楽謝 Mikiの覚え書き

サウンドヒーラー 楽謝 美紀です♪
世に出ている情報の中で、いいな!って 思った記事を書き留めています

老子が自身のスピリットを再発見した「道」

2025-02-03 | 令和のエイリアン

令和のエイリアン 公共電波に載せられないUFO・宇宙人ディスクロージャー

保江邦夫 著 より 抜粋

 

こちらの著書は 保江邦夫氏と高野誠鮮氏による対談形式になっています

 

保江氏のお話しが続きます

 

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『エイリアンインタビュー』で、僕がちょっと感動したことがあります。

ロズウェルで墜落したUFOの乗組員の宇宙人が語った地球の歴史の中に、老子が出てくるのです。

老子は中国の哲学者ですが、一番評価されていました。

少し引用しますね。

 

 

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「道教」と呼ばれる小さな本を書いた哲学者である老子は、偉大な叡智を持ったIS-BEであり「旧帝国」の記憶喪失/催眠術装置の影響を克服し、地球から脱出したのである。

これを達成するためには、彼のIS-BEの性質に関する理解はとても素晴らしかったに違いない。

 

 

一般的な言い伝えでは、彼の人間としての最後の転生は中国の小さな村の中で生きたものだった。

彼は自分の命の本質を熟考した。

ゴータマ・シッダールタと同じように、彼は自分の思考と自分の過去世に直面した。

そうすることにより彼は自分の記憶と能力、また不死の一部を取り戻したのだった。

 

老人として、彼は肉体から去るために村から離れ、森に行くことを決めた。

村の門番が彼を止め、去る前に彼の個人的な哲学を書き留めるように懇願したのだった。

彼が自分自身のスピリットを再発見した「道」について与えた、ちょっとした助言がここにある。

 

 

「それを見ようとする者は見ることができないだろう。

それを聞こうとする者は聞くことはないだろう。

それを掴もうとする者は掴むことはないだろう。

その形のない無の存在、動の不動の源を。

スピリットの無限の本質が命の源である。

スピリットは自己である。

壁は部屋を作り上げ、支えるが、

それらの空間が最も重要である。

壺は粘土で形作られるが、

その中に形成される空間が最も有用である。

行動とは、無が何かに影響した結果である。

スピリットの無があらゆる形の源であるのと同じように。

 

人が大きな苦痛で悩まされるのは、体を持っているからである。

体がなければどうような苦痛に悩まされることができるのか?

人が自分のスピリットよりも自分の肉体を大切にすれば、

人は肉体になり、スピリットの道を失ってしまう。

 

 

自己、スピリットが幻想を創造する。

人の妄想とは、現実は幻想ではないというものである。

幻想を創造し、それらは現実より本物であるとする者がスピリットの道に従い、天の道を見つける」

 

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こんなふうに記してあるのです。

 

ヒマラヤの辺りに前哨基地があったということですから、老子しかり、ラム・パンジョンという青年しかりで、やはりあの辺りに聖者のような人たちが集中しているのでしょう。

「ヒマラヤ聖者の生活探求」という本もありますし、シャンバラの入口があるともいわれていますよね。

 

 

 

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IS-BE(イズビー)について 調べてみたら 次のサイトが出てきました。

 
 

エイリアンインタビューIS-BEとヨガの哲学と幽体離脱の洞察!

 

この本の内容は主に、マチルダ・オードネル・マックエルロイから受け取った手紙、インタビューの謄本、そして個人記録から引用されている。彼女の手紙は、この資料は彼女とテレパシーを通して「話した」エイリアンの存在とのコミュニケーションの回想に基づいている、と主張しています。

 

彼女は1947年の7月と8月の間に、彼女(マチルダ)が「エアル(エイリアン)」として識別し、1947年7月8日にニューメキシコ州ロズウェル(ロズウェル事件)の近くで墜落した空飛ぶ円盤から助け出された士官、パイロット、そしてエンジニアであり、今もそうである、と主張する地球外生命体とインタビューをしました。

 

エアルは「ドメイン」という宇宙文明の一員で、彼女は地球人の魂(意識)を肉体に閉じ込めた張本人、宇宙文明「旧帝国」を滅ぼしたと語っています。

 

また、エアルは自分の話を簡単に説明するために独自の造語「IS-BE(イズビー)」を使い、それは魂や霊体、エネルギー体のこと、つまり私たちが意識と呼んでいるものを指しています。

 

私が体験した幽体離脱は、物質的な肉体を超えた意識の存在、すなわちIS-BEの一端を示しています。IS-BEは「永遠の意識」を持つ存在とされており、私が体験したように、肉体を離れても意識は永遠に続くという考え方と一致します。

 

また、地球が牢獄であり、輪廻転生から抜け出せないという考え方は、ヨガの哲学とも共通しています。バガヴァッドギータの「タット・タバン・アシ」、つまり「あなたが真実です」という教えは、まさにIS-BEの存在を示しています。それは、私たち自身が永遠の意識、つまり真実であるということを示しています。

 

ヨガの教えでは、「思考を止めた先に悟りがある」というのは、幽体離脱を通じて得られる深い洞察とも一致します。幽体離脱の状態は、意識を1点に集中しリラックスした時に起こります。これは、物質的な世界を超え、真の自己、すなわちIS-BEへと視点を移すことで、真実を理解する道筋を示しています。

 

エイリアンインタビューのIS-BE(イズビー)は、非常に興味深い概念です。IS-BEは、「存在する(IS)」と「そうなる(BE)」を組み合わせた造語で、全ての感覚ある存在を指します。これは、魂や意識そのものを指すと解釈できます。

 

エイリアンインタビューによれば、IS-BEは不死でスピリチュアルな存在であり、人間もその実態はIS-BEであるとされています。また、エイリアンや宇宙人は、物質界ではドールボディという乗り物で活動しています。これらのドールボディは生物的ではなく、ロボットに近い存在で、IS-BEはこれらのドールボディに自由に出入りできるとされています。

 

一方、人間は肉体という乗り物で活動していますが、肉体からIS-BEが出るのは自由ではなく、肉体が死ぬとIS-BEは出てくるとされています。そして、地球は刑務所のような存在で、地球からIS-BEが脱出できないようなシステムが存在するとされています。

 

エイリアンインタビューによれば、地球のIS-BEは特殊なバリアによって捕獲され、電気ショックで記憶が消去され、催眠暗示で「光に戻るように」命令されるとされています。これは、輪廻転生の仕組みと一致しています。

 

このように、エイリアンインタビューのIS-BEは、私たちの存在と意識、そして地球という環境について深い洞察を提供しています。それは、私たちが物質的な存在を超え、永遠の意識としての自己を理解する手助けをしてくれます。私たちが自己と宇宙の真実を理解するための重要な一歩となるでしょう。 ヨガの哲学と全く同じ視点を持っていることに驚かされました。

 

IS-BEは、すべてのものにある概念、我々が「IS存在」「BEそうなる」と思えば、そうなる」のです!困難な時こそ、このシステムを使ってください。困難な時こそ、私は幸せになると言ってください。そうなります!

 

 

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さらに 『エイリアン インタビュー』 Amazonのカスタマーレビュー レオンさんが 書かれた読者レビューを こちらにそのまま載せておきます。

 

1.二つの【エイリアンインタビュー】

1.1 Youtube動画との比較
数年前に本書の「エイリアン・インタビュー」とよく似た内容のYoutube動画を見たことがあった。その動画は「01~03」の3回で終了したために「完結」したものではなかったが、そのエイリアンは人間が進化した未来から来たために人類の未来に起こる出来事を知っていて「人間が核戦争をしたために地球上の多くの生命が失われて、ほんの僅かしか生き残ることができなかった」と言い、そのエイリアンは、そのとき生き残った人間の遠い未来の子孫だということだった。

本書のエアルという名のエイリアンが意思疎通できたのは1947年に米軍基地に勤務していたマチルダ・オードネル・マックエルロイという当時23歳の女性との間でテレパシーによって行われたもので、彼女以外とは誰ともコンタクトをとることができなかった。

それに対して、Youtube動画のエイリアンは薄暗い部屋で両腕を縛られた状態で捜査官に尋問されたことに英語で答えていた点が本書の内容と違うのでYoutube動画と本書のどちらも1947年にアメリカのニューメキシコ州ロズウェルで起きたとされるUFO墜落事故で身柄を拘束されたエイリアンであれば、両者のどちらかがフェイクであるか、あるいは、両者のどちらもフェイクであるということになるだろう。

1.2エアルの証言
その点を確かめる方法がないので真偽のほどはわからないが、それ以外に目を向けたときに(これ以降に説明することは「仏教」に関する素養がなければ理解できないかもしれないが)今から2,500年以上前にインドのゴータマ・シッダールタ(お釈迦様=ブッダ)が地球のIS-BE(人間)が苦しみから逃れる(解脱する)方法を説いて人々が救われたが、その後、仏教が広まる過程で勝手な解釈が加えられて改ざんされたことで「ブッダが説いた教えの意味」が理解できなくなったことで多くの人が「輪廻の苦しみ」から逃れることができなくなったことをエイリアンのエアルが指摘したことが私も長い間、そのように思っていたので素直に納得できた。

1.3大乗仏教はブッダの教えではない
それは1,999年に亡くなった世界的に著名な宗教学者でインド哲学研究者の中村元博士が世界の誰も成し得なかった「広説佛教語大辞典全4巻」を完成しただけでなく膨大な量の大乗仏典をわかりやすい日本語に翻訳した功績が称えられて文化勲章と勲一等瑞宝章を受賞した博士が、日本仏教の大乗仏典をどれほど読んでも「ブッダの教えが、どのようなものか少しも理解できない」ことに違和感を覚えて、博士自らがインドを旅して探し当てた最古の原子仏典「ダンマパダ」を日本語に翻訳したのを読んだときに、まるでブッダが今も生きていて、その息遣いさえ感じられるような「慈悲深い教え」を目にしたときに、私が長年疑問に思っていた「謎」が解けて「やはり、そうだったのか」(日本に伝来した仏教はブッダの教えではなかったのだ)と確信したためだった。

2.エアルが明かした【驚愕の真実】
2.1 監獄惑星の地球
さらに広大な宇宙をドメイン(管轄区)とするエイリアンのエアルが、人間が「輪廻の苦しみ」から逃れるために理解するべき大事なことは、人間が死んだあと肉体を離脱したIS-BE(魂)が、旧帝国が仕掛けた電磁バリアーの罠に捕獲されて強い電気ショックを与えられ「前世の記憶」を消されて「再び地球という監獄に送り返されるのだ」と言ったことに衝撃を受けた。

2.2 ユダヤ人の指導者モーセ
本書のエイリアン・インタビューの「第八章 近代史のレッスン」の中で「唯一神」という観念はヘブライ人の指導者モーセがエジプトにいた間に不朽のものにされたことをエアルが指摘している。モーセはエジプトのファラオ、アメンホテプ三世と彼の息子のイクナートン(アメンホテプ四世)と、その妻のネフェルティティと、その息子のツタンカーメンのいる王室の中で育ったために彼はエジプト人であったと思われる。  

2.3 エアルが明かす【一神教の起源】
そのモーセが、ユダヤ人の奴隷たちと一緒にエジプトを脱出するときにシナイ山の近くで「旧帝国」の工作員に止められて催眠暗示をかけられて、その後、何千年にもわたって争いの火種になる旧約聖書(ユダヤ教)のもとになる「十の催眠暗示」(十戒)を言い渡されて「ヤハウェが唯一の神である」と信じるように騙されたのだという。

そのとき、すでにモーセの言葉を暗黙のうちに信頼していたユダヤ人の奴隷たちが、自分たちにとっての唯一の神が「 ヤハウェ」であると信じて崇拝してきたのだという。その教えは、とても強固でIS-BEの意思を完全に従属させるもので、そのときの催眠暗示が、その後、何百万人ものユダヤ人の思考パターンを長年にわたって支配して未だにその効果が続いているのだという。 

3. 永遠の生命
3.1人間は【不死のスピリチュアルな存在】
そのために、旧約聖書は明らかに「旧帝国」に影響されたもので「偽の記憶」と「嘘」と「迷信」でIS-BEたちに「忘れろ」という命令を与えて地球に捕え続けるように設計されたのだという。人間が肉体を持つことがなければ「生と死を繰り返す」ことのない「永遠の生命」なのだという。それによって人間は「自らが不死のスピリチュアルな存在である」ことを思い出さないように記憶を消されたのだという。 

エアルが言うには「人間と宇宙人の違い」は、そこにあるのだという。人間が「生と死を繰り返す」ことによって「過去の記憶」が消されてしまうために、優秀な科学者が人類の未来に希望が持てる発明をしたとしても寿命のために、わずか数十年しか続かずに終わってしまうためにテクノロジーを大きく発展させることができないのだという。それに対して、永遠の生命をもつ宇宙人は、何万年、あるいは、それ以上長く生きることができるために「人間の想像を超えるテクノロジー」を手に入れることができるのだという。

過去に地球に宇宙人レベルの科学者がいたことをエアルが明かした。その名前は、ニコラ・テスラだという。彼はエアルと同じ星から来たのだという。確かに、ニコラ・テスラの発明の原理とアイディアは地球上の「誰も思いつかない壮大」なものであった。

19世紀の発明王としてトーマス・エジソンが有名だが、彼より9歳若いニコラ・テスラのほうが、はるかに天才だった。テスラは、エジソンが経営する電灯会社に技術者として入社したが、直流発電機を推進するエジソンに対して、交流発電機の優位性を主張して対立したことで失職したが、エジソンと対立関係にあった電力会社ウェスティングハウスが、ニコラ・テスラに資金を提供したことで、テスラが主張した交流の優位性が証明されてエジソンとの間で長く続いた「電力戦争」に決着がついて現在、世界の電流方式は「交流」が採用されている。

さらに、ニコラ・テスラが発明したものに「地球に住む全員」が電気を使えるようにするための「無線電力伝送システム」というものがあった。それは、巨大なテスラコイルで発生させた電磁波を用いて無線で送電を行う装置の構想で巨大な送電装置を地球上に設置することでケーブルを使わずに、地球上のあらゆる場所に電力を送り届けるというものだった。

それが、研究開発の段階で「欲深い資本家」の妨害を受けて何者かが研究室に侵入して実験のための装置が持ち去られてしまったために完成することができなかった。資本家が妨害したのは、そのようなものが作られてしまったら「エネルギー事業で儲けることができなくなる」ためだった。もし、そのときのニコラ・テスラの実験が成功して計画が実現していたら「世界は、今ごろ、どうなっていただろうか。エネルギー争奪の戦争をして多くの人が命を落とさずに済んだのではないだろうか」と考えるのは私だけではないと思うが、もうひとつ、ニコラ・テスラについて、以下のことに気がつく人は、殆どいないのではないだろうか。

それは、ニコラ・テスラには、トーマス・エジソンや、その他の実業家に見られるような金銭的な野心がなく「他人」や「弱者」のことを思いやる「素直で純粋な心」を感じることである。そのことが、エアルが言うところの宇宙人と地球に住む人間の「決定的な違い」で、そのことが、地球に住む人間が欲深いために「生と死を繰り返して“輪廻の罠”から抜け出せない理由」なのではないだろうか。 

3.2エアルが明かす【本当の“神”とは】
そのために、人間が信じる「神」は存在するものではなく「人間同士が神を信じて争って殺し合うように」旧帝国が仕掛けた「罠」だというのだ。それによって人間は、有史以来、数え切れないほどの戦争をして「殺し合い」をしたことを理解したときに、前世の記憶を消されて掛けられた呪縛が解けて、そのような状態から抜け出さなければならないことを理解した自分自身が神であり「自らを救うことができる存在」なのだという。  

3.3 歴史的事実を知ることで【 “洗脳”が解ける】
エアルの言うことは突飛に聞こえるが歴史を振り返って考えたときに、そのように理解するほうが今まで解けなかった多くの「謎」が解けて辻褄が合うのではないだろうか。そのことが理解できる良い例がエアルの言うとおり「戦争」だと思うが、その原因が一神教をめぐる争いで「善か悪かという二元論」が、自らが信じる神が「唯一である」と主張した瞬間に相手が信じる神を否定して「罠に落ちた」ことであることを理解したときに「人間が神を信じた」ことで「救われた」のではなく、実際はその逆で数え切れないほどの人命と、その他の生き物の「おびただしい数の生命が失われた」ことを理解したときに、エアルが言った「神を信じて人間同士が争って殺し合うように旧帝国が仕掛けた罠だ」というのは本当のことなのではないだろうか。

それが事実ならば、人間が不幸になる原因は「一神教の神を信じたためである」という結論が導かれたことになるために、まさに驚天動地で人間の長い歴史の中で想像することもできなかったことで、そのことが「自らは他人や他の生き物に脅威を与える存在であってはならない」とする「多神教」やアニミズムを信じる人と、それを否定して「一神教」を信じる人では、人としての「善悪の観念が違う」のではないだろうか。

もし、そうだとすると「人間が争って殺し合う原因」は、ユダヤ人の “選民思想”が一神教を誕生させたことであり、そのことが「人間が罪深い」ことなのではないだろうか。

4. ブッダの教えの解釈
そのように理解したときに、ブッダが説いた「輪廻から解脱できない」ということは、死んだあと肉体を離脱したIS-BE(魂)が、旧帝国が仕掛けた電磁バリアーの罠に捕えられて、再び「苦しむべき運命」が待ち受ける「この世に生まれ変わる」ことであり「無限地獄に落ちる」ということは、生前に犯した罪のために「悲惨な苦しみ」が果てしなく続く「無限ループ」から抜け出せないことであり「輪廻から解脱できる」ということは、旧帝国が仕掛けた電磁バリアーに捕獲されずに済んで「永遠の生命」を手に入れたIS-BEたちが居住する「安らかな精神世界へ行くことができる」ことなのではないだろうか。

その理解の仕方が正しければ、エイリアンのエアルがマチルダに伝えたことは、地球に住む我々人間が旧帝国に仕掛けられた「罠」から抜け出すための「重要な手がかり」で「ブッダの教えにも符合する」ことが理解できるのではないだろうか。そのように理解したときに長く洗脳されていた「呪縛」が解けて、ブッダが説いた「輪廻から解脱する」ということが、どれほど重要なことか理解できるのではないだろうか。

5.本書の信憑性の考察
少なくとも、本書の内容が、マチルダ・オードネル・マックエルロイが「作り話」をした可能性がないことと、彼女がエアルから受け取った内容が「国家の最高機密」であるという理由で「いかなる情報も決して漏洩してはならない」とする誓約書へサインすることを求められて、法外な退職金が支払われて当時勤務していた米軍基地を23歳の若さで退職することを勧告されて、その後60年もの間、秘密を守って80歳を過ぎた彼女が自らの死期が近いことを悟ってエアルから受け取ったメッセージを記録したファイルを、本書を書いたローレンスR.スペンサーに託したことや、本書の内容が作者のローレンスR.スペンサーの「自作自演によるフェイクである」とするのは、あまりにも不合理で説明がつかない。

その理由は、本書を編集したローレンスR.スペンサーに一神教を否定する意図や悪意がないことと、彼に限らず本書の重要な構成要件である「地球は不可触民の穢れた人間が住む監獄惑星である」とする発想は「自らのアイデンティティ」を否定することであるために、そのような自虐的なアイディアを思いつくことは、誰であっても「100%絶対に不可能」である。

そのことから、私が本書を読んで思ったことは、現実社会の中で数多くの事実が知らされないことにも無頓着な人間が「真実を知る」のは「きわめて難しい」ことを理解したときに、むしろ、現実の人間世界のほうが「バーチャルなのではないだろうか」ということだった。 

本書を読んであらゆる宗教に感じる「矛盾」を感じることがないために「フェイクである」と一蹴して済ませるべきではなく、むしろ、われわれ人間が、エアルが言ったことを否定できるだけの根拠を示すことができない上に人類の歴史において、誰も知らなかった人間を含むすべての生き物の「生命の“謎”」を解くものである可能性を理解するべきである。

それは、今から2,500年以上前にインドに生まれた釈迦族の王子、ゴータマ・シッダルタが29歳のときに王舎城を出て35歳で悟りを開いて、人間が苦しみを受ける原因は自らの「煩悩」によるものであり、煩悩は、あらゆるものに対する「執着」によって生じることを見抜いて「苦しみから逃れる」ために「執着を捨て去る必要がある」ことと、そのための「技法」を説いたことであった。

そのことを理解した多くの人が「ブッダの教え」によって救われたが、それから長い時間が過ぎてブッダが説いた「教えの意味」が理解できなくなったことで現代に生きる人々は物質的な豊かさを手に入れた一方で「精神文化は衰退の一途をたどった」と言っても過言ではない。

そのことが、世の中が「学歴社会」に変容するのに伴って起きたことを理解している私は、そのことに明確な問題意識をもっている。それについて「仏教の素養がない人」でも理解できるように以下のように説明することができる。

6.ブッダの教えを理解するために必要なのは「学問」や「学歴」ではない
6.1 僧侶が実践する修行
この点に関して、誤解を恐れてはならないために重要なことを説明するが、日本に伝来した大乗仏教が、それ以降、現在に至るまで1500年にわたって「仏教」を学問(仏教学)として扱ってきた。そのために実践したことが「経文解釈」と「読経」であったことから「学問」と「学歴」によるものであった。

経文解釈は、中国人が漢文で書いたものを日本人が理解するのに限界がある上に、そもそも経典に書かれた内容が「ブッダが説いた教え」ではないことが、中村元博士が原始仏典「ダンマパダ」を日本語に翻訳した「ブッダの言葉」を読めば明らかである。

そのことが、日本にとって不幸だったのは(大乗思想が広まる前に)紀元前2世紀ころに日本人が直接インドにわたって「原始仏典」を持ち帰ることができなかったことに尽きるが、その当時の日本は弥生時代で文字もなかったために不可能であったことが理解できる。

そのことを理解した上で(架空の話になるが)それができていたならば「広説佛教語大辞典全4巻」を完成して文化勲章と勲一等瑞宝章を受賞した中村元(はじめ)博士が(日本に伝来して1500年もの長い間伝承された)「大乗仏教をどれほど読んでもブッダの教えが、どのようなものか少しも理解できなかった」と言ったほど難解で理解不能な「大乗仏教」ではなく、誰もが理解できる「ブッダの教え」の仏教文化が日本に根付いて豊かな精神文化が育まれたことが容易に想像できる。

上記のことは、日本に伝来した仏教が「ブッダの教え」ではないことを説明したもので歴史上の僧侶や特定の宗派を非難するものではないことを申し上げる。そのことは、ブッダが説いた教えの「原始仏典」が存在することを知らなかったために日本が大乗仏教を受け入れたもので、そのことが時間の経過とともに寺院と人々の関係が希薄になって今日の「お寺離れ」につながったことは、日本の仏教界にとって不運なことだったと思う。

さらに一神教の「邪悪さ」を理解していたならば、欧米が仕掛けた「罠」に嵌められて戦争に引きずり出されて300万人もの尊い命を失って広島と長崎に原爆を投下されることはなかったことが、中村元博士が日本語に翻訳して紹介した原始仏典の「ダンマパダ」を読むことで理解できるために中村博士が果たした役割が、きわめて大きかったことが理解できる。

6.2 筆者(管理人)の考察①
出家した僧が日々修行することの重要性を説いたのはブッダも同じだが、そのために大事なのは学問や学歴ではなく、そのようなもので物事の真理を理解して「生きた人間を救うことはできない」ことをブッダは説いたのである。

6.3筆者(管理人)の考察②
ブッダの教えを理解するために学問や学歴が必要であるならば、学歴がないために文字の読めない人は「救われない」ことになるが、ブッダの教えは、そのようなものでないことからも、そのことが理解できるはずだが、現代の学歴社会が(高学歴であるほど)そのことが理解できないことを考えると、そのような人々は、物質的な豊かさや金銭欲を満たすことが「人生の目的」かもしれないが、そのことを原子仏典「ダンマパダ」の中でブッダは明確に否定している。

7.「ブッダの教え」でなければならない理由
7.1大乗仏教に対する考察
他の国から日本が賞賛される際に「日本は他国の文化を受け入れて、それを高いレベルに昇華して自国のものにすることに長けている」と評されることがあるが、そのことが当てはまらないのが「日本の仏教」だというのが筆者が考察して得たことである。

7.2 経文の多くはブッダの教えではない
日本人の多くが経文に記された文言に「ありがたさ」を感じることがある。中には難しくて理解できないからこそ「ありがたく感じるのだ」という人もいる。その代表的なものに「般若心経」があるが「般若心経」はブッダが説いた教えではない。ブッダの教えを理解する者ならば分かるはずだが、ブッダが「般若心経」のようなものを説いたと考えるほうが難しい。

「般若心経」は、ブッダの死後650年~750年に南インドのバラモンの家に生まれたナーガールジュナ(竜樹=りゅうじゅ)が唱えた「中論(ちゅうろん)」が基になったもので、ブッダの教えとは明らかに「筆使い」が違うことが見てとれる。

「般若心経」は、この世のすべての現象は(人の心でさえ)本質的な実体がなく、すべてが「空である」と捉えることで、人の心が感じる「悩みや苦しみ」も、その範疇にあるものであるとして、あらゆるものの「存在」と、それによって生じる「実態」を否定することで問題のそれ自体が「空」であるとするもので現代の大乗仏教に影響を与えたとされている。

そこで、今から1800年昔にタイムスリップして、ナーガールジュナ(竜樹=りゅうじゅ)に会うことができるならば、私は是非聞いてみたいことがある。それは「あなたが、何日も食べることができずに飢えに苦しんでいる」ときに、それは「実体のない空である」と捉えて「食べることを求めずにいることができるのか」ということと、たとえ、それができたとしても、それで「問題が解決したことになるのか」ということである。そのことをもって般若心経は「論理破綻」していることが理解できる。

そのことが意味するものは、ナーガールジュナ(竜樹)自身が、そうであったと考えられるが「般若心経」には無機質でニヒルなものしか感じないために、そのようなもので「悩み苦しむ人間を救うことはできない」ということである。

そのことが理解できる例として、後述する「7.4 」の「ブッダの教えは【車輪のハブ】」で実話をもとに当時のインドで、幼いわが子を亡くして悲嘆に暮れる母親のキサー・ゴータミーを「ブッダが、どのようにして救ったか」お分かりいただければ「生きた人間が救われる」ということが、どういうことか(何が必要なのか)理解できると思います。

そのことが理解できたならば「般若心経」や、その他の「経文を唱える」ことには意味がなく「ブッダが説いた教え」を正しく理解するほうが大事であることが理解できると思います。

7.3「ブッダの教え」であることが重要
「生きた人間が救われる」ためには「ブッダが説いた教えでなければならない」というのが、筆者が長年考察して得た結論である。そのことを「誰もが理解できるように」以下の「車輪のハブ」に例えて説明することができる。

7.4 ブッダの教えは「車輪のハブ」
数えきれないほど大勢の人が悩みや苦しみを抱えて「救いを求めている」ことを想像してほしい。ここでいう「大勢の人」とは見上げた空を覆い尽くして太陽が遮られるほどの数である。

その全員が手を伸ばして掴まることができる巨大な「車輪」を大空に思い描いて車輪の中心のハブから外側に向かって無数に伸びている輻(や=スポーク)が車輪を支えていることをイメージしたときに「車輪の中心」のハブが「ブッダが説いた教え」なのです。

その状態でハブと輻(や=スポーク)が「直接つながる」ことが重要なのです。それによってハブの力が余すことなく車輪の外輪に伝わることで「大勢の人が救われる」のです。それによって救われた大勢の中の一人が当時のインドで幼いわが子を亡くして悲しみに打ちひしがれる母親の「キサー・ゴータミー」なのです。

キサー・ゴータミーの話は、ここでは省略しますがYoutube動画で「紙芝居(キサー・ゴータミー ケシの実のお話)」の検索で見ることができるので、是非ご覧いただきたい。

7.5意図せずに「ブッダの教えを捨てた」大乗仏教
上記に対して、ハブと輻の間にいくつもの「つなぎ目」があったならば、ハブの力が減衰して十分に伝わらないために「救われるはずの人」が「救われない」ことになるのです。その場合、車輪の輻(や=スポーク)の「つなぎ目」が、ブッダが亡くなって400年~500年後に大衆運動が起きて仏教が広まる過程で大乗思想(大乗の教え)を取り入れたことだったのです。

そのことが(意図したものでなかったとしても)ブッダの教えが改ざんされて「人々がブッダの教えの意味が理解できなくなった原因」であるために、そのとき起きた一連のムーブメントが、ブッダの教えに反するもので「ブッダの教えを捨てた」ことになったのです。その大乗仏教が、それから300年ほど経って西暦530~570年に日本に伝来したのです。

7.6 ブッダが悟りを開いた背景
あらゆる苦行に耐えても悟りを得ることができなかったゴータマは、最後に(食も睡眠も絶って)「悟りを得るまでは立ち上がらない」と強い覚悟をもって菩提樹の下に端座して深い瞑想に入ったのです。そして、その7日後に悟りを開いたのです。それから、しばらくの間、悟りを開くことができた満足に浸ったあと、身支度を整えて向かった先が(ブッダの身辺を気遣って近くの鹿野園で野営していた)五人の比丘(修行仲間)のところだったのです。

そのときのブッダは、もはや修行者のときのものではなく見違えるような姿を見て驚いた彼らに対してブッダは「最初の法を説いた」のです。そのことを「初転法輪」(しょてんほうりん)といいます。そのとき説法を聞いた彼らは、ブッダが間違いなく「悟りを開いた」ことを確信したためにブッダに対して「大勢の悩み苦しむ人のために法を説くように」懇願したのですが、ブッダはそれを断ったのです。

そのやり取りが、しばらく続いたあと、ブッダが「法を説く」ことを決心するのですが「何」(誰)がブッダを決心させたのか、それは5人の比丘ではなく「梵天」(ブラフマー=万物の創造主)から請願を受けた(ブラフマーから請願される声を聞いた)ためとされていて、そのことが「梵天勘定」(ぼんてんかんじょう)という仏教上の物語になっています。

この話をするのは、そのときのブッダの「断りの言葉」に「重要な意味」があるからです。そのときブッダは「私は“甚深無量” の智慧(じんじんむりょうの智慧=人々の考えが及ばない深い智慧)をもって悟りを開いた。それゆえに、法を説いたところで人々が理解できるものではない」というのが、その理由だったのです。そのときブッダが言った “甚深無料”という言葉の意味が(どれほど深いものか)理解できないことが、ブッダの教えが理解できない理由なのです。

8.「甚深無量」が意味するもの
その意味(ブッダが説いた “甚深無料”)が「どれほど深いものか」を知るために、前記「7.5」の「意図せずに“ブッダの教えを捨てた”大乗仏教」をお読みいただけば、ブッダが亡くなったあと大衆運動が起きて大乗思想(大乗の教え)を取り入れたことが「ブッダの教え」が改ざんされて、人々が「ブッダが説いた教え」の意味が理解できなくなった原因であることを理解したときに、そのようなことをしたならば「自らが説いた教え」を捨ててしまい「人々が救われなくなる」ことをブッダは理解していたのです。

それから2,000年以上もの長い間、人々が、そのことが理解できなかったことを理解したならば、悟りを開いたブッダが、法を説くことを断る理由として「自らが悟ったことは甚深無量(じんじんむりょう)であるために人々が理解できるものではない」と言ったことが、如何に正しかったか理解できると思います。

そのことが理解できたならば、悟りを開いたブッダが出家した僧に「法を説くこと」を引き受ける「条件」に「修行すること」を求めたのは、そのため(甚深無料が、いかに深いものか理解させるため)だったのです。

上記のことからわかるように「人々が救われる」ために大事なものは「学問」や「学歴」ではないことを理解することが大事であるとブッダは説いたのですが、そのことが理解できない現代の学歴社会がもたらしたものは拝金主義によって出現した大勢の「金銭欲を身に纏った人々」なのです。そのような人々が「ブッダの教え」を理解することが、いかに難しいか理解できると思います。

9.「生きた人間」を救えなければ意味がない
話を戻して現実の社会に目を向けたときに、日本国内で毎年2万人近い自殺者が出てG7(主要7か国)の中で最も多いという現実があるが、日本仏教の「大乗仏教」が、そのような人々に「救いの手を差し伸べている」ようには思えない。そのことと、現在、日本の各地で起きている「お寺離れ」が関係ないとは思えないが、そのことに「正面から向き合おう」とする様子も見られない。

10.「ブッダの教え」を伝承する人々
それに対して、アジアの国の人々に伝承されている(ブッダが説いた教えと戒律を守っている)「上座部仏教」は、過去において、大乗仏教の僧侶と信者から(乗り物に例えて)「小乗仏教」と揶揄されて「大乗仏教ならば大勢の人を救うことができるが、小乗仏教では僅かな人しか救うことができない」と非難された歴史があるが、そのようなことを意に介さずに在家信者の人々の寺院と僧侶に寄せる尊敬と深い信頼関係で結ばれているために日本で起きているような「お寺離れ」の現象は全く見られないのです。

上記のことからわかるように、ブッダの教えを理解するために大事なものは「学問」や「学歴」ではなく、むしろ、日本が物質的豊かさを求めて「学歴社会」を形成したことが「ブッダの教え」が理解できなくなった原因であるために「学歴社会」がもたらした「弊害」なのです。

そのことは「仏教」が「ブッダの教え」と同じものと解釈して学問的に理解しようとした「大乗仏教」にも当てはまることで、人間が「学歴社会」を形成したことが(意図したものではなく)思いもしなかった結果を招いたことを理解したときに、エイリアンのエアルが言った「人間が死んだあと肉体を離脱したIS-BE(魂)が、旧帝国が仕掛けた電磁バリアーの罠に捕獲されて強い電気ショックを与えられ前世の記憶を消されて、再び地球という監獄に送り返されるのだ」と言ったことを思い出すのだが、そのことと何か関係があるのではないだろうか。

つまり、人間が「学歴社会」を突き進む中で「ブッダの教え」の意味が理解できなくなることが「輪廻から抜け出す」ことを考えなくなることを理解したときに、それは、何者かが仕組んだ「罠」ではないかという疑いである。その点を「ブッダならば、どのように考えるだろうか」と思ったときに、あることに気がつく。

11.人間が作り出した「罠」
エアルの話によると、一神教の起源は、モーセがユダヤ人の奴隷たちと一緒にエジプトを脱出するときにシナイ山の近くで旧帝国の工作員に止められて催眠暗示をかけられて「ヤハウェが唯一の神である」と信じるように騙されたことを知らずにユダヤ人に伝えたことに始まったものだが、実際の神は存在するものではなく「人間同士が神を信じて争って殺し合う」ように旧帝国が仕掛けた「罠」だというのだ。

それが、旧帝国が仕掛けた罠だとすると人間が物質主義に偏った学歴社会を形成したことが(予想もしなかった結果になって)「ブッダが説いた教えの意味」が理解できない人間を作り出したことが、人間が作った「罠」で、その罠に「人間が落ちた」ことなのではないだろうか。その理解が正しければ、現代の学歴社会が作り出した弱肉強食の世の中は「ブッダの教え」と相容れないことが理解できるのではないだろうか。

12.「ブッダの教え」とは何か
12-1「ブッダが説いた教え」のユニークさ
私が、日本の仏教が「ブッダの教えではない」という理由は、ブッダが説いた教えの「大事なこと」を理解していないからである。そのことは、ブッダが説いたものではない「経文の解釈」や「読経」に膨大な時間を費やすことに意味はなく、そのようなことをするよりも、前記7.5の意図せずに「ブッダの教えを捨てた」大乗仏教と8.「甚深無量」が意味するものをお読みいただけば、ブッダが説いた「甚深無量」の意味を正しく理解するほうが、はるかに大事であることが理解できるのではないだろうか。

「ブッダの教え」がユニークである所以(ゆえん)は「不殺生と利他の教え」に「本音と建前」を使い分けるような「裏表」がないことです。そのようなことをする人は「ブッダの教えを理解する者」ではないのです。

12-2「学歴社会」が失ったもの
ここで、日本の「学歴社会」が「失ったもの」を説明したいと思います。そのことが多くの人が「ブッダの教え」が理解できない理由であるために、そのことで、国民も国家も、どれほど「大事なものを失ったか」理解できると思います。

それは、他人とあらゆる生き物に対する「慈悲の心」と、自らが利益するために虚言を言わない(嘘をつかない)「素直で正直な心」です。ブッダは、もの心がついた幼いころから、そのことが身について優れていたために、厳しい修業を積んで「悟り」を開くことができたのです。

ブッダが80年の生涯を通して「自らの教えを理解するために大事なものがある」と説いたのは、そのこと(「慈悲の心」と「素直で正直な心」をもつように教えたこと)だったのです。それがなければ「自らが説いた教え」を理解することができないことを、以下の「ブッダの言葉(ダンマパダ)の中で「ブッダが繰り返し説いている」ことが理解できると思います。

最後までお読みいただいた方に「感謝の思い」を込めて、最古の原始仏典「ダンマパダ」を中村元(はじめ)博士が日本語に翻訳した「ブッダの言葉」から、私が特に気に入っているものをご紹介したいと思います。

ブッダの言葉(ダンマパダ) 中村元 訳

1. 湖が澄んで清らかであるように賢者は真理を聞いて、こころ清らかである。

2. 真理を喜ぶ人は、心きよらかに澄んで安らかに臥す。聖者の説きたまうた真理を賢者は常に楽しむ。

3. 愚かな者は、生涯賢者につかえても真理を知ることがない。匙が汁の味を知ることができないように。

4. 聡明な人は、瞬時のあいだ賢者に仕えても、ただちに真理を知る。舌が汁の味を知るように。

5.「わたしには子がある。わたしには財がある」と思って、愚かな者は悩む。しかし、すでに自己が自分のものではない。まして、どうして、子が自分のものであろうか。どうして、財が自分のものであろうか。

6. 愚かな者は、悪いことを行なっても、その報いの現れないあいだは、それを蜜のように思いなす。しかし、その罪が現れたときに苦悩を受ける。

7. もしも、ある行為をしたのちに、それを後悔しないで嬉しく喜んで、その報いを受けるならば、その行為をしたことは善い。

8. 自己こそ自分の主(あるじ)である。他人がどうして、自分の主であろうか。

9. 自己をよくととのえたならば、得難き主を得る。一つは利得に達する道であり、他の一つは安らぎにいたる道である。ブッダの弟子である修行僧は、このことわりを知って、栄誉を喜ばずに孤独の境地にはげめ

10. すべてのものは暴力におびえ、すべてのものは死を恐れる。己が身を引きくらべて、殺してはならぬ。殺さしめてはならぬ。

11. 大空の中にいても、大海の中にいても、山の中の奥深いところに入っても、世界のどこにいても、悪業から逃れられる場所はない。死の脅威のない場所はない。

12. 「一切の事物は我ならざるもの(諸法非我)である」と明らかな智慧をもって観るときに、ひとは苦しみから遠ざかり離れる。これこそが人が清らかになる道である。

13. いつわりを語る人、あるいは自分がしておきながら「わたしはしませんでした」と言う人 ―この両者は、死後にひとしくなる。―来世では行いの下劣な業をもった人々である。

14. 高尚な人はどこにいても執着することがない。快楽を欲して喋ることがない。楽しいことに遭っても苦しいことに遭っても、賢者は動ずる色がない。

15. 人々は多いが彼岸に達する人は少ない。多くの人は此岸の上でさまよっている。

16. 実に心が統一されたならば、豊かな智慧が生じる。心が統一されないならば、豊かな智慧がほろびる。生じることと滅びることの二種の道を知って、豊かな智慧が生じるように自己をととのえよ。

17. 真理が正しく説かれたときに、真理にしたがう人々は、渡りがたい死の領域を超えて彼岸に至るであろう。

18. 或る人々は(人の)胎内に宿り、悪をなした者どもは自獄に堕ち、行いの良い人々は天におもむき、汚れの無い人々は全き安らぎに入る。

 


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