こんばんは、cathyです。
今朝のこと。
いつものように、グループホームの共有スペースで朝ごはんをいただいていたら、誰かが普段とは違う時間に炊飯器をセットしていたらしく、ちょうど炊き上がりました。
そのメロディーが。自宅のものと、まったく同じでした。
ただ偶然、炊飯器が同じメーカーだったというだけのことで、とりたてて珍しいことではないのでしょう。
でも、不意に流れてきたこのメロディーによって、一瞬心のドアが開きかけてしまいました。
自宅の台所の風景。リビングの風景。
夫が、子どもたちがいる風景。
姿。顔。声。
泣き崩れてしまいそうでした。
このままでは今日1日がダメになる。
そう思って、とっさに心のドアを閉めて鍵かけて、見なかったことにして、他の誰にもそんなこと話さず、なんとか、どうにか、気持ちを立て直しました。
そして何事もなかったかのようにデイケアに行きました。
家族の存在は、今のcathyにとっては、拠り所とははるかに遠い、危険な地雷、トリガーのようなものです。心の奥深く閉じ込めているものが、何かのきっかけで不意に顔を出すと、気持ちがひどく揺らぎ、崩れそうになります。毎日をどうにか自分の足で立って過ごしていくためには、今は家族の存在は封印しないといけない。決して忘れてはいないけれど、忘れないといけない。
たまたまなのですが、今日は他にもこのトリガーに心揺さぶられそうになる何気ない会話が多かったです。( )は心の声。
野球、観戦に行ったことある?
(毎年、何度も家族で行っていたよ。恒例行事だったよ。)
あそこの二重焼き、美味しいよね。
(夫も大好きでね。でも白あんは嫌いだから、私や子どもたちが白あんを選んで、お互いこっちが美味しいのにねーって言い合ってたよ。)
必死で笑顔をつくりながら、泣くのを我慢しながら、もうこの会話やめようよ、と思いながら。
退院して今日で一週間。
まだ、ピーンと気を張りつめて過ごしています。
そんな日の、朝の出来事でした。
頑張れ、自分。
では、また。