ボブ・ディランは、『風に吹かれて』を歌った。
名曲だと思うし、好きな曲だ。
多くのマス・メディアは、風に吹かれて、
瞬間風速で、報道を流して、
問題を解決に至るまで、粘り強く時間や紙面を割かない!
ないわけでない。
特番や特集を組んで、
繰り返し、粘り強く、
報道を続けている報道機関もある。
しかし、
本当のことを知ることは、
むずかしいのか。
沖縄のこと、福島のこと、
昨日のことでは、ウクライナのこと、
ついこないだの事では、
桜を、森を、加計を、
関係者が消え、時間が経ち、
事件が風化し、報道機関としての賞味期限が切れてしまう、からなのか。
為政者や、ことの張本人(たち)は、
それを望み、しばし、姿をくらまし、
顔(つら)の皮は厚くなり、恥とは何かを忘れて、判らなくなる。
その襟が、その範が、世の中に、浸透する。
30年前だったんだ。
強い風が吹いていたのは。
いま、風速が強いのが、旧統一教会の事。
事件以降で、
団体の実態や、被害者の状況の報道量は増えてはいるが、
氷山の薄氷部分のようだし、
当事者のその政治関係者を追求もしきれず、
政治家の管理者は、追及しないと明言もした。
怒っている、
報道機関は、怒らないのか。
冷静に、風を読み、その時だけの視聴率なのか。
何かに似ていると思ったら、
選挙の時の、投票数。
ことの顛末というものは、
見届けることはできるのでしょうか。
真相というものに、
触れることはできるのでしょうか。
ズレてしまようだが、
反社との関係を追及された芸能人たちがいた。
当時は、問題ではなく、
成り立ち自体、構造的にも、当然のこととして、
過去のことととして、
のうのうと、優雅に過ごしている人もいるし、
今更、スターに泥を塗ることはない部分もあるでしょう。
しかし、
今回の事件、政治家たちは、
追求され、発言しなくて、だんまりで良いのか。
宗教と政治の関係は、
いまは、分離を建前にしているが、
太古からみれば、相互利用は当たり前だった。
気骨のあるジャーナリストに望みをかける。
「答え」は風に吹かれていく。
空気の国だから。
そして、答えは、
拒むなら、水をさすこと。
山本七平さんが教えてくれた。
興味をなくして忘れっぽいこちらにも問題がないわけではない。