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あの高校時代の、馬鹿なオレ。

あの高校時代の頃、

倫理・社会のセンセの頭部には、

会計をする必要がないのに、バーコードが付いてた。


よく見ると、

整髪料で、その少ない毛髪を無理矢理、

右から左に貼り付けて、

頭皮には必要以上に振りかけた整髪料で、

脂を浮かべている。

それが商品価値をアピールする為のバーコードで、

なんとか、頭部に、倫理感を、保たせていたのだ。


そして、センセは、

いつも同じタイプの白い開襟シャツを着て、

狸のように、その立派なお腹を突き出していた。

それも、彼の、哲学であり倫理感だったんでしょうか。


高校の2年生だったと思う。

その狸のセンセの授業があったのは。



教科書を、読みあげるだけの

非常に、退屈な授業で、

クラス中が、睡魔と斗っていた。



その斗いに勝とうとする倫理感が、

こちら側には、毛頭(もうとう)なく、

負ける者が、多数、出没した。



「 コラッ、寝てんじゃない、起きろ! 」と、

授業の講義より、負傷した生徒への抗議の時間の方が、

長かったような気がする。



ある日から、

授業の前に、生徒を順番に、

最近、自分が思ったこと、感じたことを、

3分間、しゃべらす、スピーチの時間を、

狸のセンセは、始めた。



少しでも、緊張感を、生徒に持たせようと、

倫理的に、哲学的に、

狸のセンセは、思考したんだろうか。



オレの番が、まわって来た。

「中世のイタリア、ボローニャ大学とかでは、

生徒が、教授を雇っており、

ツマラナイ授業をする教授を、

生徒が教授をクビに出来たんだそうです。」と、

この夏、世界史の本で、

仕入れたばかりの話を、早速、披露してみた。



狸のセンセは、苦虫を噛みつぶしたような顔をした。

そんな時、狸は、なにに、化けるのだろうか。



高校の3年生も終わりに近づき、

大学受験のシーズンがすべて終わった。

オレは、すべての受験に、失敗した。



卒業式をキザに欠席したオレは、

今後のために、卒業証明書というものを、

受け取りに学校に行き職員室をおとずれた。



そこに、狸のセンセがいて、

「お前は、頭が良かったんじゃないのか、

どの大学も引き取ってくれなかったのか」と、

倫理的に、哲学的に、

オレを励(はげ)ましてくれた。


狸のセンセ、ありがとう。

狸のセンセが、おっしゃるような頭の良さは、

オレには、持ち合わせがなかったんですよ。

そして、一浪で、大学に、滑り込りこんだ。


刺激的な、ワクワクするような授業ができないなら、

自然と生理的に眠りたい生徒には、

自然と生理的に眠らせてあげたほうが、

倫理的にも、哲学的にも、

良い選択では、ないんでしょうか。

ねぇ、狸のセンセ。



センセ、センセッ、

ちゃんと、聞いているんですかぁ?



あれッ、寝ているよ、

センセは、やっぱ、狸だ。



ホントは、

オレって柄じゃないんだけどね。

 

(2017/08/29 07:17 再記載 一部改訂)

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会長からの威迫、カツラのカシラの酷薄、そして馬鹿なオレの浮薄で蒼白

オールバックのカツラのカシラ(社長)がいた。

その社長の映像制作プロダクションにいた頃、

オレがプロデューサーとして

担当した作品の話の顛末。

 

その作品は、アニメーションを作って

Webで配信する企画であった。

さらに、その映像作品をも販売して、

キャラクター関連グッズを

配布もしくは販売できればと思っていた。

そういった企画を、発注元の小さな代理店とも

話をして取り組んでいたんだ。

 

もう、30数年以上も前で、

当時では、ちょっと画期的な試みだった。

小さな代理店だったので、

フットワーク軽く、新しい挑戦をしたのだ。

 

そのチャンスを掴むために馬鹿なオレは、

代理店から任されて、万全を期すため

アニメーターとの著作権等の契約書を作りたかった。

 

そういう契約に不案内だったオレは、

映画製作の経験のあるカツラのカシラに

契約書の雛形やら弁護士の紹介の相談した。

代理店が小さかったから軽くみたのか、

オレが取り組む新しい試みを軽視したのか。

カツラのカシラは鼻で笑い、

大丈夫だろう、そんな大袈裟な契約書は

要らないだろうと言った。

 

カツラのカシラは、自分ごとでないからか、

制作物に関して、のんきで、牧歌的でいたんだ、のか。

本当に、カツラのカシラを信じていいのか、

何かあったらの保証は何もなかった。

そんな映像制作の仕事の進め方などあるのか。

疑心暗鬼で不安を抱えたままプロジェクトを進めた。

 

そして、その時がやってきた。

 

映像の完成に漕ぎ着けたところで、

すべてが出来上がったタイミングで、

映像制作を依頼したアニメーター兼ディレクターが

所属するプロダクションの会長から呼び出された。

 

その会長は業界では訴訟事件で死神のように畏れられた

強談威迫の会長だったのだ。

 

馬鹿なオレはその世間を事実を知らなかった。

 

依頼したアニメーター兼ディレクターとは、

以前の作品のキャラクターやスタッフィングの類似性を

考慮して、新しいスタッフと新しい制作の試みを

提案したが、自分はもうフリーだし、自分が作った

自己流の前例の制作体制に拘った。

 

【明明白白1】

やはり、カツラのカシラの言う事を鵜呑みにしないで、

フリー宣言しているアニメーター兼ディレクターとの

契約書は必須条件だった。

 

 

呼び出された死神会長からは、

著作権侵害を突きつけられ裁判も辞さないと脅された。

アニメーター兼ディレクターは子飼いで、

フリーなんてとんでもない、と。

自由に作業ができる作業場を

こちらで用意して与えただけだと主張し、

それを独立したと勘違いしてるだけだと訴えられた。

 

アニメーターが今回オレとつくったキャラクターは

以前のキャラクターの作風と類似しており、

以前の作品は、会長がスタッフィングもし、

アニメーターに指示を出し、

作ったキャラクターだし制作方法だったと強談され、

アニメーターにはなんの権利はないのだと明言された。

全て映像が出来上がってから、

完成を待っていたかのように、直ぐにの事だった。

 

全ての話が違いすぎるし、シナリオがあるかのようだ。

 

さらに、強烈な事実だったのが、

契約書作成を鼻で笑ったカツラのカシラと、

裁判沙汰をぶつけてきた会長はカツラのズラ繋がりで

実は、旧知な仲だったことがわかった。

 

易々と馬鹿なオレの立場は置き去りにされて、

早速の手打ちの話になった。

 

結果、

キャラクター使用料の請求とニ次使用の禁止が条件で

カツラのカシラとズラの会長は手を握った。

その話には、オレの立場はともかく、

受注先の代理店の立場は加味されなかった。

 

当然、窮地に陥ったのは馬鹿なオレだ。

受注した代理店に対して、謝罪しても仕切れないが、

映像販売等のニ次使用も

キャラクターのグッズ化も出来なくなったことを告げ

全て悪いのは契約書を作成しなかった

馬鹿なオレである事、出来る償いをさせてもらうことを

話させてもらった。

 

そのアニメーター兼ディレクターは、

まだ若く、これからが楽しみなクリエイターだった。

彼に責任を押し付けることはできなかったし、

何も知らない彼を巻き込みたくはなかった。

そのことは、代理店の担当者も同意してくれた。

だからこそ、全てが馬鹿なオレの責任なのだ。

 

もう、プロデューサー失格である、致命傷だ。

 

カツラのカシラは、そんな重要な企画に本心から

契約書なんて必要がないなんてと、

軽薄に鼻で笑っていたのだろうか。

だとしたら、カツラのカシラは

プロダクションの社長としても

プロデューサーとしても失格で残念である。

 

いや、しかし、本当にそうだったのだろうか。

 

実は、鵜呑みにしてそれを信じた馬鹿なオレを、

試すのか、初めから、そうなる道を歩ませたと

考えてみたらどうだろうか。

 

先走って発注元の代理店は、

大量のキャラクターグッズを作り、

それは、そのまま大量のゴミ屑となった。

 

カツラのカシラは、一切、オレの担当した代理店には

接触することなく、その事を心配することも

何もなかった。

小さな代理店の立場の話には触れなかった。

オレと代理店との関係性の話もなかった。

カツラのカシラが契約書が要らないと

鼻で笑った話についても何もなかった。

全ての責任はオレが負った。

 

話したことは、

大量のキャラクターグッズの在庫を、

カツラのカシラの会社の倉庫に一時置き、

時間を切って、産業廃棄物として処分をする事、

と言うことだけだった。

 

それに対して代理店は、

アニメーター兼ディレクターの事、

会長とカツラのカシラの事の経緯を理解してくれて、

裁判や訴訟にはならなかったが、

キャラクターグッズの制作費は

こちらが払うことを条件に、オレは信用をなくして

ゴミ屑とされた。当然の結果である。

 

その後、その代理店の担当者もその会社を離れ、

古巣の大きな代理店に籍を移した。

 

カツラのカシラは、しばらく、オレを放置したが、

やっぱりゴミ屑として放り出した。

 

このプロジェクトがこのような末路をたどっても、

カツラのカシラの会社には何ら支障はなかった。

あったのは大量のキャラクターグッズの一時保管と

産業廃棄物としての廃棄処分料だ。

 

合わせて、これは、支障ではなく、順調に、

燃えるが合法的に燃やせないゴミとして、

馬鹿なオレの廃棄処分が出来た事だった。

 

契約書をきちんと交わし、

このプロジェクトが成功したことを

愚かにも夢想もした。

握りしめた手のひらに爪が食い込んだ痕はなかった。

爪さえもがれていた。すべてがあまかった。

 

しかし、現実は、

オレはカツラのカシラのプロダクションから

ズラかったカタチを取らされた。

 

まさか、全てが仕組まれていたとは思いたくはない。

だとしたら、本当の死神は、カツラのカシラだ。

 

しかし、不条理にも、

これは、貧乏神の馬鹿なオレのひとり言である。

 

その馬鹿なオレが処分された後日談。

 

会長は広く世界進出を果たし、

次々と新たなクリエイターを生み出し、

著作権ビジネスで成功した。

そこでは、多くの血が流れたと聞く。

しかし、会長にとって、一番革新的であったのは、

世界中で言語を使わないで、

人と人のコミュニケーションが出来る

システムを開発し、グローバル企業へと大成長した事。

そして、世界中が全員、

そのコミュニケーションシステムで結ばれるのだ。

そこに、血はなく平和が生まれるのだろうか。

次は、人と動物とのコミュニケーションに

取り組んでいると言う。

しかし、このシステムには科学的根拠はなく、

イマジネーションでそう思い込ませる「システム」と

彼らが勝手に呼ぶ思念というか、根拠がない分、

妄想に近いものか。ただ、「システム」に繋がることで

お互いが理解できているようだ。

会長は企業を隠れ蓑にして、顧客を信者として、

この思想を持って新しい宗教法人を立ち上げ信者を

獲得しているが、全貌は解明されてはいない。

 

カツラのカシラはカツラから植毛にし色も染め、

TPOで、逆に丸坊主のズラを被っている。

そんなことは下世話なちっちゃな出来事である。

前カツラのカシラ、改めて植毛のカシラは、

映像制作からアパレルにも進出し、

そこで生まれた土偶のキャラクターで大ヒットした。

縄文土器の時代には、

ヒトを殺める武器は無かったという説から、

現代を縄文時代に引き戻すために、

土偶たちの実際行動と思念行動の働きで、

世界中を超近代資本主義から縄文時代に、

ラディカルに、破壊と復活の創造へと変えていく物語。

そして、その方法は、人類にとって、幸か不幸なのか、

善なのか悪なのか、必要悪なのか、その方法論も含め、

賛否両論、物議を醸し出し、

本当の人類の平和とはをテーマに訴えた映画を当てて、

ハリウッドでもリメイクされると聞く。

 

アニメーターは会長から完全なフリーとなり、

東洋のバスキアと

世界各地で問題作を作っているらしい。

 

会長は彼を育てた事を自慢のひとつにしていたそうだ。

百合子や文雄はともかく、バイデン、ゼレンスキー、

習近平、プーチン、金正恩にも、

当時の彼の原画を贈呈したそうだ。

現代を風刺する彼の過去の原画が現代の為政者に、

どう受け入れとめられたのかは、

国境を越えた世界の新興宗教家には、

そもそも矛盾を超え関係もないことなのだろう。

権力をもつ為政者との一緒の写真を

欲しているだけなのだから。

ただ、都市伝説として、

クリエイターたちが、合成や特殊メイクで、

作成したとの噂もあるらしい。

そもそも、コレクションの嗜好自体が、の話もある。

 

 

【事理明白】

会長とカツラのカシラの共通点は、

アナーキーを自称していること。

誰にも縛られない自由を手にすることを希求している。

しかし、

ただただ、己のことのみを好み、愛し、邁進する。

そこには、不思議と「相互扶助」や「自治」と言う

アナキズム特有の語彙との結び付きは見られず、

むしろ、専制や独裁に近いように見える。

そして、国家や政府と政治との親和性を

見ることが出来る。

最近では、会長も植毛のカシラも、

「宇宙から見たら、国境線なんてない」と、

世界から意識は宇宙視点に向かっているようだ。

国家、政府から自由になろうとしているのか。

しかし、会長や、植毛のカシラがトップに拘るところ、

そこに、また、いくつかの自己矛盾を抱える事を超えた

強い自己愛と聖ならざる欲望を強く感じざるを得ない。

 

 

【教訓】

馬鹿は同じ轍を何度も踏む。

宇宙レベルでなく、この世で「・」塵だ。

 

【虞・懸念】

(落語のように)死神に取り憑かれたくはない。

もう、関わりたくもない。

出来れば呪文で枕の位置を変えたいが、

ロウソクとも関わりを持ちたくもない。

 

※ この物語は全てまったくのフィクションであり、

 登場する人物・団体・名称・出来事等は

 全てまったくの架空であり、

 実在の人物・団体・出来事とは一切関係ありません。

 

 

 

 

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「傷だらけの人生」です、傷だらけで、身も心も痛いのでございます。

鶴田浩二さんが唄う

『傷だらけの人生』

 

是非、歌詞を検索してからお読みくださいませ。

(歌詞のリンクを貼るのも許諾が必要でございます、

 真っ暗闇でございます。)



天下のJASRAC様が、仰るには、

歌の題名は、天下のJASRAC様の集金対象には

ならないのでございます。



『傷だらけの人生』名作です。



天下のJASRAC様と契約していない

SNS運営会社での、

歌詞の引用は、ご法度でございます。



天下のJASRAC様は、いつでも平等性の担保の為に、

訴える準備が、あるそうでございます。


それにしても、

カラダじゅうが、傷だらけでございます。

肘、背中、膝、額、



誰かにやられた訳じゃございません。

勿論、天下のJASRAC様に

やられた訳でもございません。



自制心ってものの欠如ってものでござんしょうかね。

いまさら、愚痴を言っても始まりやせん、

飲み過ぎたってことでございましょう。

 

お恥ずかしいことでございますが、

楽しいことの後に、起こりやすいことでございます。



久しぶりに、久しぶりが、重なれば、

久し久しぶりぶり、って

ことになるんでございましょう。



痛さを感じ始めるのも、

久しぶり、とまではいきやせんが、

時間がかかるものでございます。



やっぱり、古い人間でござんしょうかね。

まったく‥‥馬鹿と阿呆が絡み合った人間でございます。

 


真人間に戻り、

落語に、少しづつですが、近づこうと思った矢先です、

明るすぎるんでしょか、おいらには。



傷だらけのカラダとココロを癒すため、

こんなことを書いているわけでございます。

笑ってやってくだせぇ、馬鹿な人間と。

おっと、忘れちゃいけません、

傷だらけ、とつくと、天使ってものもあることを。



これも、名作です。

『傷だらけの天使』のことです。



所詮、古い人間なんでしょう。

 


天下のJASRAC様は、

どうお考えになるんでござんしょうかねぇ。

 

 



どこが痛い?

こうこう、と、こうこう、と〜っ、

落語『孝行糖』より

 

 

 

初出 17/07/31 02:51 再掲載 一部改訂

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あの大学時代の、馬鹿なオレ。その9 【 ちり 】そして人生はつづく

その後、オレは、

カヌーをやりたいと言った手前、

奥多摩にある大学のカヌー部の練習場に、

2回程、行った。

 

しかし、奥多摩の練習場が、遠いのと、

川下に下ったカヌーは、当然、川上の合宿小屋まで、

自分で持って、上がらなければならない、という、

馬鹿でも、分かる、事実を、理解せざるを得なかった。

そんな単純な物理すら想定することが出来なかった。

かなり、馬鹿が、オレを、侵食し、

馬鹿前線は、オレに停滞して、

オレから、抜けなくなっていた。

気象情報でいえば、なかなか去らない、

迷惑な台風である。


カヌー部で、

使っていたカヌーって、そんなに、軽くないんですよ。

野田知佑さんが、

使っていた折りたたみ式じゃなくてね。

今は、知らないけど、当時は。

 

あそびで、腰に負担を、もう抱えたくない、

という思いと、

からだを、当分、休めたかった。



建前の体裁としは、

一応、カヌーをやってみたけど、

実際は、腰の悪いオレには、負担が大きく、

合わなかったという、既成事実で、

同期からの、なんなんだよって、批難を浴びても、

実際に、カヌーを体験した

オレを責めることも出来ないことは、

分かっていたし、事実、誰も非難はしなかったようだ。

そして、オレは、静かに、カヌーも辞めた。


そうなると、先のことを、よく考えていない、

馬鹿な阿呆のデマカセで、

クチからでた、カヌーの動機は、もとよりなくなり、

急に、毎日、やることも、なくなった。

(学業に専念しろよ)



すべて、辞めることだけを、

優先して、目的化していた。

 

その先を、考えるチカラは、

すでに、残されていない、馬鹿だった。

 

なにかが、これから、あるんだろうな、と、

漠然と思っていた。

 

大学に、戻って、

キャンパスに、通うという選択肢は、

からっぽのアタマには、なかった。

 

そもそも、からっぽのアタマを、

大学の講義で、埋める前に、

からっぽのココロの方を、なにかで、埋めたかった。

 

オレは、

ニンゲン並みに、急に、無気力な状態に、陥った。

 

ニンゲン並みの無気力状態から、

人間並みになる為の、リハビリ期間は、長かった。

1年と半年、いや、2年近く、か。

下宿のアパートから、

歩いて15分から20分位の大きな池のある公園に、

基本的に、雨の日以外は、毎日、通った。

 

途中の酒屋の自販機で、缶ビールを買い、

文庫本を持って、ベンチに、向かった。

 

酔って、本に疲れたら、昼寝をして過ごした。

 

オレ専用のベンチが、その公園に、出来上がったのだ。

 

月末、管理人のおばさんに、家賃を持って行ったら、

夢遊病者みたいに、

毎日、管理人の部屋の前を通るけど、

大丈夫?って、心配された。

 

夢遊病者だったんだ、

オレは。

 

週に、何回か、入学当時の、

同じクラスの同級生からの誘いで、

肉体労働系の日雇いのバイトもしたが、

腰の調子が、悪い時は、断った。

 

ワンゲルを、退部してから、

大学には、一切、行った記憶がない、のだが、

どうやって、卒業が、出来たんだろうか。

 

何故か、リハビリ期間を含めると、

大学にいたのが、四年間を、超えていることになる。

 

なにかを、

夢遊の中に、忘れて来ている気がする。

 

名画座が、あった。

当時、千円ちょっとで、

3本、映画が観ることが出来た。

お尻の痛さを、忘れたついでに、

暗闇で、投影される光の中に、

なにかを、忘れて来たのか。

 

いつもの、公園のベンチの、惰眠の中に、

なにかを、忘れて来たのか。

 

ママチャリで、訳もなく、3時間、ペダルをこぎ、

たまたま、たどり着いた、大きな河の流れを見て、

3時間、ペダルをこいで、戻る。

その、汗と、河の流れに、流された、

真空のアタマの中に、なにかを、忘れて来たのか。


あの頃に、落語に出会っていたらなぁ、

もう少し、違った学生時代に、

なっていたかも知れない。

 

キラ星の昭和の名人たちにも、間に合っていた筈だ。

 

あの時に、

落語の神様が、いてくれたらなぁ、

 

歴史に、「もしも」、が、ないように、

いちおう、大学時代の、馬鹿なオレのようなものにも、

「もしも」は、ないと、思うんだけど、

もしかしたら、夢遊の中に、

忘れてきた、なにかが、

まだ、なにかが、あったのかも、知れない。



友がみな 我よりえらく 見ゆる日よ

花を摘み来て 妻としたしむ



本来なら、

昔の馬鹿なオレのワンゲルの経験から、

花を摘み来て、じゃなく、

雉( きじ )を撃ち来て、が、

正しいと思われるのだが、……



友がみな 我よりえらく 見ゆる日よ

雉を撃ち来て 妻としたしむ




「石川や 浜の真砂は 尽きるとも

 世に盗人の 種は尽きまじ」(石川五右衛門)

 

オレは、

小せえェ、小せえェ、

「・、」(てんチョン)、

つまり、世間の(ちり)で、

ございます。

 

啄木さん、五右衛門さん、

おふたりの石川さん、ホントに、申し訳ありません。



「友がみな我よりえらく見ゆる日よ

 花を買い来て妻としたしむ」(石川啄木)

 

これが、ホントの石川啄木の短歌です。

 

「はたらけど はたらけど

 猶(なほ)わが生活(くらし) 

 楽にならざりぢっと手を見る」

 

「何もかも 行末の事みゆるごとき 

 このかなしみは拭(ぬぐ)ひあへずも」

 

 

ホントは、

オレって柄じゃないんだけどね。

 

 

そして、

この道のりは、これで、終わる。

が、しかし、

人生の道のりは、まだまだ、つづく、

 

 

初出 17/09/10 07:52 再掲載 一部改訂

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あの大学時代の、馬鹿なオレ。その8 【 ずれ 】

新入生として、

キャンパスを初々しく

歩いていたとき

 

田舎から、上京したばかりの、オレには、

あか抜けて大人にみえた、先輩貴族からの声かけで、

魔法のテントに、いざなわれた。

オレは、騙された。

ハイキングに、毛が生えたようなものだと思っていた。

憶えていますか、

ドラマ『ふぞろいの林檎たち』 で、

ワンゲル同好会を立ち上げた男子たちは、

彼女たちと出会ったんです。

そんな、記憶もあったんでしょう。

受験勉強から、解放されて、

自然に、ふれてみるのも、いいものかなぁとも、

思ったんでしょう。

当時、BE−PAL(ビーパル)って、

アウトドア雑誌を、立ち読みしたり、

椎名誠や、野田知佑の、

本を、読んだりしていた、ことも、あったんでしょう。

その時は、わさび色のテントは、隠されており、

軽量でキレイなそしてカラフルな

魔法のテントでの勧誘だったんです。

 

渡り鳥でなく、

鷺( 詐欺 さぎ )だった。

 

入部して、現実を目の当たりにして、数人が辞めた。

初めての合宿で、体を壊したものもいた。

オレは、最初の合宿で、

新しい山靴「 ざんぐつ 」が、足に合わず、

かかとの手前の両足、左右の内と外の両側に、

五百円玉の大きさの、皮がむけて、

紅い血が覗く靴ずれを

同じような大きさに、四つの靴ずれを作った。

おまけに、背中の腰骨の上に、

五百円玉の大きさのザックずれを、

上下に、二つ、作った。

つまり、靴ずれが、四つに、

ザックずれが、二つ、

あわせて、大きさで五百円玉、六つ分、

つまりが、五百円×六ヶ所=三千円分のずれを作った。

三千円分の、ずれは、

結果的には、治療費の方が大きく、

三千円より高くついた。

 

すでに、何を言っているのか?

頭の中から、ずれ、始めている。

 

2週間程、足を引きずって、歩いた。

眠るのも、背中がつかぬよう、横を向いて、眠った。


辞めると告白した新人部員への、

執拗な引き留めを、目の当たりにしていたので、

オレは、伝統から足を洗うのが、

とても面倒に思えていた。

ツライ合宿より、辞めると宣告する方が、

随分と面倒に、思えていたのだ。

馬鹿の、とうとう、取り返しのつかない、

末期症状への兆候は、

もうすでに、この時から、

ずれずれとしてたのだ。

 

それでも、

2年生の秋の正部員合宿を終えて、

晴れて、正部員の肩書きと、平民の地位とを手に入れ、

伝統からの訣別を、決めた。

 

2年生になってみて、1年坊主より荷物が軽量化され、

こんなに、ザックが、軽いのかと思ったし、

ピークで、景色を見ながらタバコを吸う余裕も、

地図を見る余裕も、出来てきていたんだが、

 

別に、登山とか、重い荷物とか、

不合理な学生の遊戯とか、

このワンゲルというものの伝統を、

オレが、守り継ぐ気は、もう、なかった。

 

もともと、ドイツからの輸入品を、

日本独自の亜流に、変えてしまって、

それを、伝統って、言っても、

もう一度、明るいところで、

照らし見直したらって、感じだ。

 

同じパーティの同期の奴は、

オレ同様に、勧誘で騙され、

山も、このワンゲルも、好きになれないと言って、

早くオレと一緒に退部しようと言っていたんだが、

いざ、平民と言う正部員になってみると、

体育会のブランドを、就職に有利だと、見通してか、

長い歴史の先輩とのコネクションを期待してなのか、

山が好き、ワンゲルが好きというより、

打算で続けようとしている同期たちと同様に、

ワンゲルを続けることを選択していた。

 

もちろん、登山が好き、ワンゲルが好き、という

純粋派も当然いた。

 

しかし、オレには、どちらにしても、

部員でいる事が、どうでもよく思えたし、

彼らのように、到底、その打算に、

なにかを、これ以上、賭けようとする天秤も

持ち合わせていなかった。

 

つまりは、不甲斐ない、性根のない、

世間からも、同期からも、打算も、算盤も、純粋も、

ずれた、馬鹿なオレ、だった。

 

結果、退部をそそのかした同期の奴は、

4年で、主将の座を掴み、超有名企業に、就職した。

 

別に、妬んではいないが、これもひとつの道である。

 

嘘だ、世渡り上手だなぁと、ある意味、大人だなぁと、

オレには無いものを持つ才に、

ちょと遅れを感じてはいたのは事実だが、

その才に着いて行けるほど成熟はしていなかった。

むしろ、その社会へと出る準備の束縛から

まだ逃げたかった。

 

 

退部を告げた、オレに、

当時のパーティのリーダー、

大神様から、戴いた御宣託は、

平民にも、わかる言葉で、意外に、俗っぽかった。

 

辞めるに当たって、

同期の仲間との関わりを、

どうする、どう考えるのかってこと、と、

 

辞める理由として、

これから、どうするのかって、ことだった。

 

オレがだした、大神様への答えは、

 

ひとつめは、

ワンゲルを辞めても、

付き合う奴は、付き合うでしょうし、

そうでなければ、それまで、です。って答え。

 

ふたつめは、

カヌーをやりたいから。と、いう答えを出した。

なぜか、当時、一部で、流行っていたからか、

カヌーイスト野田知佑の影響か?、

つい、口から、デマをふかした。

 

そんなオレを、オレは、自嘲的に、笑い、

オレの方が、俗ぽっさに、遥かに、近かった、ことを、

オレに、懺悔した。

同期に、聞かれても、同じ答えをした。

誰も、それ以上のことは、言ってこなかった。

退部をそそのかした同期の奴は、

オレには、近づいて来なかった。

 

あれほど、新入部員への引き止めが、

執拗に繰り返しなされたのに、

さらっと縁が切れたのに、オレは、拍子抜けをした。

実は、ちょっぴり、さびしかった。

 

何をいまさら、馬鹿な、ずれたことを、

オレは、言っているんだ。

 

そんなことを、面倒だと、嫌で、避けて、我慢して、

計算づくで、面倒のない状況設定にまで、

持って行ったのは、オレじゃなかったのか。

 

ヒトって、なんて、

我儘で、身勝手で、実に、愚かな、存在であることか。

 

ひとつ、驚かされたのは、

同期の女子部員が、オレを好きだッ、ていうことを、

同期の男子部員づてに、聞かされたことだ。

 

男子と、女子は、もちろん、別々のパーティだ。

 

残念ながら、同じワンゲルということ以外に、

彼女のことを何も知らないオレには、

彼女への興味はなにも湧かなかった。

 

彼女からの、直接のメッセージも、何もなかったので,

同期の男子部員の、辞めるオレへの、

からかいなのか、冗談だったのか、と思って、

そのことを、片付けた。

 

オレが、退部して、

彼女も、程なくして退部した、と、風の噂で耳にした。

彼女とは、何もなく、それっきり、だった。

 

 

そして、

この道のりは、つづく、

 

 

初出 17/09/09 06:01 再掲載 一部改訂

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