自民党は得票数で500万票も負けていた。
野党票2767万票 52.1% 自民党2268万票 42.7%
数字を見てキューンとした。
なんでメディアは注目しないんだろう?大スクープだべ。
昨日のニュースステーション。 pic.twitter.com/ROg3FlrjNP
参議院選挙は予想通り自民党の圧勝。「安全が確認されたら」と盛んに言っているが、原発再稼動への流れはもはや止めようもないだろう。私がこのところ、こうした問題に関してずっと沈黙していたのは、あまりにも深い絶望感があるからである。
「原発を止めたら江戸時代に逆戻りではないか」という間の抜けた議論があったが、そんな夢のような話がある筈もない。(もっとも、江戸時代に逆戻り発言の人は、それが夢のような話としてではなく言ったのだろうが…)
渡辺京二先生の名著『逝きし世の面影』の中には、幕末に来日した西欧人によって描かれた、息が止まるほど美しい当時の江戸近郊の風景が紹介されている。もし、その時代に行けるものなら、私は10年の命が10日になっても悔いはないが、それこそ本当に夢の夢だ。
私が以前から何度も言ってきているように、原発とプラスチックが世に出た時から、もはや逆戻りは出来なくなっている。つまり、放っておけば、また自然に戻る、という事が出来なくなってしまったからだ。
私がかねてから不思議でならないのは、キリスト教があれほど普及している欧米諸国の人々が、人間の思い上がりを戒めた聖書の中のバベルの塔のエピソードになんら学んでいないということだ。
つまり、バベルの塔の話どころではない、プラスチックや農薬を生み出し、原発まで作って、なおこの先も臓器培養など、どんどん神の領域を侵していることを止めないからである。
私は、プラスチックや原発など放っておいたら自然に戻らない物を作ったということは、連続殺人事件のような凶悪事件を起こすより、罪が深いと思っている。
現在、海亀をはじめとするどれほど多くの海洋生物が、プラスチックの細片を誤食して消化器系の異常をきたし、命を落としているか分からない。
こうした人間の横暴に対する罪の意識は、私が物心ついた幼い時から半世紀以上の年月をかけて形成され、骨身に深く深く染み込んでいるものであり、この罪悪感を覆すことは、もう不可能だろう。
だから、このような罪悪感と、罪悪感から生じる絶望感を誰にも共感してもらいたいとは思わない。特に身辺で私が大事に思っている人には一層そうだ。
私が生涯の大半を費やして思考検討し、それでもどうにもならず到達したこの思いを誰にも継いでもらいたくないという事は、悲劇といえば悲劇だが、とにかくそうなってしまったのだから仕方がない。
いままで会った人物の中で、この私の絶望感に最も近い感じを持っていた人物は、ジブリの宮崎駿監督だろうか。だから、宮崎監督の『もののけ姫』には凄まじいショックを受け、立ち直るのが大変だったのだと思う。
宮崎監督が私と似たような感覚を持たれているのではないかという事を痛いほどに強く感じたのは、加藤晴之氏の紹介で直接宮崎監督にお会いして、1時間半ほど2人っきりで過ごした間、ほとんど会話らしい会話が成立しなかった時である。
その時、2人とも似たような絶望感が共有されていて、一言二言話せば、そのことが全部通じている感じがしたからである。
宮崎監督からは「『もののけ姫』に関して、甲野さんほどの感想は他に聞いたことがありません」というコメントと、数日後2000字にも及ぶ『もののけ姫』の制作に関する御自身の思いを綴られた御手紙を頂いた。
その御手紙で宮崎駿監督も人間の業の深さを本当に深く実感されていることを知った。
当時、宮崎監督は60歳近くになられていたが、その世代の大人で、あれだけ真剣に、あれだけ痛切な思いを持って時代を見つめられている人は、何万人に一人もいるかどうかだと思った。
宮崎監督からの御手紙の最後の方に「ぼくは、もののけ姫を自分の作品と感じた事は一度もありません。そうせざるを得なかっただけなのです」とあった。
そして、その次に「世間に戻ってみると、稼いだ金額だけが話題となり、ほころびもくらいつくす力も、ますます強大になるのを感じます。映画はその意味では無力です。もっとも世間をどうこうしたいと映画を作ったことは一度もないのですが…」と続いていた。
それにしても、これほど罪を犯して他の生物に迷惑をかけている事に対して、人間以外の他の生き物の命を貴ぶはずの仏教の僧侶が、ほとんどその事に対して心を傷めている様子もないのは実に不可解。
世も末という言葉は、すでに数百年も昔から言われてきたようだが、昔はその理由が末法思想という仏教思想的なものであったが、今は状況を冷静に解析し、広い視野を持つ者であればあるほど、さまざまな状況を分析して出る結果は本当に世も末という事になるだろう。
あとは万に一つというより、億に一つの大変革が起こることだが、世界中すでにこれほどの原発を建ててしまっている以上、これを完全に廃炉にするだけでも気の遠くなるような作業だ。
しかも完全廃炉に伴う放射性廃棄物の完全な最終処分など、現在の状況では不可能だろう。それに、もはや金を生み出さない施設の処理に、一体どれほどの情熱と経費をかけられるのかも疑問だ。
こうなれば、科学技術をもっと発展させて、きわめて有効な放射性物質除去装置を作り、廃炉にも事故にも対応するしかないような気がする。