雲仙普賢岳の火砕流災害から22年目。22年前も同じ月曜日だった。火砕流で亡くなった米人研究者と3週間前に会ったばかりだったことや、防災科研からの調査班が会議のために1日ずらして出発したので火砕流に遭遇せずにすんだことなど、私にとっても強烈に記憶に残る災害である。
連日お友達と放課後遊ぶ約束してた息子。今日は珍しく約束してないと。何故かと聞いたら、みんなスイミングやら英語教室とかで遊べないとのこと。みんな忙しいのだなぁ。そりゃ公園がさみしいわけだ。
米オレゴン産小麦の輸入停止 s.news.nifty.com/topics/detail/…
日本人は、多分、海外行って、日本語で現地の人に話しかけることはないと思う。話しかけたら首をかしげられる。
他界されていたとは。東京新聞:<セカンドライフ>いのち燃やしたダンサー アキコ・カンダの生涯 最期に見せた奇跡:暮らし(TOKYO Web) tokyo-np.co.jp/article/living…
YouTube見て振付を覚えてたら小1息子が歌中の「何言うとんねん、なめとんのかー♪」にハマってしまった。--- 割烹着~ず「ラブ・ミー・テンダー」 youtu.be/DKQlL6QWmjs
小学生の時の修学旅行は長崎の原爆資料館。頭蓋骨がたくさん積み上がった写真、黒焦げの人の写真、いろんなものを見た。夜、夢に出て怖かった記憶が。焼け焦げて亡くなった人達の死を、私たちはムダにしたらいけん。
あまり故郷にこだわらないのがいいのかもなぁ。どこででも、生きられる、力。海外には何度か行ったが、言葉があまりわからないくせに行って反省した。わからなくても何とかなるのだろうけど、自分は自分で可能な限り守らなければ。
@Yone_Chang あ、ごめんなしゃい、つい、全部見てなかったからほんとに倒れたかと。(^^;; あははは。おやすみなせーまし~。