日日是好日

「アナザー・カントリー」について、実に主観的に書き散らしてます。
たまに身辺の雑記も。

アボカド

2014-05-31 07:27:16 | 日日雑記
そう。
アボカドです。アボガドじゃなく。

今朝のアボカド。



ちなみに、去年10月のアボカド。



やはり日本の冬は過酷だったか。
(てんてんの分だけ葉っぱがなくなったわけではありません)

最近の動向

2014-05-29 19:40:43 | 日日雑記
色々書き散らしております。
躁状態で、睡眠時間三時間で書きまくっていたのって、
おととしの今頃だったっけ。
またあんな風になったら……いいのか、悪いのか。


他カテでも書いたけど、
ブログってみょう~~な感じがしますね。
検索が容易なせいでしょうか。
こんなことを、会ったこともない人に発信して、
私はどうしようというのか、とでもいうか。
ブログというのは、そのためのものなんだけど。


昔のSFには、マスターコンピュータというのが良くでてきた。
中央ですべてを統括するコンピュータです。
でも現実は、「パーソナルコンピュータ」になっている。
(まあ、何かの記事の受け売りですが)
自分の意見、有名人でもなんでもない人間の意見が、
オンタイムで世界中の人が読む。
50年前には(SF作家さえ)考えなかったことです。

とはいえ、私は相当遅れている方で。
PCは持っているが、携帯はいまだガラケー。
フェイスブックは「顔・本?」から一歩も出ず。
LINEもツイッターも何のことやらさっぱりわかりません。

天才が技術を発明し、凡才が恩恵にあずかるのは、
エジソンのころから変わってないのかもしれない。
ただ、いっけん汎用のツールだけど、
理解しているのはほんのひとにぎり。
システムが複雑になればなるほど、わかる人は少なくなる。


えーと、何を書きたいのかというと。
……なんだっけ。
もしかしたら「ブログが一般的になる前から、
私はGMに惚れていたんだからに」と言いたかったのかな。
前の方を読むと、そんな感じですね。


また日記に戻そうなかあ。
ブログは書きやすいといえば書きやすいのだけれども。

若いうちに読んでおいた方が良い本……?

2014-05-29 19:25:36 | ほんをよんであふれたもの
答えづらい質問、第二弾。

これもよくある質問だけど、
何とも答えがつけにくい。

若いころ(子供のころ)読んでいたら、
それからの足取りが変わっただろうなと思える本はあります。

たとえば、アーサー・ランサムの「ツバメ号」シリーズ。
金井美〇子も同じことを言ってますが。

でも、「若いうちに読んだ方が」とは、ちと違う。
昔読んでいなかったからこそ、今の自分があり、
今の自分が「若いころに読んでいたら」と考えているわけでして。

逆に、「ああ、子供のころ読まないで良かった」と、
胸を撫でおろす本なら何冊かあります。
「ヒルベルという子がいた」なんてのもそう。
出口も選択肢もない子供があんな本を読んだら、どうなるか。
発狂か、自殺か、家出か。
どれかに走るしかないでしょうね。


ただ、答えようがないわけでもない。
もしどうしても「若いころの必読書」を挙げなくてはいけないとしたら、
私は「学校の先生や親が読んでほしくないと思う本」
を選びます。
「孔子を捨てて、老子を読め」とか。
(わりと最近「ビギナーのための老荘思想」を読んで、ショックを受けた。
「なんとか子」の中国人ってみんな同じだと思っていたので)










(しかし、こういうことを世界に発信するって、
どうなんだろう?
私が本に対して何をどう感じようが、
世界の人には関係ないのに。
日記だと感じなかったことが、
ブログだとみょう~~に気になります。
慣れてないせいでしょうか??)

人格を形成した本……?

2014-05-28 21:39:42 | ほんをよんであふれたもの
ネットに時々、
「あなたの人格を形成した本、
一読して人生が変わった本はありますか?」
という質問をみます。

私は「うーん」とうなって「ないなあ」と答えるしかない。
もちろん、どの本からも少しずつ(あるいは大いに)影響は受けてます。

でも、逆、ですね。

つまりすでに私の人格があり、
人格にフィットしたからこそ、
その本に共感をおぼえ、私の内部まで浸透した。
そんな感じです。

「人生を変えたアニメ」なら、もー考えるまでもないが。
なぜかそーいう質問はないんだよなあ。
これもやたらと読書を神聖視する風潮のせいか。

食うと食欲が出てくる

2014-05-27 19:34:28 | ほんをよんであふれたもの
食うと食欲が出てくる。


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フランスのことわざ。
森茉莉のエッセイからの孫引きです。

メインサイトの小説が行き詰まっていた時、
ノートを広げてその前でペンを持って考えていたら、
ネタが沸いてきました。

……何あたりまえのこと言っているんだと思うかもしれません。
でも書けない時って、本当に書けないんですよ。
サハラ砂漠のような広大なノートを前にしようが、
真砂の数ほどのペンを所有していようが。

あれは、アメリカ行きの飛行機の中。
成田からシカゴまで、ノートを広げてました。右手には、しっかりとペン。
ほぼ10時間。一文字も、本当に一文字も、浮かんでこなかった。


真っ白なノートを机に開く。にらむ。さらににらむ。
するとストーリーが浮かび、エピソードが生まれる。
この幸福!

食べることができて、食べたものがさらに食欲を呼んでくれて、
次の更新ができる。

北太平洋航路の私とは、まるで別人のような気がします。