人生、失敗しちゃった~ニート後遺症 闘病記~

十数年のニートをやめて一年。ニート後遺症と戦う、ニート研究家。

脱ニート一周年。悲観的予想が全て的中。【ニート後遺症、闘病中】

2016年04月22日 | 今、思う。
昨年4月16日にバイトの面接、18日に雇用契約、23日からバイト開始。

脱ニートから一年経過。
最初に危惧していた通り、こういったバイトだとどんなに続けても何も好転しない。分かっていて、それでもとにかく働かないとダメだと思い応募した。今のバイト先には感謝しているんです。でも、自分の現実を考えるとね。

月の生活費を何とか捻出できる程度で、貯金は2万~4万をいったりきたり。でかい税金がくるから安定しないんですよね。なんとか日々をがんばっても昇給も昇進もなし。一年マジメにがんばってもなんのキャリアにもならないし何の技術も習得できないので、職の面接にいっても+にはならない。一度バイトし始めると、そちらを簡単に辞めることもできないので、職探しの時間も限定される。

その辺り、全部分かっていたから、昨年の3月、4月は「とりあえずのバイトはやめよう」と話し合っていたのに。

俺の考える希望的観測は全て叶わず、悲観的予想は全て的中する。

学生時代から大体そうではあったとはいえ、この一年、ニートをしたことに引き続いて失敗しちゃったなあ。

などと思いながら、それでも多少の社会復帰へのリハビリはできていると信じてバイトに向かいます。問題は、そのリハビリができているとして、社会復帰の糸口さえつかめないことなんですよね。

気持ちがポッキリ折れていることに気付いた元ニート【ニート後遺症、闘病中】

2016年04月13日 | 今、思う。
おはようございます。
バイトの新人さんを一人立ちさせた元ニートです。

教える時間のない中、おおげさにいえばOJTでの育成でした。OJTなどと大仰にいわずに一緒に作業をしながら覚えてもらう、ってだけのことなんですが、そこは日々を少しでも面白く過ごす為の自分なりの工夫です。

育成といえるほどではないただの単純労働の教授でしたが、それでも学ぶべきところは多かったです。
言葉づかい一つ、教える側も教わる側も気をつけなければならないこと。ていねいでやさしくいえば、それがゆえに相手が作業を軽くみてしまうこともある。この作業は分かっていますよの意思表示もタイミングと言葉の選択を誤るとただの言い訳や鬱陶しい屁理屈・口応えになってしまう。「簡単な作業」が自分と人とでは違う。マトモに社会人として働いてる方には当然すぎる基礎中の基礎を実感、痛感しました。

さあこれで、後がまもできたことだしいよいよ退職してちゃんとした職に…といければいいんですが…

先日、ふと、気持ちがポッキリ折れていることに気付きました。

今でも毎日、必死に求人募集を読み込む日課をこなしていますが、ここしばらく問い合わせの電話をしていませんでした。場所・年齢・仕事内容等、面接させてもらうことができそうな職がなかったのも事実です。とはいえ、前は「○○とありますが、そこは××になりませんか?」くらいの勢いで問い合わせをしていました。派遣業者さんが間に入る求人は、企業さんの名前や所在地を明かしていないものも多数あるので「だいたいでいいので場所を教えてもらえますか?」というお電話は毎週毎日のようにかけていたものです。

昨年は多くの死別がありました。その中で、急がなくては何もかもが間に合わないという意識に囚われ、嘔吐を繰り返しながら履歴書を書き続けていました。その瞬間はわかりませんが、その意識がポッキリ、折れたようなんですね。未だにその「間に合わない」という強迫観念には追い込まれています。嘔吐以上にめまいと耳鳴りの頻度、深度はどんどん増しています。なのにどこか空虚で、いわゆる「やる気がない」状態になっています。

ありていにいえば、疲れた、ってところです。疲れました。根本的に現状の全ては自業自得なので、疲れのなんのと言っていいことではないんです。そう思ってガツガツと動いてきました。でも結果は出ない。たまには息抜きをすれば…と思っても、その息抜きをした時間がもったいなくて、息抜き中もストレスなら、その後もそれ以上のストレスと悔恨に襲われました。息抜きが息抜きにならない。休日が休日にならない。

これもまたニート後遺症なんでしょう。バイトに楽しみを見出したことでさえ自分を追い詰める。ニート後遺症、なかなかエグいです。

だからもう、何をしてもどう考えてもこのポッキリを繋ぎ合わせる術がない。
どこかで、どうせ仕事ないし…と思っています。バイトにも慣れてきてそれなりに楽しみも見つけられるようになってしまい、それで一日が終わればなんとなく今日がうまく回った気になっています。
それをどうやって払拭すればいいのか。

職が決まって、夢中になって働く毎日に突入すればいいのかなと思いつつ、その職が決まらないからこんな精神状態なんだろ、と、また、頭を抱えます。

ニート時代は春を満喫していたよなぁ 【ニート後遺症、闘病中】

2016年04月08日 | 今、思う。
風が暖かくなり、日差しが柔らかくなり、匂いが青々しくなると、春です。

ここから春が萌えていくわけですが元ニートなどにはキツい季節到来です。
世間の新生活で盛り上がる空気、先細る未来へまっしぐらな元ニートには純度100パーセントの酸素くらい毒でして。俺の場合、それでもまだそれを憎むことはなく、たんぽぽを見ても切なくなるくらいなので病根は深くないのかもと、変な角度のバロメーターになっています。

それでも結構な分量で、いらつき、ざらつきますよね。この感情、一番の、そして根本的な原因は今現在、春を満喫できないことではないんです。春の次は夏がきます。夏の次は、なんと秋です。そういう四季折々を楽しめないことが確定している感。これです。後少し頑張れば、辛いのは今だけ、がない。それが元ニート、ニート後遺症にのたうつ男の現状。打開されない現状。

思い返せばニート時代、季節は満喫してました。経済的には今より少しマシな程度でしたが、なんだかんだと工夫しては楽しんでいたのを思い出してしまいます。玄関脇に種をまいてクローバーや朝顔育てたりね。春野菜の漬物祭り開催したりね。無料で遊べる街の春イベントを散策したりね。春物衣料を漁りにリサイクルショップ回ったりね。
根本がそういう遊びが好きなので、十分でした。ピクニックやバーベキュー、飲みにいく、おいしいものを食べる、流行のファッションを楽しむ、TVを観る等の行楽•嗜好はないんですよね。TVを全く観ないので、なおさら派手めな遊びには疎くなります。

というときっと、多くの人がインターネットにかじりついて部屋から出てこない男、を想像するかと思います。ところがそれも違ったりします。ネットは好きです。でもかじりついても3時間が限界。2時間も座っていたらイライラします。で、外に出て活動。散歩がてら図書館で半日、とかやってました。
後は、筋トレやジョギング。庭いじり。ご近所や顔見知りのジョガーとフレンドリーに会話を楽しんで陽が暮れ、夕食を作り、夕食後は漫画読んで、就寝前にネットで遊んで。大学生の夏休みまんまです。せめてね、そこでバイトでもしていれば良かったんですけどね。この愚か者で怠け者で親不幸者は、延々と夏休みを享受し続けたんです。
そういう、ニートの一日の詳細をまとめるのもやっておきたいですね。まだ記憶が鮮明なうちに。

なんて思うともう、ニート時代への憧れがまた顔を出します。ニート時代というか学生時代の夏休みへの憧れ、が正解ですね。本来はその憧れ、憧れのままで断ち切るものなんですが、ニートというのは何を勘違いするのか「自分はそれをしても大丈夫」と無根拠な自信と勢いで、憧れを遂行してしまうんです。そんなファンタジー、どこにもありはしないのに。


基本的にこれは、愚痴ブログであり闘病ブログであり遺言ブログなのでこんな、日々思った取るに足らないことも記します。


色々なブログさんから学ぶ「馬鹿は黙っていられない」【ニート後遺症、闘病中】

2016年04月08日 | 今、思う。
おはようございます。
今日は少しだけ時間に余裕ができてしまいました。

バイト休み、求職活動の予定もない。そんな日に限って外は晴天。風は丸く鳥も鳴く。仕事をさせてくれよとうなだれても仕方ないので、思い切って完全にスイッチ切って朝から色々なブログさんを巡回。

その中で、脳髄引き抜かれる思いの一文を見つけました。

「馬鹿は黙ってられない」

勝手な引用、すみません。

これ、刺さります。
ここのところこのブログでも親戚のオジ襲来について愚痴ってきましたが、その根本・核心がまさにこのフレーズ。オジもそう。何でもかんでも頭つっこんでくちばしねじこんでくるけど、何もわかっちゃいない。そう思っていたんです。でもそれは真逆。何もわかっちゃいない馬鹿だから黙っていられない。何でもかんでも大騒ぎする。一方の俺も、それを理知的に受け流せばいいものを馬鹿だから、余計な一言をいって自分を不利にして、つけいる隙を与えてしまった。「馬鹿は黙っていられない」にもほどがある。
同じ血が流れていることを実感して、また、血を全て抜き去ってしまいたい衝動に駆られます…。

とか猛省した直後に、こんなもの書き始めるのだから、やっぱり「馬鹿は黙っていられない」んだろうなぁ。

そんなことを思いながらの今日の午後は、お墓参りに行ってきます。