【ニート後遺症とは何か】
そもそも「ニート」とは何か。
無職無業を指す。ということではなくて。
「ニート」とは、現実との直面から逃げた者をいう。社会へ出ること、若い頃からの壮大な夢をあきらめること、思春期特有の万能感を捨てること。それらができなかった者。また同時に、生きていく上で必要な生活の現実、生活費・税金・年金・貯金。結婚。家庭。それらと直面しようとしない者をいう。その結果が、無職無業。いやまだここで無職無業をいうのは早い。もうひと段落、ある。
そういう現実との直面から逃げるだけではなく、自分の心地よいポイントで時間を止めてしまったのが「ニート」だ。たとえば俺の場合、大学時代。そのポイントで時間を止めてしまった。本を読みあさり好きなようにレポートを書きなぐり。時間を見つけては絵を描いたりギターをいじったり。漫画や映画に没頭したり。人によってはそれが高校であったり中学であったりするのだろう。そうやって時間を止めてしまい、動かなくなる。自分はいつまでも23歳のまま。「大学を出れば無限の人生が広がっている・何でもできる」のだから今はその日までの「モラトリアム」。その意識のまま、十数年を過ごした。大学を出た後の数年はアルバイトをして海外にも出かけた。それは社会と足並みをそろえたのではなく大学時代にやり残した事を埋めたにすぎなかった。
そうやって、多くの同期が時間を進めている中、一人で時間を止めその中に埋もれていく。
通常ならここで、人と足並みをそろえなくてはと恐れおののく。けれども「自分は、やればできる」という幼い万能感に取りつかれ「自分は人とは違う人生を送る」と曖昧な目標を掲げて、働かないまま誰かにすがって生活するメンタルを作り上げてしまう。
精神面での成長がうまくいかなかった、ということでもある。小学校、中学校、高校、大学。人により多少は変わるけれど日本では多くこういう流れで人間を形成していく。「変わり者」扱いされるのが少し嬉しい時期がある。「人とは違う」が誇らしい時期がある。修学旅行につばを吐いたり文化祭や体育祭をバカにしたり。その時期は本来一過性で、多くの人がすっと団体の中に戻り、そこで「みんなで楽しむ」経験を積む。それができないまま、「変わり者」という段ボールに書きなぐった勲章を誇らしげに胸につけたまま、年齢だけ重ねてしまったのが「ニート予備軍」。自分は特別だという根拠ない意識は、自己愛ばかりを増大化させ、その自己愛・万能感が打ち砕かれそうな「現実」との直面から逃げてしまう。
そして、無職無業へ。
だから、信じられないかもしれないけれど、たとえば俺などは、現時点でさえ意外と人とのコミュニケーションは取れる方だったりする。
検体が俺だけなので、これを「論」とするわけにはいかない。「ニート」になった人にはそれぞれの理由がある。
ゆえにこれは俺を検体としたレポートでありただの闘病記。そう捉えて欲しい。
そもそも「ニート」とは何か。
無職無業を指す。ということではなくて。
「ニート」とは、現実との直面から逃げた者をいう。社会へ出ること、若い頃からの壮大な夢をあきらめること、思春期特有の万能感を捨てること。それらができなかった者。また同時に、生きていく上で必要な生活の現実、生活費・税金・年金・貯金。結婚。家庭。それらと直面しようとしない者をいう。その結果が、無職無業。いやまだここで無職無業をいうのは早い。もうひと段落、ある。
そういう現実との直面から逃げるだけではなく、自分の心地よいポイントで時間を止めてしまったのが「ニート」だ。たとえば俺の場合、大学時代。そのポイントで時間を止めてしまった。本を読みあさり好きなようにレポートを書きなぐり。時間を見つけては絵を描いたりギターをいじったり。漫画や映画に没頭したり。人によってはそれが高校であったり中学であったりするのだろう。そうやって時間を止めてしまい、動かなくなる。自分はいつまでも23歳のまま。「大学を出れば無限の人生が広がっている・何でもできる」のだから今はその日までの「モラトリアム」。その意識のまま、十数年を過ごした。大学を出た後の数年はアルバイトをして海外にも出かけた。それは社会と足並みをそろえたのではなく大学時代にやり残した事を埋めたにすぎなかった。
そうやって、多くの同期が時間を進めている中、一人で時間を止めその中に埋もれていく。
通常ならここで、人と足並みをそろえなくてはと恐れおののく。けれども「自分は、やればできる」という幼い万能感に取りつかれ「自分は人とは違う人生を送る」と曖昧な目標を掲げて、働かないまま誰かにすがって生活するメンタルを作り上げてしまう。
精神面での成長がうまくいかなかった、ということでもある。小学校、中学校、高校、大学。人により多少は変わるけれど日本では多くこういう流れで人間を形成していく。「変わり者」扱いされるのが少し嬉しい時期がある。「人とは違う」が誇らしい時期がある。修学旅行につばを吐いたり文化祭や体育祭をバカにしたり。その時期は本来一過性で、多くの人がすっと団体の中に戻り、そこで「みんなで楽しむ」経験を積む。それができないまま、「変わり者」という段ボールに書きなぐった勲章を誇らしげに胸につけたまま、年齢だけ重ねてしまったのが「ニート予備軍」。自分は特別だという根拠ない意識は、自己愛ばかりを増大化させ、その自己愛・万能感が打ち砕かれそうな「現実」との直面から逃げてしまう。
そして、無職無業へ。
だから、信じられないかもしれないけれど、たとえば俺などは、現時点でさえ意外と人とのコミュニケーションは取れる方だったりする。
検体が俺だけなので、これを「論」とするわけにはいかない。「ニート」になった人にはそれぞれの理由がある。
ゆえにこれは俺を検体としたレポートでありただの闘病記。そう捉えて欲しい。