賭けマージャン辞任のニュースが世の中で溢れかえってます。
この問題、つっこみどころ満載で色々な意見が出ています。
主なところをあげると、
・「この人が辞めたら重大な問題が発生する」と黒川さんを無理やり定年延長した。その黒川さんが辞任したんだから重大な問題が発生するはず。どんな問題がこれから起こるか政府は説明するべき。
←これは私もぜひ聞きたいです。
・定年延長した政府・法務省の責任は?
・「余人をもって代えられない」のだから、後任人事は不可能じゃないか?
←政府、安倍総理、森法務大臣の責任を追求する意見
・検事長が賭博をしたんだから、検察はちゃんと起訴するべき
・訓告処分は軽すぎる
・7000万もの退職金を払うべきじゃない
←黒川さん個人の処遇に関する意見
・文春報道のタイミング(週明け)と検察庁法改正法案の見送り決定のタイミング(日曜日)からして、政府は賭けマージャン報道を察知したから見送りを決定したんじゃないか?
←法案の可否をその本質と関係なく決める政府に対する批判と、ある意味推理小説的な面白さを掛け合せた意見、というところでしょうか?
その他にも、、
・緊急事態宣言下に3密、ひどい
・ハイヤーで送迎
・産経新聞と朝日新聞の責任問題
などなど、本当につっこみどころ満載です(賭けマージャンなんて皆やってるだろ!なんて記事も見ました笑)。
どの意見もその通りだと思うんですが、私としては最後の産経新聞と朝日新聞の責任問題が気になっています。
正確にいうと責任うんぬんではなく、
新聞記者と検事長が賭けマージャンをやる事が、「取材」として取り扱われている
という点です。
私が最初に賭けマージャン報道を聞いた時に1番思ったことは
検事長が記者とマージャンするのか!
ということでした。記者が政治家と食事するのも「どうなの?」と思うのに、検事長とマージャンしちゃうんだ、、と。
そしてそれが「取材の範囲」として扱われている現状が、とても違和感があるのです。
朝日新聞はマージャンした記者の「勤務時間外の個人的行動」と言っていますが、それが取材だということは否定していません。
産経新聞に至っては当初「取材に関する事にはお答えしません」と回答。
検事長との賭けマージャンを「取材」と言い切っています。
その後も「賭けマージャン」は許されることでは無い、としましたが、賭けてなければ「取材相手とマージャン」は問題ない、と取れる発言をしています。
マージャンをする検事長はダメ、と言いたいのではありません。
検事長がマージャン好きでもパチンコ好きでも構わないと思います。仕事をきちんとすれば。
(ぶっちゃけ、仕事をちゃんとするなら賭けマージャンしたって構わないです)
ただ、「取材する側」と「される側」が食事やマージャンして仲良しになっちゃいけないと思うんです。
私は20代の終わり頃、ワーキングホリデーで1年間カナダにいました。
最初にホームステイした先のカナダ人女性(50代独身)はとても明るくあっけらかんとした人で、私はカタコト英語で彼女と色々な事を話しました。
カナダ人は政治の話が大好きで、政治の話も沢山しました。
「日本では記者が政治家と食事して取材する」
という話をしたとき、彼女はとても驚いていました。
「カナダでそんな事したら記者も政治家も1発でクビだよ!日本ではなんで許されてるの?」
私は前からの慣例であること、それによって大事なスクープをとれることもある、と説明しましたが、彼女は
「癒着して得たスクープなんて私は聞きたくない!」
と全く理解してくれませんでした。
(「癒着」という単語を知らなかったので、やりとりに苦労したのを覚えています)
カナダでは「食事する」だけで癒着とみなされる。そしてそれが殆どの先進国での常識であることをカナダに行って初めて知りました。
日本の政治取材はどうでしょうか。
「番記者」という制度で特定の記者が特定の幹部にべったり貼り付いて取材。
「記者クラブ」という枠を作り、記者クラブ以外の取材は受けない(受けるときもたまにあるけれど)。
各大手新聞社の社長が総理大臣と定期的に会食。
これらは他の先進国から見たら異常なんです。
それもそのはず、日本でも新聞社やテレビ局、果ては政府も
「報道の独立性」は民主主義の根幹であり、必ず守らなければならない
と言っています。
「独立性」は公平公正な取材・報道をするためのもののはず。
取材相手と一定の距離を保ち、不正を疑われる行動自体を行わないことは、「独立性」を保つために必要な事なのでは?と私は思うのですが。。
「記者と取材対象者がマージャンなんてとんでもない!」
「これを機に取材のあり方を見直すへきだ!」
という意見はあまり聞かないので、あまり重要と思われてないのでしょうか。。