おのずから。

南鮮の自称「慰安婦」は「志願売春婦」です。人権蹂躙ではなく虚偽捏造の「慰安婦詐欺事件」です。

朝日新聞は、慰安婦捏造報道についての謝罪会見を開け。

2014年09月14日 11時53分54秒 | 朝日新聞

文化大革命当時に使用された紅衛兵の腕章、三種類。↑。

 

◎朝日新聞は、捏造慰安婦報道について、謝罪会見を開け。

◎朝日新聞は、シナの文化大革命報道で、捏造報道をしたことを、訂正し、謝罪しろ。

◎記者会見を拒否する朝日新聞のモラルのなさは、佐村河内氏より劣る。

 

 朝日新聞は、新聞社の方針として、慰安婦問題について、捏造、誇張、拡大報道を繰り広げて、南鮮の広報機関さながらの日本パッシングを展開してきた。世界中の報道機関も、これに、追随し、今日の根拠もない捏造慰安婦が、世界各国の人権家にとって、「日本軍性奴隷」として、認識されるに至っている。報道機関として、事実を探求し、事実を伝えるという姿勢がまるでなく、南鮮や国内の反日集団と呼応して、南鮮の反日プロパガンダを先頭に立って推進してきた。朝日新聞は、世紀の捏造報道を長年にわたって意図的に継続するという悪質極まりない「ごろつき新聞」さながらに、南鮮の提灯持ち報道を続けてきた。

 これが、朝日はどこの国の新聞社か、朝鮮日報の略が朝日か、などと、揶揄されるほど、確信犯的に日本を屈辱する捏造報道を、これでもかと垂れ流し、その姿勢を改めること亡く、いまだに慰安婦問題は許せない、と報道している。これが、朝日新聞である。
 東電の吉田調書の捏造報道謝罪会見のついでに、慰安婦報道の中で、吉田清治に関する部分は誤報だった認め、社長が謝罪らしきことを述べたが、いまだに、慰安婦捏造報道についての、謝罪記者会見を開いていない。この期に及んで、見苦しい限りだ。
 あの、障害者詐欺、ゴーストライター作曲詐欺の佐村河内氏でさえ、恥をしのんでというか、開き直ったというか、ともかくも大パッシングを満身にうけつつも、公開の記者会見を開いている。朝日新聞は、あの、佐村河内氏ほどのモラルもない地上最低の新聞社であることは、誰の目にも明らかだ。いまだに、朝日新聞を、擁護しているのは、南鮮だけである。
 くりかえすが、朝日新聞は、慰安婦捏造報道についての、正式の、謝罪会見を即刻開け。その記者会見には、最初の捏造記事を書いた元記者の植村隆はじめ、慰安婦報道に関わった記者や幹部を呼んでもらいたい。また、慰安婦を利用して人権派弁護士としての売名を行い、いまだに、政治家稼業をしている福島瑞穂氏も、連座して、参考人として、慰安婦会見に呼んでもらいたい。

 朝日新聞は、シナ共産党の提灯持ち記事を書き続けた。文革礼賛の捏造報道を訂正、謝罪しないのか? 
  
  次に、もうひとつの朝日新聞の大誤報は、シナの文化大革命の報道である。他の新聞社が、文化大革命を批判し、シナ政権により、北京から追放されるなか、文革礼賛報道を続けたのが、朝日新聞である。シナの毛沢東により権力闘争で、2000万人、3000万人とも、いわれる粛清という名の大虐殺が行われた。朝日新聞は、この、文化大革命を終始、礼賛しつづけた。
  シナの共産党からは、「広範な大衆を代表する進歩的メディア」と朝日新聞は、お褒めの言葉をいただいている。南鮮からは、朝日新聞は、慰安婦報道について「良心的日本人」だと始終、褒められている。まことに、良く似ているではないか。
  朝日新聞は、日本の恥である。文化礼賛の大誤報、大捏造報道をしたことを、訂正し、謝罪すべきではないのか?慰安婦捏造報道も、文革礼賛報道も、根っこは同じで、腐りきっているのだ。
  
●文革時、毛沢東は新聞も粛清した。彼を賛美する朝日新聞を除いて、他紙の支局を全て閉鎖し特派員を追放した。 その後、毎日や日経は反省のポーズをとり支局再開を許されたが、産経だけは服従を拒否して中国の醜さを報道し続けた。
北京政府は腹立たしく思ったが、だからといっていつまでも産経を締め出していれば、中共の狭量さ・いかがわしさを世界に宣伝しているようなものだ。それで追放から30年後の1998年に、支局の再開設を認めた。
                                 《高山正之 週刊新潮 2006/1/5》

●中国の代表的な国際関係雑誌「世界知識」(06年1/16発行 中国外務省傘下の半月刊誌)には、産経を名指しで「言論暴力団」「保守御用宣伝機関」と汚い罵詈雑言で槍玉に挙げていたが、ジャーナリストとして良い仕事をしたという勲章である。一方朝日については、「広範な大衆を代表する進歩的メディア」と持ち上げている。
                                 《平松茂雄 諸君! 2006/3月号》
↓                                 
http://kenjya.org/asahichina.html

中華人民共和国の報道規制と朝日新聞[編集]
1970年代中盤に至るまで、日本はアメリカや西ドイツ、韓国などと同様に、1949年に建国された中国共産党一党独裁国家である中華人民共和国とは国交を持っておらず、中国国民党統治下の中華民国を「中国を統治する正統な政府」と認めて国交を持っていた(イギリス、フランスなどは中華人民共和国を承認していた)。そのような状況下で、1964年ごろより中華人民共和国との間で新聞記者交流が行われ、『朝日新聞』や『読売新聞』、『毎日新聞』などの日本の主要な新聞社が、北京支局を開設し始めていたが、文化大革命期当初、朝日を除く各紙社説は、総じて文革に批判的だった[1]。1966年9月、産経新聞、毎日新聞、西日本新聞が北京から追放され[2]、その後他紙も次々と追放されたが、朝日新聞のみは北京に残ることが許された[3]。


国内外の報道機関に対する言論の自由や取材の自由が現在以上になかった当時の中華人民共和国において、日本メディアでは『朝日新聞』だけが特派員を置いていた点について、1970年10月21日、日本新聞協会主催の研究座談会『あすの新聞』の席上、広岡知男朝日新聞社社長は下記のように答えている(『新聞研究』より引用[要出典])。
「報道の自由がなくても、あるいは制限されていても、そういう国であればこそ、日本から記者を送るということに意味があるのではないか。私が記者に与えている方針は『…こういうことを書けば、国外追放になるということは、おのずから事柄でわかっている。そういう記事はあえて書く必要は無い…』こういうふうに言っている」
上記発言の意図について、中国共産党政府に都合の悪い真実を紙面上で封殺することを、会社の経営陣自らが従業員に指示していたという趣旨に受け取ることもできるため、これをもって、当時の朝日新聞の報道が中国共産党政府寄りであったとする者もいる[誰?]。
(Wikipedia)

 

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1310168708

↑。

朝日新聞は文化大革命のとき中国政府のウソを垂れ流すことを条件に中国での支局を維持しました。
外国ではあるが国家権力の言いなりになるのはマスメディアとは思いません。
朝日新聞は当時のことをどう釈明しているのですか?

(yahoo知恵袋)