高齢ニートは生活保護直行。そうじゃなきゃ死。じゃなきゃホームレス。下手すれば犯罪者。それを解消するには働かせること。自力で探しても無理だし、職安で相談しても実は結構無理なことを言われたり怒られたりするだけで、追い詰められるだけだったりする。だったらもうスッキリと条例なり法律で「働かないとダメ」にしてしまえばいい。そして働かせればいい。
これを高齢ニートな俺が救われたいがための戯言、空想、妄想と笑いますか?
救われたいから言っています。それは間違いないです。ですが、高齢ニートならびに全ニートがそれなりに社会復帰でき生活を安定化させられ、かつ彼ら俺らが目減りさせてしまう税金他に歯止めをかけ、税金年金の未納滞納が減るのなら、悪い話ではないとは思うんですね。
どうでしょうか。
こういう法律なり条例なりで働かせて生活を保障し税金等の徴収を安定化する、という発想、ものすごく社会主義的です。ここからは、元ニートが社会を語る、に突入します。ちょっとだけ。
今現在、人間の集団活動安定化システムは大別して二つ、資本主義と社会主義があります。
資本主義も社会主義も、当然のように完璧なシステムではありません。「主義」とついています。資本システムではなく。要するに、○○を主体として集団をうまいこと回していこうよ、という「考え方」であり、その○○が「資本」であったり「社会」であったりするわけです。なので完璧なシステムもなにも、資本主義自体、システムをさす言葉ではないんですね、そうなってくると。資本(を持っている人)ベースの集団活動の考え方。それだけなので、「こういうのが資本主義!」というカチっとした、数式的回答が用意はされていない。ということは常に流動的であり、実際に運用される「資本主義的活動」はその時々の世のあり方に大きく影響される、となります。なりますよね?
資本主義的活動が超絶化すればするほど、徹底的な個人競争を産んだり富の一点集中を産んだり社会的敗北者を大量に産んだりと、なかなかエグい方向にぶっちぎります。ところがその敗北者が多くなってくると、そいつら、まあ俺らみたいなのも含めて、そいつらは「金」を回せなくなります。
「社会(主義じゃないよ)」の存在理由は「その集団に属するものが一人で生きるよりも安全安心で、よりよい生活を送る」にあります。相互助け合いです。相互とつけると意味が固定化されるというなら、「個より数を集めれば有利に暮らせるよね会」という感じです。その大きな要素が「税」ですよね。なんでそんなモン払わないとダメなんだ、は常々誰しもが思うところですが、その「税」で、本来ならなかなかできないことができているのも事実。みんなで少しずつお金集めてでかいことしようぜ!です。
ところが、敗北者が増えてしまうとその「税」が集まらなくなる。出したくても出せないもん。そこに、敗北者は自業自得、知るか!となってしまうと更に困った問題が起きます。「社会」にはそういう人たちを助けるという機能が要求され、現代社会ではほぼ搭載されているんです。「福祉」的なそれです。ざっくりいえば、そういう「税」を払えない人たちを「税」で助けてあげている、わけです。こんなバカバカしい話、ないなあと思いません?俺は思います。助けてもらう側になりつつあるんですけどね。俺(続きます)
これを高齢ニートな俺が救われたいがための戯言、空想、妄想と笑いますか?
救われたいから言っています。それは間違いないです。ですが、高齢ニートならびに全ニートがそれなりに社会復帰でき生活を安定化させられ、かつ彼ら俺らが目減りさせてしまう税金他に歯止めをかけ、税金年金の未納滞納が減るのなら、悪い話ではないとは思うんですね。
どうでしょうか。
こういう法律なり条例なりで働かせて生活を保障し税金等の徴収を安定化する、という発想、ものすごく社会主義的です。ここからは、元ニートが社会を語る、に突入します。ちょっとだけ。
今現在、人間の集団活動安定化システムは大別して二つ、資本主義と社会主義があります。
資本主義も社会主義も、当然のように完璧なシステムではありません。「主義」とついています。資本システムではなく。要するに、○○を主体として集団をうまいこと回していこうよ、という「考え方」であり、その○○が「資本」であったり「社会」であったりするわけです。なので完璧なシステムもなにも、資本主義自体、システムをさす言葉ではないんですね、そうなってくると。資本(を持っている人)ベースの集団活動の考え方。それだけなので、「こういうのが資本主義!」というカチっとした、数式的回答が用意はされていない。ということは常に流動的であり、実際に運用される「資本主義的活動」はその時々の世のあり方に大きく影響される、となります。なりますよね?
資本主義的活動が超絶化すればするほど、徹底的な個人競争を産んだり富の一点集中を産んだり社会的敗北者を大量に産んだりと、なかなかエグい方向にぶっちぎります。ところがその敗北者が多くなってくると、そいつら、まあ俺らみたいなのも含めて、そいつらは「金」を回せなくなります。
「社会(主義じゃないよ)」の存在理由は「その集団に属するものが一人で生きるよりも安全安心で、よりよい生活を送る」にあります。相互助け合いです。相互とつけると意味が固定化されるというなら、「個より数を集めれば有利に暮らせるよね会」という感じです。その大きな要素が「税」ですよね。なんでそんなモン払わないとダメなんだ、は常々誰しもが思うところですが、その「税」で、本来ならなかなかできないことができているのも事実。みんなで少しずつお金集めてでかいことしようぜ!です。
ところが、敗北者が増えてしまうとその「税」が集まらなくなる。出したくても出せないもん。そこに、敗北者は自業自得、知るか!となってしまうと更に困った問題が起きます。「社会」にはそういう人たちを助けるという機能が要求され、現代社会ではほぼ搭載されているんです。「福祉」的なそれです。ざっくりいえば、そういう「税」を払えない人たちを「税」で助けてあげている、わけです。こんなバカバカしい話、ないなあと思いません?俺は思います。助けてもらう側になりつつあるんですけどね。俺(続きます)
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