「合理的無知」
私たち主権者であり有権者は、
選挙という投票を通じて有権者としての意思を示す。
そのため正しい判断をするには、政治や経済について多くの知識と理解を求められる。
選挙にあたっては、候補者がどんな人物か知らなければ1票を投じることも出来ない。
しかし、日常生活が忙しく考えなければいけない事、やりたい事がたくさんある。
情報収集し、時間と頭を使っても投票できるのは1票。
だったら、自分の好きなこと家族や知人に時間を使う方が合理的。あえて、「合理的な選択」として面倒な政治や経済には関心を寄せない、無知のままでいるということを選択する。
これが「合理的無知」なんです。
つまり、高得票数を取る候補者は、中身より知名度の高い候補が当選をする、ということ。
もうひとつ、「合理的無知」が広まると、
私たちは政治や経済、それ以外でも何らかの専門知識を必要とする事柄について、自分で考えること、判断することを事実上放棄してしまう。そうすると、全体を見たりしないで、他のみんながそう言っている(らしい)ことを短絡的にそのまま鵜呑みにするようになる。
参考『教養としての社会保障』香取照幸著 p36(5)合理的無知と公教育の欠陥
掲示板の良さげなポスター、本人に会うと別人の様だったりする、加工工作。どこかの国でなくこの国の話です。
自分で語らず、サクラの応援者を装った友だちと話して、街宣マイクから離れ、先輩議員やナレーターが代わりにマイクパフォーマンスをしてあたかも候補者が演説しているよう見せたりする、替え玉作戦。
アンケートと称してデマの情報へと誘導するデマゴーグ。
短絡的にそのまま鵜呑みにするようになるという。
高得票数には、合理的な訳がある。
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