人生、失敗しちゃった~ニート後遺症 闘病記~

十数年のニートをやめて一年。ニート後遺症と戦う、ニート研究家。

脱ニート者、班長になる【ニート後遺症、闘病中】

2016年03月06日 | 脱ニート者の日常
来年度、地区の班長が回ってきた。

人との交流はしっかりしなくてはいけないとも思うのでしっかりこなしたいと思う。
これもまた、リハビリだ。

とはいえ、実際をいえば班長の仕事をしているのはその家の一番の長であり、基本、退職者。年金生活をされているみなさん。または専業主婦さん。程度の差はあれ多くの方も御存じの通り、それなりに細かい仕事があったり、班内で葬式があった場合はその仕切り等も行ったりとコンスタントに忙しい。
現時点では、恥ずかしながら半日しかバイトをさせてもらっていないので、時間だけはある。といいたいところなのだけど、実はこれで結構、時間に拘束はされている。ほぼ仕事の問い合わせや面接なのだが。
いきなりながら班長引き継ぎの日が既にそれら予定とバッティングしており、困ってしまっている。かといって最初から母に行ってもらうわけにはいかない。ちょっとした配布物受取程度ならともかく。

数年前に班長をされた家庭では、若いご主人は一度も顔を出さず奥さんが切り盛りしていた。そういう風景をみていると、脱ニート者ながら色々と思うところがでてくる。

俺のような生活をしていても時間の割り振りに悩んでいるのに、まっとうに仕事をしている三十代、四十代の人は、十二分にこなすことはできない。結婚していればまだしも、それでも共働きだとかなりな負担になる。
現在、俺の地区は高齢で退職された方が多いので班長が回ってきても比較的問題なくこなしている。若い人しかおらず責務が果たせないと考え早々に班からの脱退を表明された家もある。

なかなか難しい。

自分にその順番が回ってきて初めてこんなことを考えるのだから、意識の低さも問題だとも思う。それもまた持ち回り班長制の効果といえば効果なのかもしれない。

もっと正直に吐露すれば、無償の仕事をしている場合じゃないんだ俺、と。そういうのは家庭に余裕がある人がやってくれよと。自業自得を棚にあげてそんな風にも思ってしまう。

そういはいっても、普段は他の方によくしてもらっているので、、一年、がんばろう。
来年の今頃、この状況がどうなっているか分からないけど。

いや、好転している。

このブログを書く理由【ニート後遺症、闘病中】

2016年03月04日 | 脱ニート者の日常
苦しい苦しい言う割にはこんなもの書いていられるなんて、余裕じゃねぇかと失笑される方もいるだろう。

否めない。

なぜこんなもの書き散らかしているかというと、自分の中身の整理、文面にすることで現状とちゃんと直面する、外に発信している意識を持つことで自分をしっかりと持つ、遺書代わり。それから、現在ニートやひきこもりをしている人らへの警告、忠告、そんな偉そうに言えたギリではないが、ほっとくとこんなことになるぞという検体として。何がすごいって、自分でいうのもどうかと思うが、ニートさんに提言みたいな記事を上げている本人がまだその底辺にいるということ。大概が、脱ニート成功してそれなりに社会活動できている人が「がんばれば俺みたいになれるぞ!ニート、がんばれ!奮起しろ!」と、そういう流れで啓発ブログや本を書くものだろうに。リアルタイムでボロボロになっていく脱ニート者が「ニートになりそうな人、ニートの人、俺みたいになるぞ!奮起しろ!」と言ってるんだから、どんなとんちだろうかと苦笑いも出ない。

こうして書くこと、読んでもらえるかどうかは分からなくても外に向かって書く意識を持つことで多少なりと、気分が楽になる。内容はほぼ愚痴だったり言い訳だったりと、うっかり読んでしまうと暗鬱にさせてしまうものばかりなので申し訳ないが。俺の闘病の一つがこのブログなんだ。闘病なんていってもそもそもが自業自得なので気恥かしいものもある。とはいえそれが一番しっくりくるから、それでいく。

もうちょっと面白く、軽いのりで笑えるような内容だったらいいのにと反省もする。そういう内容になったらそれは、事態が驚くほど好転したか俺がどうにかなっちゃったかだろうなあと空想する。いや多分、どんなに好転しても絶対に笑えるような楽しい脱ニート生活は書けない。ニート・脱ニート生活は余りに代価が大きすぎた。現時点でさえも。

「何もしない」時間が嫌なのでせめて文章でもと思い、こんなことも書いてみた。

大きな嘔吐感の波がきたので、少し休憩。

脱ニート者と相性最悪のバイト【ニート後遺症、発症中】

2016年03月04日 | 脱ニート者の日常
大きな耳鳴りとめまい、嘔吐感に襲われた昨日。バイト自体は滞りなく終わらせて帰宅できたもののそれから、どうしようか。とりあえず夕食を摂る。夕食だけはまだ白米を食べられる。ニンジンスープとちくわでおいしく済ませてから安静にしてみる。

ここからが高齢貧困脱ニート者の面倒なところ。薬がないのでじっとするしかない。翌日になっても医者にはいけないからじっとするしかない。が、じっとしていると鬱鬱としてきて更に症状が悪化する。器質的な病名は分からないとはいえ、間違いなく精神的な部分からきている症状でもある。もう時間を無駄遣いできない脱ニート者には「何もせずにじっと」が一番堪える。調子が悪いのだから「何もせずにじっと」も大事な時間・大切な仕事のうちだと言い聞かせてもみる。自宅にいる時間はどうせ求人情報を漁るくらいしかできないのだから、意味なく焦る必要もない。そうも思う。ただそのように理詰めで言ってきかせることと実感は別。実際は「何もしていない」わけではないとしても、事実動いてなければそれがストレス。

そもそも今回の変調は、昨日の異様な暖かさから始まる。つい汗ばんでしまいそうな陽気の中を出社。その時に悪寒が走ったのを覚えている。何とか状況を変えなきゃと動いて一年。暇を盗んでは求人情報を漁り、求人に応募しては空振り、面接に行っては落とされ。経済状況は日々一刻悪化し、自分の体調のみならず母も見るからに調子が悪そうな表情になっていく。この一年で大事な人たちが次々に亡くなった。お世話になったことへの礼どころかしっかりとした姿を見せることさえできないまま。そのことも辛いが、今現在、お世話になっている人たち、大事な人たちがまた去っていってしまうのではないかという、また間に合わないのではないかという不安、恐怖。一秒、一日、ひと月、一年。時間の単位がめくられるたびに何も解決せず先細っていく現実。

それが昨日の陽気で、一気に押し寄せてきた。
たたみかけるように、食品の消費期限を全てチェックする作業。3月という文字に打ちのめされる。そこに、例えば12日までとか、20日までとかの期限が記されているのをみると3月があっという間に過ぎてしまう予感が、突きつけられる。先の数字を扱う作業なので常に数字や月日を先取りで追いかけなくてはならない。もう来週になれば4月期日の商品も手に取らなくてはいけない。もう、4月。何もどうにもならないまま一年だぞ、俺。
という、切迫がスイッチを押した。

プリンの賞味期限をチェックしていたら、ぐらりときた。棚に突っ込みそうになり、とっさに棚の梁に手をついた。棚だったら大惨事になっていたかもしれない。手をついたまま作業続行。とにかく片付けなければならない商品数が多く、更に残業は絶対に許してくれない為、時間内終了目指して毎回必死。昨日のひと休みする余裕はなくそのまま続行。
大きなめまいは一度だけで、後はゆったり頭がゆれる程度だったが、耳鳴りが収まらない。常にキィンと鳴っていた。時折、胃液が逆流する感覚で食道の空気が喉元にせり上がってきた。嘔吐感へと繋がる。

スーパーの倉庫管理・品出しと脱ニート者との相性は、最悪なのかもしれない。

甘えてるニート関係者に贈る川柳14

2016年03月03日 | 脱ニート者の日常
脱ニート者川柳14

奇跡など、起こらないから、「奇跡」だよ




なぜか曖昧にぼんやり「奇跡」を待ち続ける。漫画の主人公にでもなったつもりで。主人公になるならそれ相応の戦いをしなくてはいけない。最近じゃ脇役でさえ主人公以上に活躍しないと評価されない。何もしなければ「人生の主役になれない」どころか脇役すら、舞台にすら上がれない、劇場にさえ入れず観客にさえなれない。劇場の外で、派手やかな看板をみながら足をかかえて蹲っているだけ。そんな奴にはなんの奇跡も起きない。主人公にだってめったに起こらないから「奇跡」なんだから。