バリの旅1995年5月バリはヌサ・ドゥアに宿を取った。宿泊したGrand Hyatt Bali をはじめ、ここの地区のホテルはゲートで囲まれ、完全なプライベートビーチになっており、現地の人が入ることができないリゾート地区になっている。海岸の物売りが有名なクタ地区も面白そうだが、今回は女房と一緒なので、豪華ホテルにした。ホテルのオプションツアーに申し込んで、島巡りのバスツアーに出発した。最初は、バリ . . . 本文を読む
蚊の一刺しで涙の強制帰国September 1997 担当プロジェクトの建設工事もほぼ完了し、あとは最終のコミッショニングと、運転の不具合点の修正だけとなった。プロジェクトマネジャー(PM)の指示で、プロジェクト関係者の帰国が始まった。7月の初め、PMから「K君を8月に帰国させる。君はあと1年残ってオフサイトの面倒を見てくれ。」と内示をうけた。K君はもう5年になるので、私が残るのは当然予 . . . 本文を読む
グレートバリアリーフ1996年12月 30~31日さていよいよ待望のグレートバリアリーフ。TUSA Divingはダイビング用のボートを2隻持っており、なんと一隻は日本人専用。インストラクターも全員日本人で、ただ船長とカメラマンの二人だけがオーストラリア人。隣の日本人のいないボートに乗せてほしかったが、予約だから仕方がないか。ダイビングの参加者はカップルが多い。あとは女性だけのグループと、男性二人 . . . 本文を読む
憧れのグレートバリアリーフへ (Cairns)1996年12月 29日96年の暮れ、日本に帰省する代りにオーストラリアにやってきた。スキューバダイビングをする人にとって、グレートバリアリーフは憧れの地、その玄関口ケアンズで正月を過ごすことにした。それにしても、カンタス航空(Qantas Australian Airways)のスチュワーデスは、いかついおばさんばかり。シンガポール航空の体形にぴった . . . 本文を読む
セブ ひとり旅 (1/2)最後のダイビング1997年旧正月1997年の旧正月はセブ島で過ごした。Chinese New Year はシンガポールでは日本の正月より盛大に祝い、ホテル以外は食事をとるところも無くなってしまうので、この時期は我々よそ者は国外脱出を図るのが賢明だ。会社も約1週間休みになるので、この年はまだ行ったことの無いフィリピンに行くことにした。シンガポールから空路4時間、セブ国際空港 . . . 本文を読む
KL は小さなシンガポール27~29 Apr. 1996四月のある日、アパートで暇をつぶしながら、月末の3連休をどうしようかと考えていた。ハリラヤ・ハジの休日がある。イスラム教のお祭りだ。シンガポールは、中国人の正月、インド人の正月、マレー人のお祭り、みんな休みがあるのでいろいろな季節に旅行が楽しめる。去年の正月はジャカルタ、今年のChinese New Year はバンコク、次のは・・・、何と言 . . . 本文を読む
週末ダイビング (Eat Sleep Dive) 1996/6/28-30マレーシアの東海岸に、すこし有名なダイビングリゾート、Tioman島がある。そこより、少し東側に、Pulau Aur(アウ島)という小さな島が浮んでいる。ダイビング友達に紹介されて、街の小さなダイビングショップを訪れ、週末ダイビングに参加した。金曜日の夜、仕事を終えて、ニュートンサーカスの駐車場にあるバス停で待っていると、マ . . . 本文を読む
バンコクの白タクにはご用心バンコク(1996年 2月19日~21日) また性懲りも無く、飛行機に乗っている。行き先はバンコク。去年はジャカルタで、たぶんこうなると来年あたりはクアラルンプールだろう。シンガポールは旧正月に入ると、店もレストランも閉まってしまい、観光客目当てのホテルの、値段の高いレストランだけが開いている。仕方が無いのでシンガポールを脱出する。バンコクの空港に着くと、イミグレーション . . . 本文を読む
ジャングル探検(6 April 1996)三日間も潜るばかりじゃ面白くなかろうとのHさんの提案で、次の日はジャングル探検に出かけることにした。Diving Centerの世話係のマリアさんにアレンジを頼むと、マネージャーに内緒でアレンジしてくれた。ダイビング客を勝手に他の観光に連れ出したことがわかると首になると、かなり気を使っていた。ひとりUS$45、ダイビングよりは少し安い。我々のほかに、宿で一 . . . 本文を読む
Pulau Bunakenブナケン島(5 April 1996)さて、翌日第1回目のダイビングに出発した。目的地はPulau Bunaken(ブナケン島)。Diving Centerの前の海岸はマングローブに囲まれた遠浅の砂地で、船に乗るには長い桟橋を渡る必要がある。しかし、重いダイビング用具はダイビングセンターの若者達が運んでくれる。どう見ても高校生くらいの年齢に見えるが学校はどうしたのだろう。 . . . 本文を読む