なにぶん、なりゆき なもんで
、・ 改め らくごしゃ の なりゆき(也がついたり、つかなかったり)
くちに、あめ玉
囲とは、口の中に井と書く。
井とは井戸のこと。
口から井戸の様に水が出るのは、
マーライヨンでなく、この国では、げろ。
国は、口の中に玉。
口の中に玉、に家がつき、国家。
家とは、すべて、しあわせなものか?
そうではない、ようだ。
不幸をはらんでいながら、家を、
家庭を大事にしろという。
では、家につく庭とは?
うちには、庭なんかねぇヨ、
と聞こえてきそうだ。
では、国の、
口の中の玉といえば、あめ玉。
玉(ぎょく)ではなく、あめ玉だ。
あめ玉は、甘いもの?
甘いものもあるけれど、
甘いものじゃないのは、そうはない。
ほぼほぼ、甘いものが、あめ玉だ。
それじゃ、
あめ玉は、甘く、口の中で、
しあわせにしてくれるのか?
しあわせどころか、むし歯にもなる。
甘いものには、ご注意を、だ。
ということは、
口の中の、玉、つまり、国、
国には、ご注意を、だ。
なんて、
都合よく、はなしは、ならない。
だって、そもそも、
こどものころは、あめ玉を食べたが、
最近は、
あめ玉なんて、口に入れないから。
ちなみに、
最近は、囲、げろはしないが、
国には、囲を、かんじる。
むし歯にも、特に、気をつけて、
あめ玉を。
げら、げり、げる、げれ、げろ。
ら行五段活用。
※「囗」は「くにがまえ」。
※「玉」
たま。宝石。美しいたま。 |
美しい。立派な。宝石のように美しい。 |
たまにする。大切にする。立派にする。 |
天子や他人に冠し、尊敬の意をあらわす。 |
(漢字辞典 オンライン)
いしはどうか
いしはどうか。
もう、党の石に阻(はば)まれて、
意思は砕け破れ、直前の発言も撤回か。
総裁としての立場、国の総理より
とうに相殺で葬祭。
いまは、まだ総理でもない。
こくそうなみに、苔のむすむす、
こけとは、むすむすとは。
首は180度まわり、
ふくろうは、よがあけたらすをつくろう。
党、とは、そいうもの。
党のひと、とは、そういうもの。
くに、とは、そういうもの。
では、ひとり、ひとりの、ひととは、
よがあけたらすをつくろう
(梟(ふくろう)の鳴き声が、このように聞こえることから) 梟が巣を作ろうと思いたっても、すぐには仕事にかからずに、いざ、朝になると目が見えないので、巣を作る暇がない、という仏教の寒苦鳥の寓話(ぐうわ)にもとづく句で、怠け者をいい、できもしないことを企てることにたとえる。
(イミダスより)
「もうたくさんだ」 国民から民衆に
「もうたくさんだ(Ya Basta)」
反操行の民衆的防御の例として。
国家に吸収される抵抗を「反体制」
国家に抗し続ける抵抗を「反操行」という。
国家は自ら内に住まう人口を「〇〇人」と定式化し支配する。これが国民である。
民衆とは、ともすれば国家の枠組みにいるかもしれないが、前提として国家の枠組みから外れうる、より私たち本来のあり方に近い存在である。
市民でありながらも市民でない、統治されながらも統治されていない、そんな存在様態のことである。
そもそも、国家・国民など関係なく民衆は相互扶助のネットワークを培ってきた。自衛のために武装したり、民衆レベルでの裁判を行なったり。
これらをまとめて「民衆的防御」と呼ぶ。
ニッポンの皆さん、ニッポン国家が充そうとしなかったわれわれ(がいると思われるわれ)の諸要求、つまりアレです。何百年ものあいだ、要求した約束が実行されると信じて、われわれ(がいると思われるわれ)は歩んできた。しかし、実行されなかった。もっと辛抱し、よくなる時を待ちなさいという言葉しか、われわれ(がいると思われるわれ)には返ってこなかった。われわれ(がいると思われるわれ)に思慮分別を求め、将来はきっと違ったものになると口約束してきた。しかし、それが嘘であることをわれわれ(がいると思われるわれ)は知っている。この状態に終止符を打つ必要性から、われわれ(がいると思われるわれ)は団結し、「もう、たくさんだ」と宣言したい。もはや、われわれ(がいると思われるわれ)の直面する問題の解決のため、他の人間が登場することを待つことはできないし、われわれ(がいると思われるわれ)はそうするつもりはない。(というつもりである。)
「アレ」とか、われわれ(がいると思われるわれ)とか、サパティスタ民族解放軍の宣言を茶化しているわけではなく、「アレ」とは、高島鈴『布団の中から蜂起せよ』で「何者にも、どのような大きな力にも脅されることなく存在できる世の中を作りたい」ことであり、「この世をマシな方向に動かす」という言葉のことであり、感情的関係性を必要としない相互扶助によって成立する社会、共同体が持続し、乱立する状況である。われわれ(がいると思われるわれ)、もうすでに、なのか、これから、なのか、われに対するわれわれの社会、共同体を見据えることである。
反操行の民衆的防御の例としてなど、以下を
森元斎『死なないための暴力論』を引用(参考)させていただきました。ミシェル・フーコーの「反体制」「反操行」やポール・ヴィリリオの「民衆的防御」の考え方は大変参考になり引用しました。
(がいると思われるわれ)をわれわれは、何も力もないかもしれないが、ばらばらに生きて、ばらばらの場所で、ばらばらの問題に、ばらばらに抗う。
この蓄積が必ず巨大な「変わり目」を生み出す。常に新しく/常に流転し、離合集散の可能性を含み続ける共同体の創造をわれわれ(がいると思われるわれ)は希望する。
これも『布団の中から蜂起せよ』からの一部加筆変更しながら、引用をさせていただいてます。
おぼろげながら、ちょっとやそっとで実現するような理想ではありませんが、この引用だらけのガイドラインが見えてきました。今後、このガイドラインに肉づけや変更を拙いながら試みていきたいと思っています。
森元斎さん、高島鈴さんに感謝いたします。
これまでの偉大な思想家、行動者にも感謝いたします。
人情選挙
人間なんて人情泥棒。
とある地元地区議員は、
地元選挙区各地で、〇〇ちゃん、〇〇ちゃんと
親しげに声を掛けられる。
謎が解けた。実態が見えた。
(別に、謎も、実態も、皆さんの想像通りですけど。)
地元の行事、小さな飲み会に、
まめに参加しているんだ。
小さな地元なら、
ポケットマネーの範囲で賄えるが、
大きくなると、そうもたちゆかまい。
金が必要だ。そう、裏金だ。
政党助成金を超える金が欲しんだ。
だって、「にんげん、だもの」。
「頼まれて仕事をして、
お金をもらわない奴をオレは軽蔑する」と、
立川談志は、落語のまくらで語った。
こう言う世の中になって欲しいから、
それを実現してくれる候補者に一票を投じる
ということより、
何をしてくれるかわからんが、
いっそに飲んだ知ってる〇〇ちゃんに、一票!
〇〇ちゃんの政策は知らないが、
小さな困り事を助けてもらった(利権)に、一票!
こちらの方が、投票の動機としては
人情的に健全なんだろう。
ただし、見返りには『金』が付いてまわるんだけどね。
世の中(談志)的に言えばね。
トランプは人情泥棒政治だ。
つまり、人情政治、ポピュリズムに国境はなし、
なのだ。
闘え、タローマン。
(タローマンとは
岡本太郎からきたキャラクターと思想)
※愉快痛快なので、検索して観てみてください。
突然ですが、つまり、タローマンのように、
ナンセンスなのだ。
桐島聡も、最後は、実名で死にたかった。
ナンセンスじゃなくて、
ここに、人間の人情、センスが現れる。
政治家ども、センスなんだよ。
ユーモアなんだよ、
政治家という職の人間性が問われるんだよ。
おのれのセンスに、コモンセンスなんだよ。
みっともないセンスには、
みっともない国(政治)になるんだよ。
みっともないのを、勝手に規定の「法」で、
見逃したり、縛るなよ。
法治国家の片寄った「法」で、
近代を騙(かた)り亡国に導くなら、
いっそ、お天道さまに顔を向けて、
真っ当かどうか、
それで、決めろよ。
それがわからない政治家には額に「亡」の文字か、
三角△の布を額に付けさせろ。
センス、コモンセンスのない政治家には、
自分じゃわからんだろうから‥、
それを選ぶはずの神(国民)がいないから、
このニッポンは、こうなってんだよなぁ。
もう一度、お天道さま、コモンセンスを、
取り戻す、そのためには、を
考えたい。
小さきものの
つまり自分は一人である
自分は自分の考えで生きている
国からも支配されない
いわゆる世論からも
妄想からも支配されない
というあり方ができるのは
自分がある土地に
仲間とともに結びついている
と感じるからだなんだ
自分がこの世の中で
自分でありたい
妄想に支配されたくないという
同じ思いの仲間がいる
それが小さな国である
自分が自分でありたいという
自分と同じく自分が自分で
ありたい人たちで作った仲間が
小さな国になっていく
そういうものを
しっかり作るということが
僕の思う革命なのさ
『幻のえにし』渡辺京二
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