながら半分泣き泣きでようやく家にたどり着いた
というのが実際のところ。

これがおっちゃんの自転車にはまった原点、いわば筑波山は聖地である。
あのときの峠は何処だか知らないが今一度筑波山もありかなと思う歳になった。


本日4/22 草加ー野田ー水海道ー万博記念公園駅 (往復)

走行距離 128Km
走行時間 10時間00分(ドアードア)1630帰宅


本日デジカメを忘れたので写真はなし








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